先週末、インドネシアより帰国後4日目で福島での試合に行ってきました。
福島への移動ももちろんマイカーで自走。
長距離の運転も苦ではないので、200数十キロ程度のドライブは余裕のヨロレイヒ~(笑)
遠征の疲れなども全然ありませんでした。
だって心が晴れ渡っているから(笑)
それくらいにインドネシアでの経験が大きな財産になっているということでしょう。
木曜日に帰国し、その日はコーチと調整出来たけど、金土は練習出来ず、しかも金曜日は時間の合間を縫って某所へごく短時間サーブ練習しに行くも、台は使えず、さらに20分間確保出来た卓球マシンはボールがセルロイド(数年前にルール変更する前の、今とは企画の異なるボール)、持参したボールも使えない環境なので、仕方なしにセルロイドボールのマシンで20分間の気休めをする(笑)
土曜日は午後に都の育成プログラムがあり、その講義を受講してから福島へ。
今回は前泊することにしていたので、移動にも余裕が持てたのでした。
そして試合。
予選リーグは4人中2人が棄権という残念なものに。
でも偶然の手違いもあり、急遽1人加わって3人での予選。
そこは無難に1位通過することが出来たのでした。
この時も今までの自分とは異なる感覚があり、改革はまだ始まったばかりだけど「あぁそういうことか」と、そこに確かな手ごたえを感じ、確実に前進できていると自信につながった予選なのでした。
そして本戦1回戦。
残念ながらそこで敗退。
やらかしちゃった感が否めません。
いや、調子は悪くは無かった。
自分らしく出来ていたと思います。
頭も働いてたし、視界も広く持てていた。
だけどミスが多かった。
相手に点を取られるのではなく、自分が点を「与えた」結果負けてしまうといった内容。
具体的にどういうミスで点を与えたのかもしっかり見えている。
でもゲーム中にそれを修正できていなかった。
そもそも、ミスを多発したのは自分自身の驕りがそこにあったからだと思います。
調子は悪くない。
海外から帰国したばかり。
だからちょっと気持ちが大きくなって、自信過剰の状態で、だから無意識のうちにイケイケで行き過ぎちゃってたのかもしれない。
国内卓球と海外の卓球(車椅子)は違うって分かっているはずなのに、海外卓球のままで行きすぎちゃった結果の自滅。
アホです。
その後も最後まで観戦し、なるほどと勉強させていただき帰路へ。
帰宅後は今一度インドネシア大会の自分の試合動画をチェック。
あぁなるほどね、と確認。
まずミスを多くするということは、それはまだ自分自身の技術には出来ていないということなので、そこを勘違いすることなく、でも自信を持って、胸を張って活動していこうと思います。
最後に、今回も「棄権」という選手が複数ありました。
不慮の体調不良や怪我であればいたしかたないことだと思います。
でも「棄権したいから棄権する」だとしたら、僕はそれは間違った選択ではないかと思います。
「スポーツマンシップ」に反する行為だと思うのです。
「試合」というのは文字通りお互いの積み重ねてきたものを「試し合う」神聖な場所。
国技では塩をまくものもあるほどです。
日本人としての「道」はまず相手だけでなく環境を含めた全てへの感謝、敬意から始まる、そういう精神にあるはずですし。
決勝戦まで行けばそれなりの試合数になるのは当然なわけですから、それだけの試合をやってのけるだけの体力面を備えておくこともまた必要不可欠。
そうした選手が会し、全力をぶつけあい、勝敗にかかわらず互いの努力をたたえ合う。
そこにスポーツの素晴らしさが存在し、見るものにも感動を与えるのだと思います。
僕の経験で最も印象深かったのは、ある国際大会でのワンシーンです。
団体戦で日本人選手のパートナー(外国人)が、タイムテーブルを勘違いしていたらしく、試合の時間に会場にいなくて、みんなで方々探したのですが結局は棄権ということになりました。
日本人選手も棄権扱いとされ、すごく悔しがっていましたが、それ以上に悔しがり、激高していたのは対戦相手の選手でした。
彼は会場にいた日本人選手に対し、「お前がパートナーとしっかりコミュニケーションを取っていればこんなことにはならなかったはずだ!俺たちはここへ試合をしにきているんだ!それはお前も同じだろう?それなのにこれはおかしな話だろう?こんなバカげた話しは失礼極まりない!」「お前はサムライじゃない!」と非難の言葉を吐き捨てたのを僕は今でもはっきりと覚えています。
