気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く34 その9 「細見です!!」

2020年02月14日 | 大洗巡礼記

  梅原屋にて展示品の数々を見、お店の橋本さん達と話したりしました。そのうちにNさんも到着して、いつものように模型談義も楽しみました。

 

 こちらの作品は初めて見たかな・・・?ピンクのロールスロイスは、どうみてもペネロープ嬢のあの車です。ダージリンをペネロープ嬢のポジションに置いてもさして違和感がありませんから、サンダーバード大好きなNさんが独自のアドリブで組み合わせたのでしょう。

 

 こちらはカメさんチームの38(t)戦車です。御覧の通りフルインテリア仕上げですが、これはドラゴンのフルインテリアキットを使用しているのでしょう。私も同じキットを経験していますが、Nさんの作品では車体前面の張り出し部分の改造状況が独特です。前面左側で斜めに装甲を張って側面に繋いであります。

 

 砲塔は、側面と背面とで切り離して内部空間をオープンにするという思いきった手法によって弾薬箱などがよく見えるようになっています。こういう見せ方は、なかなか思いつかないものだと思います。発想というか、視点が柔軟かつ自在でなければ、こういう方法には行き着かないでしょう。
 ですが、Nさんは、私が製作中の特二式内火艇カミの事が気になるらしく、そちらのほうで色々話してきました。インテリアはどうやって作ったのか、車内に構造材を仕込んでるのは初めて見た、サスペンションは内側にあるんだね、等々。

 

 しかし、私は上図のジオラマに使われている鉄骨トラスのパーツがずっと気になっていました。これいいなあ、私もジオラマ作る時にこういうパーツ使うだろうな、と思って以前に調べたのですが、模型店で見かけるのはサイズが異なるホビーベースの製品群なので、他のメーカーの製品だということは分かりましたが、それがなかなか分からなかったからです。

 それでNさんに訊いたところ、Nさんも製品名とかをハッキリ覚えていなかったようで、ネットで検索してたまたま見つけたのを適当に調達したんだ、とか何とか話していました。詳細が分かったら後でメールして下さい、と依頼しましたが、その返事は翌日にいただきました。諏訪姫フィギュアシリーズで知られる長野県のピーエムオフィスエーの製品だったのでした。

 

 その日の夕食はNさんの提案で大森に行きました。細見のパネルが元気よく迎えてくれました。

 

 以前にも食事をしたことがある、上図の細見コーナーです。ファンからの寄贈色紙も公式グッズも増えているようでしたが、もともとの壁面スペースが限られていますので、急速な増加は無理であるようです。

 

 模型好きとしては、やっぱり上図の立体フィギュアに興味がいきます。細見のフィギュアは初めて見ましたが、Nさんによれば公式品ではなく、ガレージキット品だということです。製作元は私と同じ京都の人で原型師の方であるそうですが、名前は知りませんでした。

 

 横から見るとなにか不自然に上半身を反らせている感じです。元のパネルデザインがそういうふうに見えますから忠実に立体化しているのでしょうが、二次元の絵をそのまま三次元に置き換えると、作品によっては多少の違和感も出てくる場合がある、という話を思い出しました。
 その分かりやすい事例がドラえもんのスネ夫の髪形であったり、名探偵コナンの毛利蘭の髪形であったりするわけですが、ガルパンのキャラクターではそこまで極端なケースはありませんから、上図の細見も許容範囲におさまるのでしょう。

 食事をいただきながら、Nさんに問われるままに、製作中の特二式内火艇カミのキットの事を色々話しました。
 既にツイッターで時々書いたように、知り合いの旧日本海軍の横須賀特別陸戦隊所属の元少尉で、戦時中はパラオ方面特別派遣隊として特二式内火艇カミの艇長を務めて敵機や敵潜水艦との交戦も経験した方の教示監修により、従来はほとんど知られなかったカミの内部を細部やエンジンに至るまで忠実に再現製作しています。

 あわせて、これまで一切語る事の無かった、カミでの戦闘体験やカミの構造および操作方法などを、元少尉本人が秘蔵されてきた写真、記録、図面などの資料も見せていただきながら色々と伺いました。
 そのため、現時点まで公においては不明の部分が多い特二式内火艇カミの詳細や実態が初めて明らかになったのでした。カミの乗員や関係者は今では元少尉の方をのぞいて全員が戦死または物故されているため、戦後に出されたカミに関する資料類にも経験者による体験談やエピソードの類が一切無く、研究者による考察も憶測や推定による部分が多いです。パラオのコロール島などに現存する実車を取材した記事もありますが、失われた部分のほうが多いため、分からない事のほうが依然として多いようです。

 なので、ガルパンの特二式内火艇カミについても、戦時中のカミの詳細や実態を知らないガルパン製作スタッフの方々によって構成されています。それで元少尉の方にお願いして最終章第2話の上映にも行っていただきましたが、色々と感心すると同時に苦笑もしておられたので、やっぱり本物のカミの実態とはかけはなれているのだな、と感じた次第です。

 しかし、それがキッカケとなって、元少尉の方がカミに関する述懐を初めて話して下さったので、非常に多くの事が明らかになりました。私の模型製作とくにインテリア部分の再現過程が、その証言および提示資料類をふまえたものであることは言うまでもありません。

 なので、いずれ拙ブログにてレポートする知波単学園の特二式内火艇カミの製作記事では、そうした元少尉の方の教示監修内容もあわせて紹介することになります。一応許可はいただいているものの、元少尉が搭乗したカミも敵機の攻撃により撃沈され、同乗の乗員は全て戦死されています。パラオ方面の玉砕戦の経緯も含まれるため、そうした部分は伏せておきたいと思います。あまりにも悲惨な話ばかりで、私自身も涙を禁じ得ないからです。
 したがて、カミに関する新たな知見、情報に関しては、模型製作に関連する事柄のみにとどめて私なりに簡潔に綴ってみる予定です。

 以上の事柄を簡潔にNさんに話し、私なりの想いなども伝えました。カミに関する話はミリタリー関係に詳しいNさんでさえ、初めて聞くものばかりであったようでした。
 その後、今年6月に大洗で開催される予定の「第二回 大洗でみんなのガルパン模型やガレキなどを鑑賞する会」に星野さんも参加したほうがいい、と勧められ、とりあえず参加を検討する方向でツイップラの該当記事の「興味あり」の項に登録もしておきました。
 Nさんはその展示会に黒森峰のエレファントを出す予定であるようですが、星野さんはそのカミを出したほうがいい、と勧めてきました。そういうことになるのかな、と私も考えましたので、いちおうカミを出すということで仮にまとめました。

 ですが、カノウヤさん応援作戦の寄託展示計画が具体化するなかで、そのカミも出してくれということになり、6月を待たずにカミが大洗に展示される可能性が高くなってきました。そうなると、「第二回 大洗でみんなのガルパン模型やガレキなどを鑑賞する会」への出品の意義もあまり無くなってくるように思いますので、参加の可否を再検討する流れになるかと思います。

