狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

原爆忌

2006-07-29 21:27:49 | 怒ブログ

        原爆忌 
              tani

黙祷すたった一分原爆忌

よき話全く絶えて大暑くる


2005年7月ダイジェスト

2006-07-29 14:35:49 | 日録
ブログを開設した去年の今頃を、2005年7月の日録から辿ってみた。

・宮城県の報償費予算の執行停止問題が、霞ヶ関の警察庁、漆間巌長官までに発展した宮城県警と知事の対立は、警察のトップも参戦する全面対決の事態となった。(1日)

・小泉首相は、今回の東京都議選では、街頭での応援演説を一切しなかった。前回とは大きな変わりようで、「今回は分が悪いから行かないんだ」との声も首相周囲にはあったという。開票の結果、自民はやや後退し、民主党が伸びた。(5日)

・上野都立美術館行き。T氏の刻字が「毎日賞」に入選した。美術館で展示作品を見、博物館・西洋美術館のほうを迂回して駅に戻る。美術館前の森にはホームレス人生を楽しむ人たちのブルーシートのテントが一集落をなしていた。12時に上野駅公園口で待ち合わせの約束だった、伜や孫たちと、「藪そば」を捜しそこで食事をとる。(10日)

・「郷土の日露戦争百周年祈念展」を町公民館に見に行く。10時近くだったが駐車場は空っぽだった。幹事のYさんが出てきたので、ガードマンを頼むほど混雑してるのかと思ったなど冗談を言った。
当番はYさん一人だった。
展示1例
陸軍歩兵伍長××××
明治三七八年戦役ノ功ニヨリ功七級金鵄勲章並ビニ年金百円及勲七等青色桐葉章ヲ授ケ給フ
 明治三十八年六月十六日
 賞勲局総裁

陸軍歩兵伍長××××
明治三七八年戦役ノ功ニヨリ特ニ金六百円ヲ給フ(14日)

・「海の日」。一気に真夏。
気象庁は18日、中国、近畿、東海、関東甲信地方が梅雨明けしたと見られると発表した。各地で最高気温が30度以上の真夏日となった。
中国、東海、関東甲信の梅雨明けは平年より2日早く、昨年より5日遅い。梅雨明けしていないのは、梅雨のない北海道を除くと、東北北部、南部、北陸となった。(19日付朝日)

・村の祇園祭。暑くなる。確かにこれまでも蒸し暑い日々が何日か続いたが、思い出にある昔の祇園前の猛暑とは比較にならないような気がする。草いきれ→夏、日光に強く照らされた草の茂みから起る、むっとした熱気。それがない。
 妻旧宅の方から大きな甕に入った梅干を発見抱えてきた。何時漬け込んだのか全く記憶がないという。東京に住む妻の兄貴に郵便局から送った。(21日)

・ 朝日新聞の一面トップ記事。
鉄道ストップ交通網混乱  M6.01都3県23人けが
 23日午後4時35分ごろ、千葉県北西部で強い地震があり、東京都足立区で震度5強、千葉県浦安市、埼玉県草加市、横浜市神奈川区などで震度5弱を観測。関東から近畿にかけての広い範囲で体に感じる揺れがあった。気象庁によると、震源の深さは焼く73キロ、地震の規模はマグにチュード(M)6.0と推定される。東京都内(島嶼部を除く)で震度5の揺れが観測されたのは13年ぶり。
この地震によるけが人は23人で、首都圏の鉄道が一時広範囲で運転を見合わせた。云々。
 朝青龍が栃東に勝って優勝を決めた。

・新聞を見たら昨日の地震は随分大きいとは思っていたが、東京では列車が止まったりエレベーターに閉じ込められたりして大変だったようだ。(24日)

・ 雨なり。風も強し。少し小降りになった機を捉えて、二階の雨戸を閉め雨養生をしたり。朝窓を開けておいたから、東の窓から雨がふっ込んでいた。分かっていることであるから、雨が降らないうちにやっておけば、良いわけだがそこが中々難しい。雨の中合羽を着、茶の間の前の雨樋、旧宅に雨どいのゴミをさらった。
 Tさんに「お茶でもやりにお出でになりませんかとメールを送ったら直ぐにお出でになった。
 梅干の大瓶を進呈した。雨は午前中にあがる。ブログを立ち上げた。「狸便乱亭ノート」とした。(26日)

