狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

対談:皇居奉仕団に参加して

2005-10-25 22:14:46 | Weblog

K 私は平成13年11月12日~15日の3泊4日の日程で皇居奉仕団の1員で皇居奉仕に行ってまいりました。
今年で3年目になります。団員は56名。私が副団長でした。

I ボクがやはり皇居奉仕に参加したのは、平成10年の11月17日~20日だった。だからKさんは次の年からだ。
あの時、町のK醸造会社正面に5時に集合した。定刻の5時15分にバスで出発した。まだ暗かったね。
 高速道路で走り全く渋滞がなかったので、赤坂御用地に7時には着いてしまった。ボクも副団長だった。  

K 私の時もやはり5時集合。集合場所は町のF会館前でした。東宮御所西門に7時40分に到着、8時30分宮内庁職員のミーテングを受け記念写真を撮りました。 

I あの時は、40分ほど皇宮警察官の交替に約40分待ったね。8時になって下車。奉仕団の待合室に入り、割り当てられたロッカーに、弁当や小荷物を入れた。
沖縄、栃木、愛媛、福島、新潟からやって来た奉仕団が、続々入室してきた。 婦人会とか、若妻会というのもあった。私たちを含めて6団体240名の奉仕だったと思う。

K 皇居内には国の諸行事を行う宮殿や、天皇皇后紀宮のお住まいになる吹上御所のほか、宮内庁庁舎、陛下の生物学研究所、皇后陛下の紅葉山御蚕所、公淳皇后還暦記念に建てられた桃華樂堂、昭和天皇の崩御に伴い、皇居から国に寄贈された美術工芸品を保管してある三の丸尚蔵館、付属庭園、皇居東御苑などがありました。約115ヘクタールの面積だそうです。
東宮御所は、皇太子ご夫妻のお住まいの私室をはじめ、公務室や宮内庁関係事務等があり、この広大な皇居や東宮御所に、毎週500~600人、年間に、2万名もの善男善女が奉仕作業員として参加するのだそうです。

I 8時半を過ぎても担当者が現れないので、いらいらした思い出がある。9時になって、やっと係官の説明。団体ごと整列し、作業場所に行くのかと思ったら、見学と記念撮影だった。かなり離れた赤坂庭園にむかって行進だった。
赤坂庭園はかなり離れている。大きな堀の両側は、原生林の風景だった。椎や楠、欅などの大樹の森の下道を進んだ。時折落ち葉が降りしきった。丘を下りると広い芝生と、大きな池がある。背景に赤坂の高層ビルが見えた。
ここが、春秋行われる天皇陛下主催の遊園で、会場芝生に腰を下ろし、庭園課のお世話係りの人の説明を聞いた。もと紀州徳川家のお屋敷だったそうだ。
ここでも記念撮影をし、東宮御所へ移動して、皇太子ご夫妻の拝謁式となる。  11時15分過ぎ御所玄関前に整列した。庭園の片隅に天皇皇后ゆかりのテニスコートの傍を通って、拝謁室にのぞむのだが、奉仕団の人数が多くて拝謁室に入りきれなかった。  

殿下は11時半各奉仕団の中央へ、順々に進まれ、一礼のあと団長から県名、団体名や人数などのご報告を受けられ、団長へ「ご苦労様」の労いのお言葉があり、質問の御言葉を賜った。
皇太子、同妃両殿下が、僅か2~3メートル前にお立ちになって我々全員に目をそそがれる。
肩幅の広いご体格、気品に満ちた、にこやかなお顔、上品な背広など見とれてしまったのもつかの間、次の団体の方へ移られて行ってしまった。
最後に6団長が前に進み万歳三唱をしたのを受けられ、拝謁式はそれで終了、両殿下が御所にお帰りになるのを見送った。
雅子妃殿下には、まだ御妊娠なされていなかったように拝察した。休憩待合室で昼食をとり、奉仕作業は午後となった。