 

 夕食後は大洗駅まで送っていただきました。Nさん、今回も色々お世話になり有り難うございました。

 

 帰りの水戸行き列車は、御覧の通りのガルパンラッピング車輌の4号車でした。昼間はあまり見かけませんが、このとおり夜間に運されているからでしょうか。

 

 今回の巡礼行においては、水戸内原の友人U氏宅に三泊する形でお世話になりましたので、この日の夜も水戸駅経由で内原まで移動し、駅までU氏に迎えにきていただきました。その夜は例によってミニ同窓会状態でしたが、おたがい朝が早いので、就寝時刻も早めにしました。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く34 その8 「梅原屋です!!」

2020年02月13日 | 大洗巡礼記

 お馴染みの鳥孝に立ち寄りました。稲石さん夫婦は商品の仕込みで忙しそうでしたので、挨拶と近況報告だけにして1分ぐらいで退出しました。
 その際に稲石さんにいつまで滞在するのかを聞かれ、とりあえずはケイ誕の日まで、と答えました。すると「ケイ誕はさ、ウチも出店やるんだよ。焼き鳥とかさ」と言われました。稲石さんも出るんですか、と聞くと「いや俺は休みだからさ、若い連中に任せとくんだよ」と笑っていました。

 

 次の目的地は梅原屋でした。途中でお好み焼き道の建物をちょっと見学しました。ツイッター上で交流のある広島県のガルパンファンの方がこの建物のジオラマを作っているのですが、どうやらお店に寄贈する前提での製作であるようです。

 ですが、以前にお店のほうに話を聞いたところ、模型の寄贈の件は御存知なかったようで、ちょっと困惑気味でした。店内のガルパンコーナーももう一杯になっており、新たな寄贈品はこのところ辞退しているそうなのです。
 それで、その広島県の方とツイッター上で連絡を取り合って、模型を寄贈するのであれば、いきなり渡すのではなく、事前に相談しておくなり許可を得るなりしておいたほうが良い、という旨の事を伝えておきました。

 この方に限らず、ガルパンの戦車やジオラマの模型の寄贈は、これまで寄贈先店舗に無断で一方的になされてきたため、最近はそれに関する批判の声も聞かれるようになったそうです。寄贈品のなかで最もスペースをとる品であるうえ、維持管理も大変であるので、お店によっては寄贈品の扱いに困っているところもあるそうです。
 なので、私なども以前に二度ほど「このプラモデル寄贈されたんだけどどうしたらいい?」というような相談を受けたことがあります。その際に「良ければ展示して下さい」「困るのであれば仕舞うか捨てて下さい」と応じました。寄贈品なので寄贈者は完全に所有権も管理権も手放しているわけです、どうするかは寄贈されたお店の側の自由です、という形で説明しました。後日に話を聞いたところ、本当に廃棄処分した事例があったようです。

 こういう状況であるので、あんこう祭の日にスタートしているカノウヤ応援作戦での店内展示品は全て寄託品のみで構成し、寄託した人が責任を持って寄託品を管理しメンテナンスする、というように決めてあるわけです。それまでの寄贈品は女将さんが全て片づけて処分したそうなので、明日から再開予定の応援作戦にて新たに入る品々は全て寄託品となります。

 なので、私自身のガルパン戦車模型を出してくれ、という要望に対しても、寄託品であることによって初めて応じる事が出来ます。私は、どんなことがあっても模型の寄贈は絶対にやりませんが、寄託なら応じます。一定期間のみ大洗へ貸し出す、という形でです。
 ただ、どの模型を寄託するかは、まだ決まっていません。仮案としては、現時点で大洗のどの店舗にも展示されていない最終章仕様の知波単学園戦車部隊、というのがありますが・・・。

 

 いつもの夕方の静かな街中の景色です。

 

 梅原屋に着きました。このお店に来るとなんだか心が落ち着きます。安らぎます。

 

 なぜかというと、素晴らしいガルパン模型作品の数々が陳列展示されていて楽しく過ごせるからです。模型好きにとっては至福の空間です。以前より縮小されているのは残念ですが、展示品の濃厚さは不変です。

 

 単体作品もあり、ジオラマ作品もあります。ただ作ったというのではなく、オリジナルのガルパンストーリーを自由自在な発想で面白く設定しておき、それに沿ってアニメ本編にも無かった場面や風景を構築しているというのが素晴らしいです。

 それは、ある意味では模型制作の究極の形の一つであると思います。立体物ですから、アニメの世界観よりもリアルに表現度を上げることが出来ます。もともガルパンは、数あるアニメ作品の中でも突き抜けた独特のリアリズムを内包している作品ですので、リアルに作って初めて表れてくる味わいや余韻の広がりが非常に大きく深いです。
 私が梅原屋に展示されるNさんの作品群を手放しで賞賛しているのも、ただ素晴らしいからではなく、立体化によって得られる味わいや余韻の広がりが無限の可能性を示している点に感動し着目しているからです。その可能性のステージに自分を立たせてみたら、果たしてどのような作品への情熱に包まれてゆくのだろうかという、ワクワクするような想いに駆られるからです。

 

 だから、上図のようなオリジナルの発想ストーリーを具体化したガルパンジオラマには、とても惹きつけられます。いつか自分もこういうジオラマに挑戦してみたい、と思うようになってきていますが、現時点ではまだ確かなイメージが自分の中に形をなしていません。自身が作りたいガルパンの世界が、まだ自分でも見えていないのです。
 でも、いずれは見えてくるだろう、いつかは必ず見えてくる。こう思い続けて楽しみにしています。

 

 ところで、以前の陳列スペースにあった作品群の幾つかは、反対側の棚に移されて展示してありました。つまり、全体的にはそんなに減っていないという感じです。

 

 サメさんチームのマークⅣですね。このフルインテリア仕様の作品が、私のフルインテリア製作への原動力となりました。

 

 このカメさんチームは、どうも初めて見た気がします。以前の展示にて見かけた記憶がありませんので・・・。

 

 BC自由学園チームのマリー隊長のFT-17のハーフカット形式のフルインテリア作品です。これも再び見られるようになっているのは嬉しいことです。これほどに見応えのあるFT-17の模型展示というのは、大洗では他には存在しませんから・・・。

 

 知波単学園チームの九七式中戦車チハです。Nさんは「劇中車に合わせて作ってないから迷彩も適当だよ」と話していましたが、その通り、公式設資料にある4種類の迷彩パターンのいずれにもあてはまりません。むしろ実際の旧帝国陸軍の車輌の雰囲気のほうに近いです。

 