その日本人選手も気の毒ではありますが、その時「棄権する」ということがどういうことなのかを僕は学んだのでした。
ですので、棄権をするというのは相手への礼を失する行為でもあると僕は考えます。
だからこそ、怪我でも体調面でも理由は関係なく、棄権をする、あるいはしたのであれば、それに対する真摯な謝罪も必要でしょうし、そういうところまでをもひっくるめての「スポーツマンシップ」だと僕は考えます。
だからこそ、試合にエントリーするのであれば、それなりの「覚悟」が必要なわけで、覚悟があればこそ試合当日までの体調管理、コンディションの調整なども自ずと出来ていくはずです。
「エントリー料、旅費がもったいない」「団体戦のメンバーが足りなくなる」「チームメイトが怒る」といった理由だけを考えるのはスポーツマンじゃない。
もし、選手が障害を理由にそういうことを甘く考えているとしたら、そんな選手のパラ競技はいつまでたっても評価を得ないでしょう。
僕は少なくとも、同じ車椅子のバスケやラグビー、テニスやマラソンの選手達がそういう感覚で試合に挑んでいるとは思えませんから。
2020年を間近に迎え、日本のパラ競技、障害者スポーツも注目を集め、選手個人へもより多くのスポットが当たるようになってきています。
その時に「あぁ障害者はやっぱりそんなもんだよね」と思われたのでは、それは結果的に社会のバリアフリーの妨げにもなるはずです。
スポーツという舞台で、例え僅かでも人の目に触れるのであれば、そこはやはり「障害者代表選手」として立ち居ふるまうべきでしょう。
それが結果的に国内の競技人口を増やすだけでなく、障害者の社会進出へも繋がっていくものだと僕は考えます。
選手としての責任を全うする。
それがスポーツマンシップの根底だと思います。
ついでのつもりが長くなっちゃった(笑)
「人のふり見て我がふり直せ」は子供の頃に父から度々言われた言葉。
あらためて、またひとつ勉強をさせていただきましたが、逆に僕はそう思われることのないよう、厳しく取り組んでいこうと思いました。
さぁまたすぐに国内のローカル大会。
気を引き締めて、コンディションを崩すことなく万全の状態で挑みたいと思います。
福島への移動ももちろんマイカーで自走。
長距離の運転も苦ではないので、200数十キロ程度のドライブは余裕のヨロレイヒ~(笑)
遠征の疲れなども全然ありませんでした。
だって心が晴れ渡っているから(笑)
それくらいにインドネシアでの経験が大きな財産になっているということでしょう。
木曜日に帰国し、その日はコーチと調整出来たけど、金土は練習出来ず、しかも金曜日は時間の合間を縫って某所へごく短時間サーブ練習しに行くも、台は使えず、さらに20分間確保出来た卓球マシンはボールがセルロイド(数年前にルール変更する前の、今とは企画の異なるボール)、持参したボールも使えない環境なので、仕方なしにセルロイドボールのマシンで20分間の気休めをする(笑)
土曜日は午後に都の育成プログラムがあり、その講義を受講してから福島へ。
今回は前泊することにしていたので、移動にも余裕が持てたのでした。
そして試合。
予選リーグは4人中2人が棄権という残念なものに。
でも偶然の手違いもあり、急遽1人加わって3人での予選。
そこは無難に1位通過することが出来たのでした。
この時も今までの自分とは異なる感覚があり、改革はまだ始まったばかりだけど「あぁそういうことか」と、そこに確かな手ごたえを感じ、確実に前進できていると自信につながった予選なのでした。
そして本戦1回戦。
残念ながらそこで敗退。
やらかしちゃった感が否めません。
いや、調子は悪くは無かった。
自分らしく出来ていたと思います。
頭も働いてたし、視界も広く持てていた。
だけどミスが多かった。
相手に点を取られるのではなく、自分が点を「与えた」結果負けてしまうといった内容。
具体的にどういうミスで点を与えたのかもしっかり見えている。
でもゲーム中にそれを修正できていなかった。
そもそも、ミスを多発したのは自分自身の驕りがそこにあったからだと思います。
調子は悪くない。
海外から帰国したばかり。
だからちょっと気持ちが大きくなって、自信過剰の状態で、だから無意識のうちにイケイケで行き過ぎちゃってたのかもしれない。
国内卓球と海外の卓球(車椅子)は違うって分かっているはずなのに、海外卓球のままで行きすぎちゃった結果の自滅。