・ 昨夜は颱風が来る気象情報で持ちきりだったのに朝起きたら台風が来た様子は全くなかった。夜明け蒸し暑さに昨日締めて寝た雨戸を開ける。雨も風も全くなし。
 《颱風は三陸沖を北上する見込み。東北と北陸は曇りや雨で激しく降る所もある。関東と当会は腫れて暑さが厳しい。―朝日新聞》(27日)


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朝日新聞投書欄「声」に靖国神社関連の記事あり。

 靖国ツアーはとても有意義
               主婦杉山恵美子(取手市40歳)
 私は祖父の慰霊のため毎年8月に靖国神社を参拝して、境内にある遊就館に立ち寄ってくる。9歳と11歳の2人の娘も連れて行く。遊就館の展示物は、戦争の事実を淡々と示しているにすぎない。
そこに当時の思想や社会情勢がパネルで表示してある。歴史を伝える多くの遺品や、機械や科学技術を知ることが出来る模型もある。しかし何よりも心をとらえられるのは、関係者からの寄贈品だ。血だらけの粗末な軍服、弾痕の残る飯盒、思想統制下で本音を書くことが出来なかった肉親への手紙。その悲しみに溢れた展示空間で、見学者はそれぞれに思いを巡らせるのだ。
 「靖国ツアーで 何が学べるか」(19日付)の投稿者が母国中国で受けたという愛国教育は、戦後の日本には存在しない。あれほど悲しい展示品を見て、戦争を美化し、英雄にあこがれるなどという発想は、普通の人には出来ないと思う。戦争体験のない世代は、戦争について教科書で数ページ学ぶ程度の知識しかない。私は戦争を知らない子供たちに靖国ツアーを行うことに賛成である。教科書に載せられないような愚かな事実を学ぶことは、とても有意義ではないか。(声25日付)

遊就館の展示 欠けた視点が 
               無職 芹沢 昇雄(埼玉県比企郡63歳)
 「靖国ツアーは とても有意義」(25日)に私見を述べる。筆者は、戦争について子供たちは教科書で数ページ学ぶ程度の知識しかなく、靖国神社の境内にある遊就館の展示は、事実を淡々と示しているに過ぎないという。
私は6月、中国東北部(旧満州)を訪れた。旧日本軍によって銃殺され埋められた、3千人あまりの民の遺骨を掘りこし集めた「平頂山遺骨館」や、ハルピンの731部隊跡などを見学した。現地で生き残った方の証言も,お聴きしてきた。靖国神社にはこのような加害の展示や戦争責任の視点がないことを自覚して、遊就館を見学してほしい。 
 先の戦争で310万人の日本人犠牲者を出した責任は、日本政府にあるが、靖国神社はその指導者であったA級戦犯も神として祭ったのである。一方、その戦争に巻き込まれ、犠牲になったアジアの民は2千万人以上もいた。いわゆる従軍慰安婦や強制連行・労働問題もあった。
靖国神社は「戦死は立派、ムダではなかった」と宣伝の場にも利用されているのである。それは、遺族の合祀反対や合祀取り下げ要請に応じないことでも裏付けられている。

戦争のむごさ もっと考えて
                 投稿者の氏名書き漏らして記載がない
 毎年8月、小学生の娘さん2人を連れて靖国神社に参拝し、境内の遊就館にも寄るという主婦の方の投稿(25日)を読みました。
慰霊のために参拝しているというお気持ちは分かりますが、「あれほど悲しい展示品を見て、戦争を美化し、英雄にあこがれるなどという発想は、普通の人には出来ないと思う」という見方には疑問を覚えます。
確かに展示品には血だらけの軍服や肉親への手紙もありますが、圧倒的に多いのは武器類です。大砲、戦車、などのほかに自爆兵器といわれる人間魚雷「回天」や特攻機「桜花」も展示されています。
どんな戦争でも悲惨なものです。兵士は勿論多くの市民が生命財産を失い、理不尽な暴力で人権を踏みにじられ、憎しみを増殖させられます。為政者はそのことを良く知っているからこそ、声高に大儀を叫び、愛国心を鼓舞し、喜んで国に身を捧げる国民を作り出し、戦いで命を落とした兵士を靖国神社に祭ったのではありませんか。
そして広島、長崎の悲劇を招きました。
靖国ツアーで、戦争の愚かさを、まったく学べないとは言いませんが、そのお気持ちがあるなら、娘さんたちを広島の平和公園や原爆資料館に連れて行ってあげてください。戦争のむごさを肌身で感じ、あの戦争は何のための戦いだったか、もっと考えるようになると思います。(声28日付)