 去年6月の「大洗でみんなのガルパン模型やガレキなどを鑑賞する会」にも出品したという、アンツィオ高校チームのCV33の三分割立体フィギュア付き空間ジオラマです。縦に三分割してトリオの一人ずつを配分するというアイデアが斬新です。
 ガルパン模型のモデラーは全国各地に数多くいらっしゃるでしょうが、こういう岡本太郎的な発想で、棟方志功ばりの緻密さで、大胆に空間を生かして見せてくる、いや魅せてくる、という方はなかなか居られません。

 

 アヒルさんチームのオリジナルストーリージオラマです。戦車と自動車とが共に在りますが、見どころは自動車のほうに集中的に作り込んであるという、一見しただけでは分かりにくい「遊び心」満載の作品です。バカには見えない「面白味」が詰まっているのが笑えます。こういう作品も作ってみたい気がしますが、私にはNさんのようなユーモアのセンスが乏しいのですね・・・。  (続く)

 


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鹿児島竪琴高校 九五式軽戦車 作ります!! その3

2020年02月12日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8では、砲塔を組み立てます。ガイドの指示通りに進めます。

 

 ガルパン公式キットにもなっている現在の第三版製品と比べて、全体的にモールドがあっさりしていて大らかな印象がある旧版のパーツです。個人的にはこちらのほうが好みです。

 

 組み上がりました。ちゃんと砲塔の形にまとまって雰囲気も充分に出ていますから、モールドがあっさりしていても問題はありません。むしろ、精巧模型品ではなくて汎用プラモデルなのですから、この程度で良いと思います。

 

 ステップ9では足回りを組み付けます。私の製作においては、ほとんどは塗装後に取り付ける予定です。

 

 起動輪および誘導輪を上図のようなボルト形の軸パーツで組み付ける方式は、あまり見たことが無いような気がします。

 

 塗装前ですので、仮組みの状態です。全ての車輪が未接着です。

 

 ステップ10で履帯を繋ぎます。ステップ11で砲塔をセットし、車体前面の車載機銃を取り付けます。

 

 車体前面の車載機銃や前照灯のパーツです。

 

 全て組み付けました。このキットの唯一の欠点として、前照灯のレンズのパーツが入っていないことが挙げられますが、ウェーブのHアイズシリーズのクリアパーツセットにピッタリな大きさのパーツがありますので、それを利用して塗装後に取り付ける予定です。

 

 以上で、塗装前の組み立て工程が完了しました。ガイド指示通りのストレート組みでしたから楽でした。履帯がベルト式であるのも良いです。
 この九五式軽戦車ハ号は、知波単学園チームの福田の搭乗車輌をも作る予定ですが、個人的には公式キットよりも旧版のほうで再度作ってみたい気がします。旧版で制作しても劇中車との差異はありませんから、どうせなら作業が楽なキットのほうを選びたいのですが、いまの時点では旧版キットがなかなか入手しづらくなってきています・・・。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く8 その27  天窓洞の上

2020年02月11日 | ゆるキャン△

 亀岩での高所恐怖症の震えが落ち着いたので、散策路を東屋まで戻ることにしました。

 

 亀岩より南には、昨日横を通った乗浜海岸の海水浴場が見えました。この辺りの海には、太平洋戦争中に旧海軍の哨戒艇や輸送艦が仮泊したり退避したりした事も多かったそうです。
 近くの仁科や安城の海岸沿いには高射砲陣地も点在していましたし、北隣の田子地区には水上特攻隊「震洋」の基地も沢山ありましたから、西伊豆海岸一帯が旧海軍の内地作戦区域になっていたようです。

 

 そういえば、亀岩の列岩の先の奥には、先端が三角形にとがってみえる安城岬も望まれました。あの岬に旧海軍の沿岸高射砲陣地があり、12.7センチ連装高射砲が空を睨んでいたのです。いまも砲台の遺構が残っていて見学も可能であるらしいのですが、今回は時間的余裕が無くて行きませんでした。

 

 さて、天窓洞にゆきますか。

 

 散策路は再び登りになりました。この坂は「仲直りの坂」と呼ばれており、喧嘩した夫婦やカップルが手を繋いで登って仲直り出来る、ということになっています。

 

 登りきると、展望所に出ます。散策路の最高所にあたり、かつては旧海軍の海上監視所が置かれていたそうです。

 

 戦時中までは旧海軍の内地作戦管理区域の一つとされた伊豆半島なので、堂ヶ島のような天然の良港が多い点は終戦後においても注目され、進駐軍は当初このあたりから沼津あたりまでのエリアにも復員輸送の引揚港を検討したことがあったそうです。
 ですが、諸般の事情によって関東地方における引揚港は浦賀のみと決定して許可が出されたため、南方の諸戦地より関東に向かった全ての復員輸送艦が浦賀港へと入ったわけです。

 

 展望所から南を見ると、昨日渡ったトンボロが消えていました。

 

 完全に満ち潮で海没していますね・・・。前にも書いた通り、昨日がトンボロを歩いて渡れるラストチャンスでした。

 

展望所から天窓洞の上まで一気に下りました。原作コミック第9巻48ページ3コマ目のアングルです。

 

 途中で見かけたトンボロ現象の案内説明板です。場所的には原作コミック第9巻48ページ4コマ目の説明板にあたるのだろうと思いますが、案内板の表示デザインが異なります。別の案内板だったのかな・・・?

 

 天窓洞の上に着きました。日陰と逆光の関係で写真が撮りにくいため、原作コミック第9巻48ページ5コマ目のアングルとは反対側の位置で撮りました。

 

 天窓洞は、海岸側に南口と西口の二つの出入口があり、海水が張っているのは南口からなので、遊覧船は南口から入り、内陸側の東口を見ながら天窓洞の天窓部分に沿って回頭して南口から出ます。東口から出ても行き止まりであるからです。

 ちなみに、鎌倉幕府を建てた源頼朝が伊豆にて隠れていた洞窟というのが、この天窓洞の西口から繋がる枝道の洞窟にあたるといわれて鎌倉洞窟の名があります。平氏打倒への挙兵に向けての密書がここから各地へ発せられたと言い伝えられます。
 なので、鎌倉幕府黎明期の歴史に関心がある私としては、その鎌倉洞窟のほうを是非とも見たかったのですが、陸上からの見学は不可能で、遊覧船に乗って天窓洞に入っても見えない位置にありますので、どうにもなりませんでした。

 

 洞内に日があたっている部分が見える位置にいくと、洞内のエメラルドグリーンの海面が見えました。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く34 その7 「メグミとカルバッチョとゴモヨです!!」

2020年02月10日 | 大洗巡礼記

 浜勘を辞して道を東にとり、坂道を下りて商店街ルートを横切り、バイパス線の手前で右折して、上図の民宿「たびとよ」に行きました。以前に二度泊まったことがあります。

 