K 私たちのときは、11時頃から雨が降り始め、雨の中での東宮御所の見学でした。昼食後も雨は上がらず、雨天の為奉仕作業は中止となりました。急遽皇太子殿下の御会釈が行われるようになりましたね。
これは通常は、屋外で行われたのだそうですが、私たちは特別な配慮を頂き、御所の普段では入ることの出来ない「会見室」で御会釈を賜りました。雨に感謝、感謝をするほかはなかったのです。(笑)
奉仕作業の中止が決まったので、1時30分には御所を引き上げ、靖国神社に参拝しました。
丁度、全国で名高い某美術館主催の、「盆栽と本器」展が開催されておりましたので、日本を代表するような作品に触れ、大変幸運だったと思います。
3時にはホテルに着き、ゆっくり休養させていただきました。  

I ボクらは其の日、リヤカーに鎌、熊手、モッコ、砥石、竹箒、バケツ、箕などを積んで、約1キロぐらい先のくぼ地と、両側斜面の林に着いた。
各宮様方が、お手植えになったという「山ぼうし」の樹が、あちこち点在する林の中の下草刈り作業だった。広さは300m×60m位なので、55人もの多勢での作業なので、忽ち終了してしまった。休憩時間をたっぷりとり、取手市在住というお世話役から、赤坂御用地管理に関するお話を承った。
バケツや、空き缶を灰皿にして、愛煙家には有難い1服のひと時だった。3時過ぎ、作業を終えて荷物をロッカーから戻し、バスで宿舎・グランドヒル市谷に引き上げた。

K 昨日とうって変わり晴天でした。朝8時に皇居乾門から参入して、バスは窓明館に横付けです。
午前中は、陛下御一家が正月の新年参賀にお立ちになる長和殿東庭、一般の人が入ることの出来ない南庭を掃き清め、その後、正殿や、豊明殿を見学致しました。午前11時から、天皇皇后両陛下、紀宮殿下のお会釈が予定されていましたので、蓮池参集所に参加した各団体の500名が集合しました。シーンとした時間が流れました。
両陛下、紀宮様が私たちに近づかれました。団長のMさんが、T奉仕団の男性18名女性38名、計56名ですと報告いたしました。
天皇陛下からのご下問は、
  ①先日もお見えになりましたね。
  ②皆さんはどちらからお出でになりましたか。
  ③皆さんは主に何をなされておる方ですか。
  ④今年の農作物葉の出来具合はどうですか。
などです。M団長が、緊張した面持ちで、代表してお答えしましたが、両陛下、紀宮を目の前に拝し感激した様子でした。一同も同じ思いでした。(天皇陛下
ご会釈が終わり、午後は、宮内庁から富士見櫓に通じる沿道を掃き清めました。

I ボクらが拝謁を賜ったのは、最終日の4日目だった。帰宅の日でもあるし、何となく心弾む思いで朝のシャワーを浴び体操をして朝茶を飲んだ。
定刻7時に朝食、7時半バス乗車。皇居乾門から窓明館に直行した。8時半から東御苑の見学。この御苑は水、金曜日を除いて無料で一般に解放されているようだ。
広大な歴史公園といえる東地区一帯だ。
大手門を潜り元本丸入口の坂に至るまでに、三の丸尚蔵館同心場所、そして大きな石垣が迫る本丸入り口坂となる。江戸のむかしに、タイムスリップした心地になった。
二の丸庭園の植え込みを見、汐見坂、梅林坂を登ると楽部、桃華楽堂の横へ出て旧本丸跡の高台天守閣跡が直ぐ目の前にあった。そのまま進んでいくと、広い芝生、外側は内堀と外堀、大樹の樹々の下には遊歩道が通り、木陰のベンチ傍に、「松の廊下跡」の標識もある。
いまこの広場は、災害緊急時の避難場所にもなるそうである。
見学後奉仕作業となった。土手下から、フェンスの間に伐られた枝や幹などが、落ち葉の下に埋もれている。それらを掘り出し、フェンス越しに運び出して、少し離れた林の中に並べる作業で、軽い枝葉は女たち、重い幹などは男たちが運び出したのだが、かなりきつい仕事だった。
11時近くになり、いよいよ拝謁の時間が迫ってくる。天守閣の下坂道を下り、昼でも薄暗く内堀にかかる端を渡り、宮内庁庁舎後ろの蓮池参集所に急いだ。
11時15分両陛下は紀宮様をお連れになり、部屋にお入りになった。我々一同、拝礼をする。最初にお進みになったのは、沖縄県奉仕団で、団長が団名や、男女別人数を報告申し上げる。その後すぐ天皇陛下が、団長にお言葉を賜る。
ボクたちT会の前での陛下のお言葉は、
 「皆さん、どんなお仕事をなさっていますか」
 「皆さん、お元気にね」と次の奉仕団のほうへお進みになる。低いお声なので一言一句明瞭には聞き取れなかった。
  
