狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

序の序

2005-10-19 22:34:11 | Weblog

 いま凄い地震があった。震度5なりという。震源地は茨城県南部、丁度わが家の真下でわないかと思われるほど激しい揺れだった。
 しかしB-29の爆撃の時に比べたら、まだまだ、こんなものではなかったですぞ。
地震では、天井が落ちてきまいか、パソコンの電源はどうするか、火は大丈夫だっぺか、外に飛び出そうか、一応は考える余裕はある。
 爆弾ではそうは行くまい。見えないあつい雲の上からでも降ってきて、瞬時に爆発するのだから、逃げる暇などあるはずはない。「念彼観音力 爆弾段段壊」もまずムリであろう。

 また昔話になってしまった。友人のような交際をさせて頂いたT氏の回想である。
氏は1901年生まれ、昭和天皇と同じ歳だといっておられた。新聞A紙の記者の経歴を持つ。東京大空襲の時、東京本社地下室にいたという。100歳で亡くなられるまで、ご厚誼を頂いた。

 氏は、晩年「瀬戸内水軍」に非常な関心を持っておられ、小生はその講義を飽きるほど聞かされた。しかしその内容はこれといって明記すべき記憶はない。
 覚えている言葉は、この水軍に家内の先祖がいた…という学説(?)だった。根拠は、「瀬戸内水軍史」という1冊の古本だっただけである。

 そのときの余談だが、「序の序」というエッセーを書いてみたいということであった。あるいは町のサークルで出している会報誌へ寄稿文の構想だったかもしれない。

 今や、句集とか歌集などをはじめ、自分史の出版が非常に盛んである。大成したひととか、環境が自分によく似ているひとの書いた自分史なら、あるいは読んでくれる他人がいるかも知れないけど、句集・歌集の類は、序文と跋文だけをパラパラ捲っただけで、書棚の装飾品となるのが常だ。
 序文は、著者を知る上で、それが自序であったとしても、興味ある文が多いことも確かである。

 その序文を集めて、序文の序文集ををつくり、その序文を自序とする。-というような話であった。誰も死ぬまでには1冊ぐらいは本を、モノしたいであろう。
 「序の序」というその企画は、大変面白いかもしれないと思っていた。

 折も折り、天智天皇の記述を3歴史教科書所から調べる宿命を負ったのである。
 雨降りだったので、1日中それに取り組んでみたが、さっぱり纏まらなかった。

 そんなことを考えていたら、丁度まだ開けたことのない「日本歴史」が出てきた。天智天皇に入る前、序文に目をやってしまった。その「序文」の引用で今日のブログページを埋めることにする。

 『定版民族日本歴史』王朝編 白柳秀湖 千倉書房昭和十三年二月二十三日再版 
 
    定版発行に際して     (著者)
『民族日本歴史』五部編の業は、著者と読者と出版企画者との三位一体的な水も漏らさぬ渾融協和によって、事前にも事後にも、何等作為的な宣伝方法と、何等背景的な威嚇方法とを用ひず、ゴーレムの如く、黙々として進み、タンクの如く夷々として行き、初版出版後、僅々二年幾箇月にして屢次の重版全く庫中に竭き、ここに厳密なる校訂と補修とを経て、定版を世に問ふに至った。  

 蓋し出版界空前のことである。若しそれこの書が、日本帝国空前の重大時期に際会し、その内部的革新と、対外的調整との上に負担した民間歴史の役割に至っては、過去の国家的、民族的転換期に於いてした民間歴史の役割が、いつでもさうであったやうに、これを後世の人の公平な評価に俟つの他はあるまい。 
                          (昭和十三年二月)
 


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2 コメント

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無題 (ましま)
2005-10-20 10:23:59
 いろいろな稀覯本をお持ちですねえ(感心)。我が家は地震にそなえて、本棚はできるだけ軽くしてます(いいわけ=弁解)。
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Unknown (leprechaun)
2005-10-20 15:46:59
昨日の地震は大きかったですね。我が家のボロアパートもかなり揺れました。



歴史教科書については、確かに扶桑社本は売れ行きが鈍っている気はします。前回と大差ない内容なので、買いたい人は前回買ってしまっているのでしょう。



その教科書自体は検閲を通っているので、偏った著述というものはないと思います。左翼が重箱の隅をつつくようにあら捜しをしてますが、余り意味は感じられないですね。



天皇の靖国参拝は、自分も基本的に賛成です。ただその前に違憲性、歴史認識、外交の諸問題を解決する必要がありますが。一番いいのは非宗教の平和祈願モニュメントの建造と思います。
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