 午前中のうちなので閉まっていましたが、玄関のガラス越しに館内のメグミのパネルが見えました。かつては食事処「七輪」にあったものですが、「七輪」が閉店されたため、再抽選にてこちらに再設置されたということです。

 

 次に「和久」に行きました。この日の昼食はここでとろうと決めてあったからです。

 

 本日のおすすめが色々ありましたが、普通にお刺身が食べたいな、と思いました。

 

 店内に立つカルバッチョのパネルです。もとは食事処「ぎらばり」にあったものですが、「ぎらばり」が閉店されたため、再抽選にてこちらに再設置されたということです。

 

 店内レジ横に貼ってあったクリアファイルです。カルバッチョの生誕日に配布された品であるようですが、ガルパンキャラクターの生誕イベントに縁が無いので、初めて見ました。

 

 以前に私が寄贈した一番くじフラッグも健在でした。ファンからの寄贈品イラスト類などがその上に集められていました。

 

 以前はカウンター席の壁面に飾ってあったものが声優さんの色紙だけに統一されていました。前回の私の提言も採り上げて下さったもののようです。
 無秩序にファンからのグッズ類を飾るとお店の雰囲気が俗っぽくなるので、一般客も利用する食事スペースの空間は綺麗にしておいたほうが良い、と申し上げてあったのでした。だから、横のカウンターのフラッグの所に全部集められているわけです。

 おかげで、上図のようにスッキリとした、よい雰囲気になりました。このお店のあるべき姿や雰囲気、というものをファンはもっと真剣に考えて配慮したほうが良いと思います。

 

 今回は刺身定食をいただきました。

 

 美味しかったですね。さすがは「和久」のお仕事です。元気を貰えます。

 

 昼食後は曲松に行ってカノウヤに行き、女将の柴沼さんに挨拶して色々話しました。応援作戦の展示の基本計画も相談して了承を得ましたが、その際に重ねて「これからの展示品は全部、寄託にして下さいね、もう寄贈品とかは要りませんのでね」と頼まれました。

 もちろん、前回の作業時からこの方針は不変です。それで今回も柴沼さんの指示によって、寄贈品のイラスト類などを全て壁から外し、ファイリングの形で収納していつでも見られるような形にする、ということになりました。
 明日からOさん、明後日からAさんやSさん達が応援作戦に来られる予定ですので、それぞれの段取りも話し合っておきました。

 

 次の目的地へ向かう途中、スルガヤ薬局の前を通りました。このお店には、この日の宿に入る前に買物に立ち寄る予定です。

 

 店先の後藤モヨ子のパネルです。あまり日に当たらない位置にあるのと、閉店時には店内に収容されるために、かなり保存状態が良いです。担当声優の井澤詩織さんの直筆サインもあります。  (続く)

 


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鹿児島竪琴高校 九五式軽戦車 作ります!! その2

2020年02月09日 | ガルパン模型制作記

 ステップ4では車体を組み立てます。この工程にて車体の輪郭がほぼ出来上がってきます。

 

 今回の製作では修正や改造がありませんので、ガイド指示通りのストレート組みでした。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ5では各所の部品を取り付けます。車外装備品のジャッキ、工具類、パールは塗装後の取り付けとします。

 

 今回のキットではジャッキだけがメタルパーツでした。なぜ特定のパーツだけを金属製に換えるのか、根拠および理由がよく分かりません。こういうパーツが混じると、そこだけ瞬間接着剤を用意しなければならなくなります。タミヤ製品ですとこういう趣向はありませんから、こういった妙なサービスはファインモールド特有のものなのでしょう。

 

 組み立てが楽に進むのも、旧版キットであるからです。ガルパン公式キットになった新版はどうも扱いづらいところがあります。新製品のほうが使いにくいキットというのは、海外メーカー品でもあまり見かけません。これもファインモールド特有のこだわりなのでしょうか。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ6ではマフラーを組み立てます。ステップ7ではマフラーや背面部などを組み立てます。

 

 ステップ6の工程でのパーツ群です。マフラーカバーはエッチングパーツですが、治具A11が付きますので、楽に曲げ加工が出来ます。これもファインモールド特有のこだわりなのでしょうが、こうした親切設計にはもっともっとこだわっていただきたいところです。

 

 マフラー本体とマフラーカバーが仕上がりました。

 

 ステップ7に進みました。排気管の一部と背面のワイヤー束はメタルパーツです。

 

 組み上がりました。メタルパーツの組み付けがしっくりいかなくて手間取りました。ダボ穴が微妙にズレているためでしたが、メタルパーツのほうを削り調整することが出来ないので、ダボ穴の方を拡げるしかありませんでした。ブラパーツであれば、こんな手間をかけなくて良いのですが・・・。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く8 その26  堂ヶ島公園

2020年02月08日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン△伊豆巡礼行の4日目、最終日のコースは堂ヶ島公園からスタートしました。

 

 堂ヶ島公園の向かいには加山雄三ミュージアムがありました。その入口と向かい合う堂ヶ島園地のテラスゲートの上が、上図の無料駐車場になっていますので、そこに車を入れました。上図の奥から3台めが私のヴイッツです。

 

 無料駐車場の北隣には、上図の西伊豆町観光案内所があります。手始めにそこへ行って堂ヶ島の観光資料や散策路マップなどを貰ってきました。この日の巡礼ルートの全てが、この時貰った資料類で確認出来たのが大きかったです。

 

 観光案内板にある、西伊豆歩道というのを歩きます。各務原なでしこ達が歩いたコースと同じです。「現在地」の右にあるPマークが、車を停めた無料駐車場です。

 

 テラスゲートへは階段を降りて上図のトンネルをくぐります。原作コミック第9巻46ページ1コマ目のトンネルゲートがここです。

 

 ゲートを出ると上図の広場に出ます。正面に洞窟巡り遊覧船乗り場があります。

 

 原作コミック第9巻46ページ2コマ目と同じアングルです。
「見ろ 南極観測船の出港だ」
「だいぶ軽装な乗組員やな」

 

 原作コミック第9巻47ページ1コマ目と同じアングルです。志摩リンが海の景色を撮影していた場所です。

 

 原作コミック第9巻47ページ2コマ目の丘への散策路です。しばらく登りました。

 

 作中のアングルはだいたいこのあたりでしょうか。

 

 登りきると東屋が建つ平坦地に出ます。

 

 原作コミック第9巻47ページ3コマ目で「ジオスポット8 堂ヶ島」と紹介されている場所です。皆が「おおぉーっ」歓声を上げていました。私もマジで「おおぉーっ」と感動しました。

 

 原作コミック第9巻48ページ1コマ目のアングル。
「落ちんなよー おまえらー」

 

 原作コミック第9巻48ページ2コマ目のアングル。各務原なでしこと犬山あかりのツーショットの位置がここです。

 

