亀岩での高所恐怖症の震えが落ち着いたので、散策路を東屋まで戻ることにしました。
亀岩より南には、昨日横を通った乗浜海岸の海水浴場が見えました。この辺りの海には、太平洋戦争中に旧海軍の哨戒艇や輸送艦が仮泊したり退避したりした事も多かったそうです。
近くの仁科や安城の海岸沿いには高射砲陣地も点在していましたし、北隣の田子地区には水上特攻隊「震洋」の基地も沢山ありましたから、西伊豆海岸一帯が旧海軍の内地作戦区域になっていたようです。
そういえば、亀岩の列岩の先の奥には、先端が三角形にとがってみえる安城岬も望まれました。あの岬に旧海軍の沿岸高射砲陣地があり、12.7センチ連装高射砲が空を睨んでいたのです。いまも砲台の遺構が残っていて見学も可能であるらしいのですが、今回は時間的余裕が無くて行きませんでした。
さて、天窓洞にゆきますか。
散策路は再び登りになりました。この坂は「仲直りの坂」と呼ばれており、喧嘩した夫婦やカップルが手を繋いで登って仲直り出来る、ということになっています。
登りきると、展望所に出ます。散策路の最高所にあたり、かつては旧海軍の海上監視所が置かれていたそうです。
戦時中までは旧海軍の内地作戦管理区域の一つとされた伊豆半島なので、堂ヶ島のような天然の良港が多い点は終戦後においても注目され、進駐軍は当初このあたりから沼津あたりまでのエリアにも復員輸送の引揚港を検討したことがあったそうです。
ですが、諸般の事情によって関東地方における引揚港は浦賀のみと決定して許可が出されたため、南方の諸戦地より関東に向かった全ての復員輸送艦が浦賀港へと入ったわけです。
展望所から南を見ると、昨日渡ったトンボロが消えていました。
完全に満ち潮で海没していますね・・・。前にも書いた通り、昨日がトンボロを歩いて渡れるラストチャンスでした。
展望所から天窓洞の上まで一気に下りました。原作コミック第9巻48ページ3コマ目のアングルです。
途中で見かけたトンボロ現象の案内説明板です。場所的には原作コミック第9巻48ページ4コマ目の説明板にあたるのだろうと思いますが、案内板の表示デザインが異なります。別の案内板だったのかな・・・?
天窓洞の上に着きました。日陰と逆光の関係で写真が撮りにくいため、原作コミック第9巻48ページ5コマ目のアングルとは反対側の位置で撮りました。
天窓洞は、海岸側に南口と西口の二つの出入口があり、海水が張っているのは南口からなので、遊覧船は南口から入り、内陸側の東口を見ながら天窓洞の天窓部分に沿って回頭して南口から出ます。東口から出ても行き止まりであるからです。
ちなみに、鎌倉幕府を建てた源頼朝が伊豆にて隠れていた洞窟というのが、この天窓洞の西口から繋がる枝道の洞窟にあたるといわれて鎌倉洞窟の名があります。平氏打倒への挙兵に向けての密書がここから各地へ発せられたと言い伝えられます。
なので、鎌倉幕府黎明期の歴史に関心がある私としては、その鎌倉洞窟のほうを是非とも見たかったのですが、陸上からの見学は不可能で、遊覧船に乗って天窓洞に入っても見えない位置にありますので、どうにもなりませんでした。
洞内に日があたっている部分が見える位置にいくと、洞内のエメラルドグリーンの海面が見えました。 (続く)