福島県の若妻会のところでは、皇后様もお尋ねになられていた。一巡し終わると、団長が前に進み並んで万歳三唱を唱和した。
  
12時15分これで拝謁式は終わった。団員一同、皇居奉仕の目的のひとつ、最大の喜びとも言える拝謁を至近距離で体験できて、最大の満悦で窓明館で昼食をとった。 

K 私たちの3日目も素晴らしい晴天でした。
朝のミーテング後長和殿の東庭を通り、2重橋を渡り伏見櫓をバックに記念写真を撮りました。
撮影後は、上道潅濠に沿って宮中三殿へ行き、天皇陛下の生物学研究所構内の、お手植えの田圃を見学しました。陛下がお田植えになった稲株は特別に管理され、収穫された新穀は、天皇御自ら天地・天祇に薦め、これを食する祭事、新嘗祭に奉納する状況のお話を聞きました。
その後、皇后陛下が飼育される養蚕の桑園の草取り作業でした。腰を曲げての作業、取った草をモッコで運ぶのは案外疲れました。
帰りは大道庭園の盆栽を見学致しました。全国から奉納された名品や、宮中行事の祭壇に飾る盆栽を専門に管理しているところです。
5時にはホテルに引き上げ、シャンデリアが眩しい宴会場で反省会です。良かったこと、次回に引き継ぎたいことなどを、話し合い、カラオケ、ダンス等も披露され思い出に残る反省会でした。

I ボク等の泊った宿舎、「市谷グランドヒルはJR市谷駅の直ぐ近く、靖国通りに面して建っている、防衛庁共済組合ホテルだった。4Fから8Fまでが客室、3Fが大、中宴会場、2Fが結婚式場、小中宴会場、1Fにフロント、レストラン、喫茶室、クロークが並び、地下2Fまであり、1Fが和風レストラン、2Fと共に駐車場がある。ボクたちは新館4Fのツイン室に2人ずつ3泊した。窓外の夜景もよく、快適な3泊だった。
2日目から、皇居内の奉仕作業だ。
午前7時朝食1Fのレストランで済ませ、7時半バスへ。乾門へ直行した。バス中で守衛警官が人員点呼人数確認して、奉仕団控え所窓明館に入る。バスに乗車したまま宮内庁本館横を通り、富士見櫓を過ぎ、皇宮警察署本館近くの駐車場にバスを停めたのだが、ここに置けるのは、ボク等のバスだけだった。
今から約30年前この奉仕団団長のO氏(故人)が、当時の宮内庁長官と大学同窓の縁故から、特別の配慮を頂いているのだそうだ。
8時45分係官の挨拶で始まり、前庭に整列して4列縦隊をつくり、見学場所へ。宮内庁横から吹上御所、盆栽管理園に案内された。続いて天皇陛下お手植えの水田や、桑畑、蚕室、学問所などのある1画の水田前で休憩した。
隣町からお出でのSさん(65歳)から、思いがけない話をきいた。
それは45年前、彼女がまだ18歳の時、村の青年会で皇居へ奉仕作業に来た時の思い出話である。
 ・混雑する常磐線で大きな荷物を抱え皇居へ参内したこと。
 ・坂下門内側の木造の寮みたいなところで合宿、自炊をしながら、草刈り作業。  食材は持込だったこと。
 ・赤坂ご用地へは、作ったお握りを容器に入れて持参したこと。藁草履を履いて行って、着いたとき草履が切れてしまったこと。
 ・昭和天皇の拝謁時のお言葉、
「みな、勤労。ごくろう。」が、今でも懐かしくよみがえるという。彼女は当時 の記念写真を持参してみなに見せてくれた。かすりの上衣、もんぺ姿の横に大八車が写っていた。