 しかし、素晴らしい眺めですね。これは本当に感動しました。いやいやいや、来た甲斐がありましたね・・・・。

 

 ですが、すぐに足元の岩の崖縁が近づいてきました。うわわ、ちょっと、これはマズイ、また高所恐怖症が・・・。言いようのない寒気のような震えがスルスルと全身にせり上がってくるのでした。

 

 ふと横を見ると、見たくもない断崖絶壁が。
 上図には写っていませんが、足先30センチ先は断崖で、海面まで10メートル余り。一気に震えに包まれてしまい、仕方なく座り込んで気が静まるまで待ちました。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く34 その6 「マリーです!!」

2020年02月07日 | 大洗巡礼記

 カフェ「都夢」を辞して次のパネル設置店に向かう途中、上図の民家料亭「青柳」の前を通りました。幟が無ければ普通の民家と変わりません。他人の家に食事に呼ばれて入るような感じに近いそうです。
 個人的には「?」でした。案内板が無いので、営業時間も代表メニューも分からなかったからです。あまり大々的に宣伝して営業したくないのだろうな、と思いました。

 

 100メートルも行かないうちに次のパネル設置店に着きました。「浜勘」という水産品加工場の直営販売所です。以前に前を通ったことがありますが、訪ねるのは今回が初めてでした。

 

 BC自由学園チーム隊長のマリーが居ます。パネルのウインドーに日が当たっているうえ、周囲の景色がガラスに映り込んでいるので、写真が撮りにくいのでした。
 こういう場合は、店内に向きを変えて置いてもらったほうが、撮影もしやすくなるのですが・・・。

 

 なかなかうまく撮れません。夕方などのやや暗い時間帯に撮るのが良さそうです。

 

 こちらのマリーは何かのコラボでのファッションに身を包んでいますが、別のアニメの別キャラクターみたいです。アニメの基本イメージとかけはなれた衣装を着せるのは、大体ゲーム関係会社であるようです。

 

 店先に掛けてあるホワイトボードは、巡礼ファンの落書きの場になっているようです。

 

 店内の奥壁がガルパンコーナーになっていました。マリーが過半を占めています。パネル設置店はみんな同じような道をたどってファンの寄贈品のたまり場になってゆくのです。
 こちらではお店の方もノリノリであるようで、陳列展示はほとんどお店のほうで行ったそうです。そのためか、右側から左へと順次拡張していったような形跡が感じられました。

 

 プラモデルも幾つかありました。これは見ていて楽しいです。マリーの居るスポットですから、やっぱりマリーの搭乗車ルノーFT-17ばかりになるのはお約束ですね。いずれもケースにおさめられていて、ホコリ対策、外気による劣化防止もバッチリです。

 

 フィギュアも添えられた作品が最終章第1話、第2話の雰囲気を思い起こさせてくれます。誰が作った作品でしょうか。作者名が分かるような表示があれば、と思います。

 

 残念だったのは、プラモデルの展示が高い位置にあったことでした。模型は俯瞰されて初めて全体像や作域が明らかになりますが、このお店での展示は仰ぎ見るような高さにありました。上図の写真も、カメラを頭上に上げて撮った形です。

 

 なので、上図の作品のように、操縦席とエンジンのハッチが開け放たれている場合にはインテリアも見られるはずですが、展示位置が高いために見られませんでした。ある意味もったいないですね。もう少し低い位置にて展示していただければ、と思います。

 

 マリーのフィギュアも2種類がありました。というか、フィギュア製品化が早かったようですね。けっこう人気があるキャラクターですから、むしろ当然なのかもしれません。
 上図右の1体は、カノウヤ応援作戦における初期展示品のなかにもありました。

 

 今回お店にて購入していただいた、サーモンピザ1/4です。美味しかったです。  (続く)

 


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鹿児島竪琴高校 九五式軽戦車 作ります!! その1

2020年02月06日 | ガルパン模型制作記

 コミック「リボンの武者」第12巻に登場した、ムカデさんチーム連合の軽戦車5輌です。これまでに奈良グレゴール高校の38(t)戦車、新潟ビゲン高校のStrv m40L軽戦車、愛媛ケバブハイスクールのルノーR35軽戦車を作っています。残るは2輌です。

 

 今回は、上図の鹿児島竪琴高校チームの九五式軽戦車ハ号を作ってみることにしました。アニメで劇場版から出ている知波単学園チームの福田の搭乗車と同じ、日本軍の軽戦車です。

 

 搭乗するのは上図の竪琴高校チーム隊長のアウンさんです。「ビルマ建国の父」と謳われるアウンサン将軍が元ネタですね。したがってアウンサン将軍率いるビルマ愛国軍のティスト、というのが竪琴高校チームの有り様なのだろう、と思います。

 

 使用キットはファインモールドの旧版でした。実はガルパン公式キットにもなっている第三版目のキットはパーツが細分化されていたり、履帯が組み立て式になっていたりと扱いづらいところがあるため、最初はこの旧版で知波単学園チームの福田の搭乗車を作ろうと考えて中古ショップで購入してあったものです。

 

 御覧の通り、履帯がベルト式です。組み立て式履帯が苦手でどうも慣れない私には、大変に有り難いパーツです。

 

 左は解説文、右は組み立てガイドです。ファインモールド発のガルパン公式キット群が一部で不評であるのは、おそらく左の詳細かつ読みごたえある解説文が入っていないからだろう、と指摘されていますが、同感です。

 

 ステップ1では、全ての車輪類を組み立てます。

 

 関連のパーツを切り出して・・・。

 

 組み立て終わりました。

 

 ステップ2では下部車体を組み立てます。ステップ3ではサスアーム等の各部品を取り付けます。

 

 ステップ2で組み立てる下部車体は、御覧のように箱組みです。タミヤならば一体成型とする場合が多いパーツを、ファインモールドでは細かく分ける傾向があります。組み立てに手間がかかるうえに初心者クラスには扱いづらいところもあると聞きますが、ファインモールドはそれらを承知の上であえてこだわっているのでしょうか・・・。

 

 とりあえず組み上がりました。A10も指示通りに取り付けましたが、これは兵士フィギュアを乗せる際の足場であるので、ガルパン仕様においては不要だったかもしれません。

 

 ステップ3に進みました。

 

 全てのパーツを組み付けました。今回のキットは作中車にほぼ同じであるようなので、改造や修正は不要としました。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く8 その25  伊豆松崎の宿

2020年02月05日 | ゆるキャン△

 沢田公園の岩崖を降りました。岩の地層の上は散策路の位置がほとんど分からず、海岸沿いの木柵をたどるしかありませんでした。海の方を見ると断崖絶壁が視界に入って足が震えてしまうので、なるべく海を見ないようにしました。

 

