狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

フセイン元大統領の死刑執行のNHKニュース

2007-01-07 20:48:04 | 怒ブログ
昨日午後6時の、テレビニュースで、フセイン元大統領の死刑執行、直前の画像が放映された。わずかの時間だったので、7時のニュースで見ようとしたら何もなかった…。
ボクは、今日Sキリスト友会の新年礼拝会に参加してきた。勿論その話題はなかった。

1960年度新渡戸記念講座講演
「クエーカーの信仰の本質」竹村豊太郎著・キリスト友会日本年会刊が展示してあった。それを頂いてきた。

 ボクは「死刑」は絶対人間同士のやるべき行為ではないと信じている。
勿論、死刑にもなりたくないし、死刑を執行する立場になったら…、○○○○○、○○○○○、○○○○○、○○、○○○○!である。

まえがき
本講座は、故新渡戸稲造を記念する意味で、年1回、キリスト友会日本年会によって主催され、今回は第7回にあたる。本書はその講演内容であって、1960年(昭和35年)11月13日、キリスト友会東京月会会堂において、日本の友会員、竹村豊太郎によってなされたものである。   キリスト友会日本年会

この冊子は、
1、信仰の基本
2、内なる光
3、人間の尊さ
4、恩寵の一般性
5、完全への招き
6、直接の啓示
7、啓示の持続
8、むすび
という79ページの小冊子である。

その中で、このことに触れている。
死刑の廃止(太字)
ここで問題にするのはあと二つ、死刑と戦争である。いずれも公益のためにする殺人であり、国家がこれを関係する人たちの任務として命令する。死刑の理由は犯人への応報と公安維持とにある。一つは、人を殺したものは殺されるのがあたりまえだという理屈、他は一般人の安全を守るためという打算である。前者はイエスの愛の精神に反する。刑法学でもこの論拠は弱まっている。後者には、終身刑という代策もあるが、それでは金がかかるという損得勘定が妨げになっている。刑の執行は特定の役人が非公開でやり、一般市民は殺人行為の衝撃をうけないから、わりあい気楽に考えているが、この制度を認めている社会に平気ですんでいる人人はこの行為の加担者だといわれても否定はできない。友会徒はこれを、犯罪人から悔悛の機会を奪い、内なる光を無視する冒涜行為だと考え、他の教派または宗教外の同調者とともに反対してきた。これは、国民大多数の考えが改まり、法律が改正されれば、いつでも廃止できる。現に廃止している国々も少なからずある。

戦争反対(太字)戦争は国家がする組織的な大量殺人である。対手に有無をいわせない、殺人をきめてとした実力行使である。それが直接には軍人の義務になっている。しかし、今日大多数の国でそうであるように、軍隊が徴兵制でできている場合には、それは健康な青年男子、または男女全部の、そしてさらに総力戦という立場から見れば、国民全部の直接間接の義務となる。基督友会は歴史的な平和主義教会の一つとして、開教のはじめから戦争反対の立場を堅持してきた。単に反対でなく、それをなくすための積極的努力を続けてきた。
 戦争の積極的理由は国家利益の増進にある。が、この理由は最近では弱くなってきた。戦争は、負けても勝っても引き合わない仕事になりつつある。消極的理由は国家利益の防衛にある。各国は、おたがいに食うか食われるかの関係にあるから。、食われないうちに相手を食ってしまうのだ、という。少なくとも大国は、戦争はやりたくないし、小国にもやらせないように仕向けることはできるが、仮想敵国の出方が安心できないので、各国とも、国民福祉の方にまわせばいくらでも役に立つ貴重な国費を無用の軍備につぎこんでいる。そういう点から見て、一国だけでは平和は実現しにくいので、友会徒は国際間の相互理解の促進、緊張の緩和、紛争解決のための平和的手段への協力等の諸方策を推進している。