狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

あの頃

2007-01-10 23:17:13 | 日録
妻が正月なので布巾を新調した。押入れから出してきたのは「招福ふきん」という、T市○○山○○寺の懸紙がしてあった。年始に頂いたものであろう。猪の絵馬の絵に開運と染め抜いてある。

 説明するまでもなく、12年前平成7年(1995年)に同寺で、何かの所用で出かけ、新築成った拝殿を案内された際、頂いてきた記憶がかすかに残っていた。
 ボクは昭和57年9月から、日記を殆どわがブログと同様な日にちの間隔で書いてきた。去年の暮れに寄せ集めた日記や、町の文芸雑誌に投稿した記事などから、松本サリン件がおきた年であることが分かった。
このときの朝日新聞の切抜きを見つけた。

 
河野さんにおわびする
 長野県松本市の住宅街で、ほぼ1年前に起きた松本サリン事件も、オウム真理教による組織ぐるみの犯行である疑いが強まってきた。
 私たちは、事件の第一通報者である河野義行さんとご家族にご迷惑をかけたことを率直にお詫びしなければならない。当初、河野さんが農薬の調合を間違えて有毒ガスを発生させたのではないかと報道し、読者に誤った印象を与えたからである。
 7人が死亡、約600人が重軽症をおったこの事件では、河野さん宅の庭でガスが立ち込めていたという目撃証言があった。
 捜査当局は翌日の夕方、容疑者をはっきりさせないまま、河野さん方を家宅捜査した。河野さんにたまたま薬品の知識があり、自宅に薬品を持っていたなどの不幸な偶然もあった。ここまでは、無理からぬ面があったかも知れないと思う。
しかし、その後「農薬の調合を間違えた」という根拠のないうわさが独り歩きしはじめる。家宅捜索で、河野さんが容疑者ではないか、との先入観を持ってしまったため、うわさを事実であるかのように報道してしまったのである。
報道は時間との勝負であり、事件の発展を一刻も早く伝えるのは、メディアの役割である。とはいえ、事実の認識をおろそかにしていいはずがない。先入観にとらわれず、事実の裏付けに努めることの大切さを、改めて痛感させられる。
第二の反省点は、もう少し科学的な目で事件や捜査を検証すべきだったことである。発生の時点で、化学兵器の一種であるサリンを使った無差別テロだ、と推測した人はいなかっただろう。
かつて経験したことのない毒ガス事件だったのだから、早い段階から科学者などの専門家の知恵を借りて、冷静で科学的な報道を展開すべきであった。
河野さん宅から押収された薬品類ではサリン生成は不可能だったし、庭先で簡単に作れるようなものではない。こうした点に早く気づいていれば、予断や偏見にとらわれずに済んだはずである。
捜査当局も深刻な反省が求められる。誤った報道には、警察が河野さんを事実上、犯人扱いしていたことが影響していた。とくに退院後確かな証拠もないのに長時間の事情聴取を行い、いつまでも身の回りを徹底して調べた点は問題である。
警察は河野さんに「遺憾の意」を表明したが、いったん失われた名誉やプライバシーを完全に回復することはできない。奥さんはまだ意識不明で入院したままだ。河野さんは、二重、三重の被害者である。
捜査の誤りは、河野さんを傷つけただけではない。結果的にオウム真理教に着目するのが遅れ、その後の事件の発生を妨げなかったにもつながった。
松本サリン事件から12日後の夜、山梨県の教団施設周辺で異臭騒ぎがあった。その付近の土壌を採取し、サリン残留物が検出されたのは数ヶ月後だった。
教団がもっと早期に、捜査の網の目の中に入っていれば、と思わずにいられないのは、地下鉄サリン事件などの被害者や関係者ばかりではあるまい。 
その後の捜査で、青島幸男東京都知事あての郵便物爆弾、新宿駅の青酸ガス発事件もこの教団の関係者による犯行の疑いが強まってきた。教団内部でリンチ殺人事件が行われた疑いも出てきた。
世界犯罪史上にも例のない組織犯罪の様相をみせている。誤りのない徹底的な捜査を期待したい。(1995年6月14日朝日新聞社説)