 降りる途中で、上図の祠があるのに気付きました。龍爪神社といい、昔に沢田の猟師たちが弾除け信仰のために正月の鉄砲試し撃ちを行なった際の祭神であるそうです。変わった神様ですね・・・。

 

 沢田公園の案内パンフを貰いに、沢田公園露天風呂の受付に行きました。この露天風呂は、西伊豆町の町営施設なので、地元の方がよく利用しているそうで、観光客の利用はあまり無い、という話でした。
 パンフを貰った際に「露天風呂を利用されますか」と聞かれましたが、さきに堂ヶ島温泉に入ってきたばかりでしたので、辞退しました。

 

 露天風呂は岩崖の一番高い所に設けられ、温泉は堂ヶ島の源泉から汲み上げているとの事です。湯船は広くはないので、4、5人も入れば芋洗い状態になるそうです。

 

 やっと駐車場に降り立ちました。ホッとしました。これでこの日の巡礼スポットは全て計画通りに回りました。あとは宿に入るだけです。

 

 宿は朝食のみで予約していたため、この日の夕食の弁当やお菓子、飲み物などを上図のスーパー「Aoki」で買いこみました。原作コミック第9巻67ページ5コマ目で各務原なでしこ達がキャンプ時の食材を調達し、また犬山あかりが姉あおいにトンボロのお詫びの焼き鳥を買って貰っていたスーパー「AOYAGI」のモデルとなった建物がここです。外観も完全に一致していました。

 

 この日の宿、西伊豆松伊東園ホテルです。松崎町の松崎海岸に面するリゾートホテルですが、朝食付き一泊で6000円とリーズナブルです。堂ヶ島エリアで同じ条件で探すと価格が倍ぐらいになるので、こちらの宿に決めた次第です。堂ヶ島までは車で10分ぐらいで行けますし、折角なので松崎海岸の景色も楽しみたいと思ったからです。

 

 部屋はこんな感じの、細長い8畳間でした。良いではないですか。こういうので良いんですよ、こういうので。

 

 時刻は午後4時を過ぎたばかり、まだ夏日も高く部屋に強くさしこんでいました。それで机を手前の日陰部分に移動しておきました。

 

 窓からは松崎海岸が一望のもとに見渡せました。松崎町の最大のビーチであり、遠浅で波も静かな美しい砂浜が全長500m余りにわたって続きます。

 その後はホテルの浴場へ行ったり、カフェでコーヒーを飲んだり、部屋で持参したガルパン戦車プラモデルを作ったりしてゆっくり過ごしました。
 この日は下田から爪木崎、上原美術館、竜宮窟、伊勢海老標語、岩科学校、堂ヶ島トンボロ、堂ヶ島温泉清流、沢田公園、と忙しく回りましたので結構疲れました。夏場ですから暑さもまだまだ厳しく、巡礼旅行も三日目になっていますから、ここでめいっぱい休んでおこう、と考えたわけです。
 なので、就寝時刻も21時ぐらいだったと思います。プラモデルを大体仕上げて再度浴場に行き、まったりと湯煙に沈んだ後にフニャー状態になり、そのまま布団に倒れ込んだのでした。

 

 翌朝は午前6時前にスッキリ気分で起きました。外は快晴、松崎海岸の静かな朝景色をみながらのんびり過ごしました。

 

 7時に食堂に行って上図の朝食をいただきました。バイキング方式です。好きなものを好きなだけ食べられる、個人的に好きな朝食スタイルです。

 この日、9月3日で伊豆巡礼旅行の四日目となり、夜には帰途につく予定でした。それまでに回る予定地も色々ありましたので、しっかり食べておきました。

 西伊豆松伊東園ホテルの公式サイトはこちら。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く34 その5 「押田と街中カフェです!!」

2020年02月04日 | 大洗巡礼記

 日野屋石油店の横の坂道を登り、看板を見て右の路地に入ると、上図の民宿白浜荘の前に出ました。ここに押田ルカのパネルがあるということですが、どこにも見当たりませんでした。どうも庭の裏口であるようなので、表口へ回ることにしました。

 

 庭の正面だけ建物が無いので、鹿島灘の海原が望まれます。

 

 路地をもどってぐるりと北側へ回ると、表玄関口らしき所に出ました。建物は外装を直しているのでしょうか、足場が組まれてありました。
 とりあえず、看板のある路地へ進むと、表玄関がありました。

 

 女将さんに挨拶して、玄関内側に置かれた押田のパネルを撮影させていただきました。その後、色々お話してこちらの宿泊施設の概要なども伺いました。初めて来た所なので、いずれ機会があれば泊まってみたいと思ったからです。

 

 宿の案内パンフと共に押田のガルパン名刺もいただきました。久しぶりにこういう名刺貰いましたね・・・。

 

 次はマリーの居る浜勘へ、と住宅地の中の道を歩いてゆくと、交差点の角に上図の喫茶店がありました。初めて見るお店で、存在自体も今回初めて知りました。ずっと歩きっぱなしでしたので、ちょっと一服して休もうか、と思いつきました。

 

 本日の珈琲、というのが良さげでしたので、これで温まろう、と決めました。

 

 これが本日の珈琲、マンデリンG1クリンチマウンテンでした。上品な味でした。普段インスタントのコーヒーを飲んでいますと、こういう本物にはオオッと感動させられます。

 

 ふと棚を見ると、見た事のあるガルパン系グッズが色々とありました。そうか、このお店もガルパン巡礼のたまり場になっているみたいだな、と感じました。

 

 隣のテーブルに並べてあった、ファン作成の同人誌類です。同じ方々によるシリーズものであるようで、何冊かありました。

 

 パラパラとめくって見ていて、最も印象的だったのがこのイラストでした。最初、誰だこれは、と思いましたが、すぐに冷泉麻子だと気付きました。しかも幼い感じで制服姿であるので、たぶん中学生時代の姿なのだろう、と察しました。

 

 寄せ書きノートも何冊かありましたが、いずれも表紙にイラストが描かれてありました。あれ、この画風、タッチは見たことあるな・・・。

 

 たまたま壁にかけてある額入りのイラストのマリーの2枚並びを見て、描いた方を思い出しました。去年11月のあんこう祭の午後のカノウヤ応援作戦にて助力下さった方の一人に、同じ図柄の名刺をいただいたのでした。確か、東欧風のコートを着ていた方でしたね・・・。彼はどうやらこのお店の常連であるようです。

 

 で、寄せ書きノートに私も上図の下手な絵を描きこんで記念にしました。戦国期の常陸国に居た在地武士の一人、浄音法師こと那珂の平義統のイメージです。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く34 その4 「ニーナ、アリーナ、家元、ミッコです!!」

2020年02月03日 | 大洗巡礼記

 大洗磯前神社への初詣を終え、いつもの聖地坂道を下りました。途中で左に曲がりました。

 

 宮下商店街から神社に通じる石段を降りました。

 

