恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

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海賊対処法案と様々な「不要論」

2009年04月23日 | 外交・国際
■ 警察「不要論」

 「海賊が出た」とさえ言えば、世界中どこにでも海上自衛隊を派遣する「海賊対処法案」が23日、衆議院を通過しました。
 そもそも、「海賊」というのは「犯罪」であり、これへの対応は海上保安庁や警察が行うべきものです。
 それを、防衛大臣が「特別の必要がある」と言えば、これを自衛隊に担当させるというのです。
 例えば、どこかで暴力団が抗争を始めたとします。もちろん警察が対応すべき事件ですが、暴力団が銃などで「武装」していることを理由に、警察が職務を放棄し、自衛隊に対応を求めたとすれば、どうなるでしょうか。たちまち、「自衛隊さえいれば警察は必要ありませんね」と言われることでしょう。
 「海の警察」海上保安庁も同じことです。
 自衛隊の海外派遣の「実績」づくりや、武器使用基準の緩和にとらわれるあまり、警察「不要論」さえ見失っているのですから、正に「狂気の沙汰」です。

■ 国会・与党議員「不要論」

 さて、与党と民主党は、これまで法案修正を目指して協議を重ねてきました。その中で最大の争点は、派遣するにあたって国会がどう関与するのか―という点でした。
 民主党は、国会での「事前承認」が必要だと主張しましたが、与党は「事後報告」にこだわりました。
 結局はこれが折り合わず、修正協議は決裂し、与党は「事後報告」のまま押し切ることにしたのです。
 これもまた「狂気の沙汰」です。
 自民党であろうが公明党であろうが、国会議員は国民の「代表者」であり、国民は「代表者」を通じて行動するものです。だからこそ国会は「国権の最高機関」なのです。
 それにもかかわらず、国会議員が「できるだけ国会の関与を遠ざけるべき」という主張をするなど、それこそ「国会不要論」に他なりませんし、自らの職務を放棄する行為に他なりません。
 そのような議員さん方は、自分たちが国民の「代表者」であることを見失い、国会が「国権の最高機関」であることを忘れた人々だと言われても仕方ありません。ただちに議員辞職し、引退なさるべきでしょう。

■ 民主党「不要論」

 ところで、この法案が衆議院で強行されることになった途端、「今国会で成立見込み」と報じられました。民主党が審議を「引き延ばさない」という方針だからです。
 不思議な話です。
 今国会の会期は6月3日までであり、まだ会期延長は決まっていません。参議院で60日間引っ張り続ければ「継続審議」になる可能性も残っています。
 次に召集されるのが、臨時国会であっても、特別国会であっても、「総選挙後」であることは間違いありません。
 そのとき、与党が衆議院での「再議決」に必要な3分の2の議席を維持することは、まずありません。当然、この「狂気の沙汰」の海賊対処法案は潰れます。
 そんなことも分からずに、すんなりと「どうぞ再議決してください」と譲る民主党にも、「不要論」を突き付けるべきでしょう。

■ 自衛隊派遣「不要論」

 さて、成立見込みの与党案が、どさくさ紛れに「世界中どこにでも自衛隊派遣」を企図していることは既に書きましたが、当面は「ソマリア沖」を念頭に置いていることは間違いありません。
 確かに「海賊」は厄介です。周辺海域は、日本に原油を運ぶタンカーも通ります。対策まで「不要」とは私も思いません。
 だからと言って「各国が軍を派遣し、取り締まっているのだから日本も…」という議論に同調するほど、愚かではないつもりです。
 「各国は軍を派遣して取り締まっているが、それでも海賊は尽きない。取り締まりという対症療法は他国に任せ、日本としては本当の原因を探り、根本的な解決を図ろう。」
 このような「逆転の発想」がなければ、日本という国の存在が「かすむ」ばかりでしょう。
 そして、こうした発想に立つとき、自衛隊の派遣は「不要」になるのです。

■ 軍事「不要論」

 ソマリア沖の「海賊」の多くは、元は漁業で生活していた人々です。ところがソマリアは無政府状態に陥ったため、彼らは「犯罪」を繰り返すのです。
 ソマリアの無政府状態は、内戦が繰り返された後に、国連や周辺諸国が協力して樹立させた暫定政権に対し、米国が反政府ゲリラや隣国エチオピアをけしかけ、引き続き戦争を繰り返したことが原因でした。
 ですから、本来ならば、米国が責任を持ってソマリアを再建し、人々が「犯罪」に手を染めなくても暮らしていける環境を整えれば事態は解決に向かうはずです。
 しかし米国はそれができません。ソマリアの現在のアハメド暫定大統領は、かつて米国がけしかけたエチオピア軍に蹴散らされたイスラム原理主義組織「イスラム法廷連合」の指導者であり、米国にしてみれば、かつての「仇敵」です。
 日本も、米国とのお付き合いから、この暫定連邦政府をまだソマリアの政府としては承認していませんが、こういう事態だからこそ関係改善を進め、支援を行い、ソマリア国内の警察力を高め、国が「海賊」を取り締まれるように力を貸すべきではないでしょうか。
 このことが実現されれば、そもそも各国がこの海域に軍事力を投入する必要はなくなります。こうした軍事「不要論」こそが、より根本的な解決を図る道でしょうし、憲法9条を持つ日本らしい関わり方であるはずです。


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2 コメント

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マスコミの真価 (Ladybird)
2009-06-20 01:36:38
 自衛隊の海外派遣を含め,いま日本では国際的な事情にどう対処するかという判断が求められることが増えています.けれども日本のマスコミは,その判断の基礎となるべき国際ニュースをあまり報道しません.日本のマスコミの真価がいま問われていると思うのですが,当のマスコミにその自覚がないように思います.
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メディアに「自覚」がないからこそ (goo-needs)
2009-06-20 02:08:35
コメントをお寄せ頂き、ありがとうございます。
メディア(マスコミ)に対してのご指摘、正に同感です。
その答えになるか分かりませんが、きくちゆみ様が以前、私の地元にいらしたとき、インターネットが普及した今、「一人一人がメディアになれる時代だ」と説いて下さいました。

メディアの側に「真価が問われている」という「自覚」がないからこそ、私たちが「第二のメディア」として声を上げていかなければならないと思います。

「ジャーナリズムは第四の権力」と申しますが、「ジャーナリズム」はメディアだけの特権ではありません。
私は、こうした一人一人の動きが、メディアの側の「発奮」を促すことにつながるのではないか、という期待もまだ捨ててはいません。

もとより、文才に乏しい私ですが、まず自分ができることから始めていきたいと思っております。

goo-needsより
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