K 最後の日はこれまた素晴らしいお天気でした。
いつもの手続きで窓明館にバス横付けです。午前中は富士見櫓下の庭園から窓明館までの道路、桔梗門周辺の道路の清掃となりました。午後からは、主に施設の見学です。百人番所から、昭和天皇がお気に入りの武蔵野の風情を再現した林を通り、二の丸庭園、回遊式庭園、都道府県の植樹庭園を通り、汐見坂を上って桃華樂堂、天守閣跡に登り、東京を眼下に望みゆっくりと休憩いたしました。
最後の作業は「松の廊下」を40分ぐらい掃き清めました。三の丸尚蔵館で、皇居に伝えられてきた「宮中の調度品」や、絵巻、彫刻、装飾金具、など数多くの棚飾りの中から、江戸時代から昭和初期の代表的な調度品の陳列を拝見し、ため息の連続でした。
その後、天皇陛下から菊のご紋章の入った、「たばこ」、皇后陛下から紅白のお菓子、皇室アルバム等のご下賜品を頂き、宮内庁職員から労いのお言葉を頂いて、家路につきました。
6時半には家に着き、4日ぶりに家族と一緒に皇居のお話を土産に愉しい夕食をいただきました。

I ボクの3日目は、話が前後になってしまったが、アメリカのクリントン大統が、来日する日だった。
拝謁式は明日に延びるのかなと思いながら、作業場所に行進したっけ。長命殿の前に着き、女達は豊明殿(大晩餐会場)食器室へ入り作業をした。
後で知ったことだが、26日来日の中国元首相の晩餐会に使う食器類を、収納室から取り出す準備をしたそうである。緊張の連続だったそうだ。
長和殿前の広場の落ち葉の清掃、宮殿や、庁舎後ろの舗装路の落ち葉掃きで午前の作業は終わった。
クリントン大統領は、宮殿には寄らず、まっすぐ吹上御所で、ご挨拶されて、皇居を辞去された由であった。午後は、奥道潅掘りに沿った塀の外側の小道を通3時過ぎ3日目の作業は終わり、3時50分バスで靖国神社へ直行した。

K これで私の皇居奉仕の記録は終わりですが、来年度も皇居奉仕団を募集しております。
11月11日から14日までの3泊4日の予定で実施いたします。募集人員は57名です。15歳以上、70歳までの健康な人ならどなたでも参加できます。
参加経費は、45,000円(バス代・昼食代・宿泊代・結団式費・反省会費・旅行保険料)。宿泊場所は、東京タワー隣の一流の結婚式場である「虎ノ門パストラル」を予定しております。希望者は、団長、または地域の役員にご連絡下さい。

I 最後になったが、ボク等の最終日は、拝謁式の後、窓明館に残り、広い館内の掃除をした。30分ぐらいで終わり午前中やり残しの作業所、桃華楽堂に向かった。
3時15分作業をすべて終了し、休憩ののち、用具をリヤカーに載せ引き上げた。
宮内庁からのプレゼントは、
  ①皇室アルバム②紅白干菓子③ご紋章入りタバコであった。
バスは乾門3時55分退出。さしたる渋滞もなく、わが町に戻った。其の日に早速「砂ばらい」であった。和気藹々、次から次、かくし芸、カラオケが飛び出し、8時10分閉会した。ご苦労様でした。副団長の重荷がやっと下ろせた。

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7 コメント

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Unknown (針尾三郎)
2005-10-27 09:58:15
皇居の清掃奉仕、良い事ですね。未だ小生はそのようなチャンスも無かったので、行った事はありませんが。