 降りたところが、はまや旅館の前でした。

 

 店先にはニーナのパネルがありました。かつては魚来庵に置かれていましたが、その廃業にともなってこちらに移されたということです。

 

 続いて北隣の日野治旅館に行きました。

 

 店内にはアリーナのパネルがあります。プラウダ高校のメンバーはみんな大洗の東側に集まっている感じで、カチューシャ&ノンナもちかくの酒屋さかげんに居ます。

 

 大洗磯前神社の大鳥居の交差点を渡りました。

 

 商店街を西に進み、大洗クリーニング店に行きましたが、定休日であったのか、閉まっていました。

 

 しかし、店内の島田千代のパネルは窓ガラス越しに見えました。

 

 近くのさまた接骨院の店先には西住しほが居ます。家元が二人、パネルも近接しているのは偶然とは思えません。公には抽選でパネル設置先を決めた、ということになっていますが、どうみてもアニメ設定に合わせて意図的に配置しているとしか思えないケースが幾つかあります。
 その最たるものが黒森峰女学園の隊長と副隊長のコンビで、設置店舗は隣同士です。

 

 日野屋石油店の前を通りました。ミッコの新旧のパネルが並びます。

 

 旧パネル、すっかり色あせて白っぽくなりましたね。灰になってゆくみたいです・・・。

 

 新パネルはまだ色彩も鮮やかですが、日なたに置かれていますので、これもいずれは退色して白っぽくなるのでしょう・・・。置き場所を変更したらどうかな、と思います。  (続く)

 


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サンダース大学付属高校 シャーマンファイアフライ(テレビ版仕様) 完成です!! 

2020年02月02日 | ガルパン模型制作記

 組み立て工程の最後は、劇中車に見られるハウスポートブラケットのアームを作ります。上掲のワンシーンの赤枠内に示した部品です。

 管見の限りでは、この部品をパーツ化したキットはどのメーカーからも出ていません。アスカモデルの製品においては基部の方形パーツは再現されるものの、アーム部分は再現されていません。なので、どのメーカーの製品を使って製作しても、ハウスポートブラケットのアーム部分だけは自作する必要があります。

 

 まず、アスカの基部の方形パーツを調達して劇中車に合わせて取り付けました。

 

 アーム部分の製作は割合に簡単です。まず断面が三角形のブラ材を用意します。文房具屋で売っている定規セットの片方、角が30°、60°、90°の半正三角形のような断面のものが良いです。幅は5ミリぐらい、長さは2センチもあれば充分です。私の製作ではジャンクパーツに適当なものがありました。
 その三角材の60°の角をカットして基部の方形板に合わせる部分とします。さらに90°の角を丸く落としておき、上図のように約2ミリの長さにカットして6個作ります。

 

 次に、御覧のように0.5ミリ厚程度のブラ板を両側に貼りつけます。

 

 中央のブラ材の形に合わせて両側のブラ板をカットして整形します。ブラ板の上部はブラ材に合わせますが、下部は約1ミリほど延長して水平にカットします。

 

 延長した両側のブラ板の下端に合わせる形で軸棒を取り付けます。軸棒はジャンクパーツまたは伸ばしランナーで作ります。これで劇中車のハウスポートブラケットのアーム部分の形状に仕上がります。

 

 基部の方形板に取り付けて完了です。

 

 劇中車はサイドスカートも付けています。これのパーツは、タミヤのM4シャーマンのキット、アスカモデルのファイアフライ系のキットに入っています。
 今回使用したのは、タミヤのM4シャーマンのパーツでした。タミヤのキットで劇中車を再現すると、サイドスカートのパーツは不要となって余ります。そうした余りパーツが手元にワンセットあったので、今回活用しました。

 

 組み立てが終わりましたので塗装に移りました。サーフェイサーを薄く吹き付けておき、ミスターカラーの16番の濃緑色で本塗装を行ないました。周知のように、サンダース大付属高校チームの試合参加戦車3種のうちでファイアフライだけが車体色が濃いです。

 

 車輪のゴム部分はポスカの黒で塗りました。履帯は28番の黒鉄色およびポスカの黒で塗りました。

 

 履帯をはめこみ、サイドスカートを取り付けました。

 

 車外装備品類です。金属部分は28番の黒鉄色、木製部分は43番のウッドブラウンで塗りました。他に前照灯およびバックランプを8番のシルバーで塗りました。

 

 車外装備品類を取り付けました。位置は劇中車のそれに合わせました。

 

 校章のデカールはモデルカステンのガルパンデカールセットから所定の3枚を切り取って貼り付けました。

 

 やっぱり校章が付くと、一気にガルパンの戦車になりますね。

 

 以上で完成です。実は、今回の製作は組み立てから塗装までの全てをたった2日で済ませました。2日間まるまる朝から晩まで製作に打ち込んでいたからです。

 既にM4A6を製作した段階で車体の半分をカットして交換するという、最大の難作業を今回のファイアフライの分とまとめて行っていたため、後は車体を繋いで劇中車に合わせるだけで事足りました。むしろ、不足のパーツをアスカやタミヤの余剰パーツで補うべく探し回る作業のほうが手間がかかったと思います。

 

 17ポンド砲を横に向けてみました。VCサイズの劇中車においても17ポンド砲は長くて存在感がありますから、それより車長が短いICサイズの今回の車輌においてはなおさらでした。

 

 車体前部の交換後の繋ぎには相当の手間をかけて痕跡が残らないように苦心しましたので、上図でみても繋ぎ目の位置が分かりません。なぜ一生懸命に繋ぎ目を消して車体側面を均一に均すことに必死になったかというと、ちょうど繋ぎ目のところに校章デカールの片側が重なるからです。痕跡が少しでも残ってしまうと、デカールにもそれが表れてしまいますので、それだけは避けたかったのでした。

 

 かくして、サンダース大学付属高校チームのシャーマンファイアフライがテレビ版仕様にて完成しました。製作日数は、2019年10月18日から10月19日までの2日でした。組み立てに1日、塗装および塗装後の組み立てとデカール貼り付けに1日、という超スピード製作でした。

 キットは、ドラゴンのICシャーマンファイアフライのオレンジボックス製品を使用し、車体前部をM4A6の再現製作に際してM4A4のものに交換しました。それで劇中車の外観が成立するため、従来は難しいだろうと思われていたのが、やってみるとアッサリ作れた、という感じでした。 
 既に劇場版仕様の劇中車をアスカモデルのキットにて製作しているため、車体の長さを除けばほぼ全ての要素が共通している今回のテレビ版仕様は、だから劇場版仕様に合わせて作れば良く、独自の改造や修正などはほとんど不要でした。

