狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

無責任の原点

2006-07-25 22:17:33 | 怒ブログ

(マッカーサー元帥を訪問された天皇(昭和20年9月27日)ご写真は天皇ヒロヒト L・モズレー 高田市太郎訳 毎日新聞社所載からコピーしたものである。)

 つぎに掲げる訴えは、支那事変がすでに2年をこえたころ、戦う兵隊のあいだにひろがった頽廃をうれえて書かれた文章である。
 この訴えを書いた火野葦平は、(1907~1961)は、徐州戦を描いた『麦と兵隊』でいちはやく戦争文学の第一人者となり、のちに広東、汕頭に転戦して軍曹で帰還した作家である。

>「われわれは祖国のために生命を投げだしている。それは国民として当然なさねばならないことをしているのであって、われわれはそれによって、国に恩を着せるべきでは毛頭にないのである。また、その気持をもって、だれにも強要し吹聴すべきではないのである。
 しかしながら、このことは非常にむずかしいことだと思われる。それは、私自身たびたび経験したことだからである。1時間、いな、5分、1分先に、われわれはもはやこの世にいないかもしれない。そのようなわれわれであってみれば、なにもこのくらいのことはしてもとがめられることはないではないか。その気持はわれわれからぬけない。

 私自身もその気持ちの起こるたびにおどろき、これを抑えた。兵隊がみなその気持をいだいていたことは、私にはよく分かる。それは、しかし、もっとも危険なことだと思われる(略)

 われわれはいま弾丸の中にある。戦場にある。なにを考え、なにを反省しても、死んでしまいばそれきりだ、と、われわれはともすれば考えがちである。それはいけない。たとえ1時間先に死のうとも、その1時間のあいだを、兵隊として、人間として、りっぱに生きる、ということが必要である。その兵隊の精神によってのみ、われわれの軍隊がたぐいなく美しい軍隊となり、かがやける軍隊となることができるのだ。

われわれ兵隊は事変の真の意義をだれよりもよく理解していなければならない。そうすればわれわれが銃をとって敵国の軍隊を徹底的に撃砕することは当然であっても、支那の民衆はまったくわれわれの敵ではないということがただちにわかるはずである。
私はしかつめらしい顔をして、無辜の支那民衆を愛護せよ、などといっているではない。私は兵隊としての心の美しさについて語っているのである。 私がなぜこのようなことを言わねばならないか。

率直にいえば少しく戦火のおさまった占領地域内において、残留している支那民衆に対して、いくぶん不遜と思える態度をもってのぞむ兵隊をときどき見るからである。あくまでも戦勝者とし、征服者として、支那の民衆に対すべきでない。支那人に対して、どんなにいばってみたところで、兵隊のねうちがちっともあがるわけのものでもなく、その兵隊がえらく見えるわけのものでもない。
では、どのようなことが占領地内で見られるか。そんなことをいちいち例をあげることはない。  われわれ兵隊のひとりひとりが、興亜の聖戦を身をもって完成する覚悟が必要である。

それでこそわれわれが筆舌につくしがたい労苦を、弾丸と泥濘と山岳の中ですごしてきたかいもあるというものだ。われわれはいままったく個人ではない。われわれひとりひとりが、日本であり、歴史である、ということを自覚しよう。」 (火野葦平『戦友に愬ふ』1939年)

この火野の訴えは、事変中に書かれたもっとも美しい文章のひとつといえるかもしれない。唯、火野はいわゆる「聖戦」の目的については、なんらの疑いも抱いていないようにみえるし、中国の抗日戦争の根本精神についても、なんらの理解ももっていないようにみえる。日本兵のひとりひとりがどんなにりっぱで美しくあっても、中国国民が日本軍の占領そのものを決して望まないであろうということに、すこしも目を注いでいないように思われる。(記録現代史 日本の百年3「果てしなき戦線」筑摩書房)

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ開放ニ協力セル諸連邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス  (終戦ノ詔書抜粋 ) 

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 敗戦にいたった戦争のいろいろの責任が追及されているが、責任は全て私にある。文武百官は私の任命する所だから、彼等に責任はない。私の一身はどうなろうと、構わない。私はあなたにお任せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」(20・9・27)(『侍従長の回想』)       

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「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためにおたずねした」(『マッカーサー回想記』下142ページ)=昭和天皇語録黒田勝弘 畑好秀編講談社学芸文庫        

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――「天皇陛下はホワイトハウスで『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がございましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか」質問したのは英紙タイムズの日本人記者中村浩二(当時57歳、82年に死去)だった。
天皇が答えた。「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」(50・10・30日本記者クラブの記者団との会見における発言)(『朝日新聞2006・7・13付歴史と向き合う』)