アホです。
その後も最後まで観戦し、なるほどと勉強させていただき帰路へ。
帰宅後は今一度インドネシア大会の自分の試合動画をチェック。
あぁなるほどね、と確認。
まずミスを多くするということは、それはまだ自分自身の技術には出来ていないということなので、そこを勘違いすることなく、でも自信を持って、胸を張って活動していこうと思います。
最後に、今回も「棄権」という選手が複数ありました。
不慮の体調不良や怪我であればいたしかたないことだと思います。
でも「棄権したいから棄権する」だとしたら、僕はそれは間違った選択ではないかと思います。
「スポーツマンシップ」に反する行為だと思うのです。
「試合」というのは文字通りお互いの積み重ねてきたものを「試し合う」神聖な場所。
国技では塩をまくものもあるほどです。
日本人としての「道」はまず相手だけでなく環境を含めた全てへの感謝、敬意から始まる、そういう精神にあるはずですし。
決勝戦まで行けばそれなりの試合数になるのは当然なわけですから、それだけの試合をやってのけるだけの体力面を備えておくこともまた必要不可欠。
そうした選手が会し、全力をぶつけあい、勝敗にかかわらず互いの努力をたたえ合う。
そこにスポーツの素晴らしさが存在し、見るものにも感動を与えるのだと思います。
僕の経験で最も印象深かったのは、ある国際大会でのワンシーンです。
団体戦で日本人選手のパートナー(外国人)が、タイムテーブルを勘違いしていたらしく、試合の時間に会場にいなくて、みんなで方々探したのですが結局は棄権ということになりました。
日本人選手も棄権扱いとされ、すごく悔しがっていましたが、それ以上に悔しがり、激高していたのは対戦相手の選手でした。
彼は会場にいた日本人選手に対し、「お前がパートナーとしっかりコミュニケーションを取っていればこんなことにはならなかったはずだ!俺たちはここへ試合をしにきているんだ!それはお前も同じだろう?それなのにこれはおかしな話だろう?こんなバカげた話しは失礼極まりない!」「お前はサムライじゃない!」と非難の言葉を吐き捨てたのを僕は今でもはっきりと覚えています。
その日本人選手も気の毒ではありますが、その時「棄権する」ということがどういうことなのかを僕は学んだのでした。
ですので、棄権をするというのは相手への礼を失する行為でもあると僕は考えます。
だからこそ、怪我でも体調面でも理由は関係なく、棄権をする、あるいはしたのであれば、それに対する真摯な謝罪も必要でしょうし、そういうところまでをもひっくるめての「スポーツマンシップ」だと僕は考えます。
だからこそ、試合にエントリーするのであれば、それなりの「覚悟」が必要なわけで、覚悟があればこそ試合当日までの体調管理、コンディションの調整なども自ずと出来ていくはずです。
「エントリー料、旅費がもったいない」「団体戦のメンバーが足りなくなる」「チームメイトが怒る」といった理由だけを考えるのはスポーツマンじゃない。
もし、選手が障害を理由にそういうことを甘く考えているとしたら、そんな選手のパラ競技はいつまでたっても評価を得ないでしょう。
僕は少なくとも、同じ車椅子のバスケやラグビー、テニスやマラソンの選手達がそういう感覚で試合に挑んでいるとは思えませんから。
2020年を間近に迎え、日本のパラ競技、障害者スポーツも注目を集め、選手個人へもより多くのスポットが当たるようになってきています。
その時に「あぁ障害者はやっぱりそんなもんだよね」と思われたのでは、それは結果的に社会のバリアフリーの妨げにもなるはずです。
スポーツという舞台で、例え僅かでも人の目に触れるのであれば、そこはやはり「障害者代表選手」として立ち居ふるまうべきでしょう。
それが結果的に国内の競技人口を増やすだけでなく、障害者の社会進出へも繋がっていくものだと僕は考えます。
選手としての責任を全うする。
それがスポーツマンシップの根底だと思います。
ついでのつもりが長くなっちゃった(笑)
「人のふり見て我がふり直せ」は子供の頃に父から度々言われた言葉。
あらためて、またひとつ勉強をさせていただきましたが、逆に僕はそう思われることのないよう、厳しく取り組んでいこうと思いました。
さぁまたすぐに国内のローカル大会。
気を引き締めて、コンディションを崩すことなく万全の状態で挑みたいと思います。