 なので、車体前部の切り離しおよび交換が出来れば、後は楽に組み立てられる車輌である、という結論にまとまります。これまでガルパン戦車プラモデルの最難関の一つとされてきたのは、単に車体形状を合わせるための工程が明確になっていなかっただけであったのだ、と解釈出来ます。車体パーツの正確な切断、という作業を行なえるだけの勇気、決意があれば誰でも再現製作に進める筈です。

 ただ、私の場合は、キットを無駄なく活用するという観点により、シャーマンファイアフライのみでの再現製作は出来ませんでした。同じ作業過程を要すると見込まれるM4A6の再現製作とセットにして計画することで、二つのキットで二つの車輌を無駄なく作るという状況を想定しなければ、先へ進めなかったのも事実でした。
 ですが、車体前部の切断交換という作業によって全ての問題が解決したとなれば、最難関の車輌と言う概念も今回の製作によって過去のものになります。むしろ、難しいというよりも、色々と学びがあって面白くて楽しい作業だった、と思います。

 今回の製作を通して感じたのは、いずれガルパン戦車プラモデルというのは、ただ組み立てて仕上げるだけの作業に終始していては壁に必ず突き当たる、という事です。適応キットが未だに出ていない車輌もアニメ、コミックを問わず相当数出ているため、それらをいかにして再現製作するかという問題に直面する場合が多くなる、と思います。キットが新規開発されるケースが今後も順調に続く保証はありませんから、一部の戦車は自分で何とかして作る、という選択肢も必然的に出てくると思います。

 私の場合はサンダース大付属高校チームのM4A6とシャーマンファイアフライを車体前部の切り離しおよび交換でなんとかこさえましたが、それ以外にも新潟ビゲン高校チームのStrv m40L軽戦車を類似車輌をベースにしての半スクラッチで作りました。
 さらに知波単学園チームの特二式内火艇カミの公式キットには無いインテリアを、旧海軍の特二式内火艇カミの艇長だった方の教示監修によって製作しています。なにしろカミの資料もまとまったものが無く、実際にカミに乗り組んでいた方への取材もこれまで行われていなかったそうなので、従来の資料類はほとんど戦後の研究者による憶測や推定の積み重ねから成り立っていると思います。実際、カミの艇長だった方の証言内容は、従来の資料類には無い情報ばかりで、驚愕するばかりです。その教示によって作ったカミのインテリアも、おそらくは唯一無二のものとなるでしょう。

 ともあれ、今後はこういうようなある意味アバウトな製作パターンが増えてくるだろう、という認識が私にはあります。今回のファイアフライのテレビ版仕様の再現製作によって、それがより実感をともなってきたのが、最大の成果であったのだろう、と思います。

 


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ゆるキャン△の聖地を行く8 その24  沢田公園

2020年02月01日 | ゆるキャン△

 堂ヶ島温泉の次は沢田公園に行きました。原作コミック第9巻35ページにて志摩リンが単独で訪れたジオスポットのひとつです。

 この沢田公園は、ちょっと分かりにくい場所にあります。志摩リンは原付ビーノで堂ヶ島から国道136号線を南下し、乗浜海岸の交差点で右折して海岸堤防沿いに進み、民宿などが建ち並ぶ街区のほぼ中央の「乗浜荘」の辻から細い路地を進んで二つ目の辻で右折して、そのまま沢田公園への道にストレートに進んでいます。

 ですが、これは原付バイクだから通れたルートで、細い路地へは車で行けません。知らずに行くと乗浜海岸の堤防道で立ち往生してしまい、国道136号線の信号交差点までバックで戻らざるを得なくなります。
 そのことを、あらかじめ堂ヶ島温泉「清流」のフロントの方に教えて貰っていたので、教えられた通りに国道136号線を仁科漁港の辻まで進み、右手に「沖あがり食堂」の看板が見えたところで右折しました。すると仁科漁港の道に出て、そこでまた右折し、あとは海岸道路を漁港の奥まで北上して突き当りを左に進みました。そこからは志摩リンの走った道と同じで、道なりに沢田公園の駐車場に入りました。
 上図は、原作コミック第9巻35ページ5コマ目とほぼ同じアングルです。

 

 原作コミック第9巻36ページ2コマ目の景色です。志摩リンが「えーと灯台は・・・」と既に撤去されて無くなった仁科灯台を探していた場面です。

 

 真っ白な火山灰の堆積地層が自然の堤防となって海岸の絶壁を形成しています。

 

 原作コミック第9巻36ページ3コマ目の景色です。志摩リンが「こっちか」と右奥に見える高所を目指してゆきました。

 

 素晴らしい眺めですが、風も強くなっていて、帽子を飛ばされないように時々おさえつつ登りました。

 

 反対側の北側を見やると、ひえ三升島や飛龍島などが見えました。

 

 沢田公園のほぼ全体を視界におさめられる地点まで登ってきました。奥の崖脇に建つ小屋が、志摩リンが朝温泉を楽しんだ沢田公園露天風呂です。
 ここまで高い所まで来ると、次第に身が震えてまいりました。私は実は軽度の高所恐怖症なのです。ある程度の高さまでは平気で行けますが、それを超えると一気に恐怖感が身を包んでしまって動けなくなってしまいます。

 

 さらに間の悪いことに、ふと見下ろした場所が沢田海岸一番の断崖絶壁の続きでした。木柵から真下に絶壁が広がって海面があおあおと誘ってくるかのようで、立ちすくんでしまいました。思わず木柵にしがみつき、絶叫したくなりましたが、かろうじて抑えました。

 

 あそこから落ちたら絶対助からないな・・・。もしかして、自殺の名所で有名だったりする・・・?などと余計なことを考え、恐怖感を自ら高めてしまいました。

 

 もと来た方角を振り返り、眼下の駐車場に停めてある私のヴイッツに早く戻ろう、いや戻らなければ、と必死で考えましたが、足が震えて動けないのでした。金縛りにあう、とはこういう状態かな、と思いました。

 

 仕方が無いので、その場に座り込んで気を静めつつ、恐怖感が薄れるまで景色を眺めていることにしました。

 

 なので、散策路をさらに進んで上図の左の高所まで登って行く気はとうに失せていました。

 

 あのてっぺんまで志摩リンは登っていきました。かつて存在した仁科灯台の基壇への階段を確認しています。志摩リンは「バカには見えない灯台・・・」と思っていましたが、私もバカなので灯台は見えませんでした。 (アホかお前は)

 

 よせばいいのに、再びおそるおそる真下を見て、クラクラしてしまいました。何をやっとるんだ、自分・・・。

 

 なるべく遠くを見て気を落ちつけました。この場合、北側の景色をみるのが良さそうでしたので、しばらくは上図の景色を眺めていました。

 

 なんとか恐怖心も消えて落ち着いたので、記念の自撮り。もう絶対ここには再び来ないと思います。とにかく、怖かったです。あれだけ足がガクガク震えたのは、たぶん初めてでした。  (続く)

 


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