小生の叔母は若い頃は、なにか宮内庁に勤めていたと言う話は、チラッと聞いた事はありましたが。

嫁さんが東京にいた頃に、清掃奉仕に来た人たちが、記念品やら土産物を買って帰る店をやっている人と知り合いだったと言う事で、一番上の孫が未だ赤ん坊の頃、車で一緒に行った事がありました。

事務所が神田にあって、其処に主人公がいましたが、会った途端に、言葉を交わさないうちに、その人が、昔の陸軍の典型的な下士官だった人だなと、判りました。

何処の国でも陸軍は、その国の民族の特性を最もよく具現しているものだと言われているようですが、まさにその通りでした。

机で執務をしているその姿に、昔の軍服をイメージして見ると、まさに、泣く子も黙る昔の下士官が、其処にいました。

おそらくは戦後、昔の軍関係のコネで、皇居の中に店を出すことが出来たものと思います。

その人は、10年ほど前に、駅の階段で転倒をして80数歳で亡くなったとのことです。

でも奥さんは、今でも店の方は、やっているそうですが。

兎に角、日本民族にとっては、皇室というのは、日本民族の本家ですから、本家が何時までも安泰と言うのが、日本民族の拠りどころな訳ですから。

マッカーサーが天皇と会見をして、それを理解をすることが出来て、本国に対して「天皇を戦犯にしたら、アメリカは、再度又日本と戦争をしなければならなくなる」と書簡を送った事は、有名な事実であった。

今少しばかり手間のかかることをやっているので、コメントの方も失礼がアルヤと思います。悪しからず。
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ごくろうさまでした (ましま)
2005-10-27 10:40:46
経験としては、東宮御所に伺ったことがあります。皇太子(今上天皇)のご進講で、会議室(ふだんは子供の遊び部屋?)に<映写技師>として出向きました。進講する群臣(まえつきみたち)の挨拶には、ただうなずくだけでしたが、私の前では立ち止まって「ごくろうさまです」と45度の敬礼をされました。百姓(おおみたから)は大事にする、というご方針なのだな、とさとりました。
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対談をお聞きし (tani)
2005-10-27 19:48:27
メル友氏から、メッセージを頂いた。曰く、「皇居の清掃作業、自分の家の庭だけでも手に余しているのに、とても手伝えないね。こんな気持ちでは駄目なんだろうね。」

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こんばんは。 (pirikara710)
2005-11-21 21:16:57
トラックバックありがとうございました。

先日行った、皇居東御苑、きれいに掃き清められておりましたが、ここのお掃除も皇居奉仕される方々のおかげだったのですね。

そのときの友人たちとも、皇居のお掃除をするボランティアの話が出ておりましたので、興味深く読ませていただきました。

一生のうちに経験できるがどうかわからない、皇居奉仕の様子がよくわかりました。機会があれば参加してみたいなと思いました。ありがとうございました。
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お礼の言葉 (tani)
2005-11-22 06:12:01
pirikara720さま

わざわざ御丁寧にTBとコメント有難うございます。

小生な基本的には「皇居奉仕」なんて、ナンセンスだと思います。浦島太郎が、竜宮城を見学するような感覚でないと、耐えられないと思いますよ。更に実費が4500円、お小遣いも□□千円は必要でしょう。OH!もったいない!
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竜宮城 (pirikara710)
2005-11-22 12:49:53
一度は見てみたいな、竜宮城

でも、靖国参拝はやっぱり嫌ですわ。
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Unknown (由紀)
2006-12-22 21:48:32
谷さんご苦労様でした すごく詳しく書かれていて私は見学者だってのですがとてもよく分かりました
私たちは 観光バス2台で皇居広場に 4列に前につめて並んでというわれ 30分もまたされ やっと桔梗門から窓聡明館に そこで説明とビデオ又30分も待たされる 宮内庁職員はなんと能率の悪いことをしているんだろう 
と文句を言っている人もいた
庭師の人達も奉仕団なのかしら たくさんの人が来てました 
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