今上天皇の即位
第百二十四代今上天皇は、大正天皇の第一の皇子にましまし、
(天長節)明治34年4月29日に生まれさせたまふ。大正5年御年16歳の時、立太子の礼を挙げさせられ、ついで内外多事の間に、摂政の御重責をはたしたまへり。
(天皇踐祚したまふ 昭和元年)先帝崩御の日、天皇たゞちに踐祚し、年号を昭和と改めらる。やがて文武百官を召して朝見の儀を行はせられ、かたじけなき勅語を賜ひ、すべて着実を旨とし、みずから工夫することにつとめて、日に日に人文を新にし、国民一体となりてますます国家の基礎を固くし、又広く世界の人々と交を厚くせよと仰せたまへり。
(御大葬の儀をあげたまふ)昭和2年1月先帝に大正天皇の御追号をたてまつり、2月御大葬の儀を挙げたまひて、多摩の御陵にをさめたまふ。
(天皇即位の礼を挙げたまふ)先帝の諒闇終りて昭和3年11月10日即位の礼を京都の皇宮にて挙げたまへり。此の日天皇御みずから賢所を拝して、皇祖天照大神に御即位の由を告げたまひ、ついで紫宸殿にいでしまし、高御座にのぼりて、あまねく之を臣民に宣したまふ。実にならびなき盛儀にして、国民ひとしく万歳をとなへて、之を賀したてまつれり。ついで大嘗祭を行ひたまひ、天皇親しく天地の神々をまつりたまへり。
(かたじけなき勅語を賜ふ)紫宸殿の儀に於いて、天皇の賜ひし勅語の中に、御歴代の天皇は、皇祖皇宗の大御心をうけつがせられ、わが国を御家として万民を愛撫したまふこと、あたかも慈母の赤子に於けるが如く、万民また互いに心を合わせ、天皇を国の御親とあふぎたてまつりて、忠誠をつくし、君民一体となりて今に及べり。これ実にわが国体の精華にして、まさに天地と共にきはまりなかるべしと仰せたまへり。まことにかしこき極みならずや。
(国民の覚悟)今や、我が国は5大国の一として、世界に於ける重要なる地位を占む。これ実に御歴代天皇の御盛徳と、国民世世の忠誠とによれり。さればわれ等国民は、よく国運発展の由来をつまびらかにし、おのおのその業に励み、一致共同してますます国家の富強を図り、進んで世界平和の為に力を尽くし、以ってわが国史に一層の光輝を加へざるべからず。
この文は文部省「尋常小学国史」下巻(尋常科6年で使用)
最後の第五十三 今上天皇(昭和天皇)の即位 の項である。 47字設定、22行の本文において、「御」17「たまふ」18 をふくめ、ましまし。挙げさせられ。行はせら。れかたじけなき。たてまつり。いでしまし。賀したてまつれり。うけつがせられ。あふぎたてまつりて。かしこき極み。の敬語の入らない行は(国民の覚悟)最後の2行のみである。
偉大なる将軍様も、敬愛する 先代同志様も、これだけの敬語で御囲まれ遊ばしたかどうかは愚生には解らないことだ。