気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の7 「お銀ちゃんのパワースポット」

2016年08月30日 | 倉吉巡礼記

 明倫小学校の旧円形校舎から戻り、そのまま「Sマートめいりん」の駐車場に車を置いたまま、隣の満正寺へ立ち寄りました。


 満正寺は、鳥取藩池田家の城代家老として倉吉に陣屋を構えた荒尾志摩守家の菩提寺です。荒尾志摩家のルーツの荒尾氏はもとは尾張国知多郡の土豪で、鳥取藩主池田氏が美濃国池田郡の土豪で織田信長の家来だった頃に縁戚となっていた古い氏族です。

 鳥取藩池田氏の祖とされ、戦国期に織田信長に仕えた池田輝政は、のち徳川家康に仕えて娘婿となり、外様でありながらも徳川氏一門に準ずる待遇を受けました。その輝政の母、善応院は、織田信長の武将として三方ヶ原合戦で戦死した荒尾善次の娘にあたります。その関係で荒尾氏は池田氏の家臣となり、鳥取藩成立後は本家の荒尾但馬家が米子を治め、分家の荒尾志摩家が倉吉を治めました。

 その支配形態は、「自分手政治」と呼ばれ、他藩の城代家老のそれよりも格式が上でした。藩祖池田輝政の母方の縁戚である両荒尾家を、鳥取藩池田氏の代々の藩主は一門の重鎮として尊重、所領支配に関して全権を委任しました。それで、幕末に至るまでの200年以上の間にわたって、米子と倉吉は、荒尾家によって統治されたのです。ほとんど米子荒尾藩、倉吉荒尾藩といってもいいぐらいの歴史です。

 そして、これが重要なことなのですが、いまに伝わる倉吉の歴史的封土や町並み景観などの状況は、江戸期の荒尾志摩家の治世が長きにわたって温厚かつ安定的であったことに拠る部分が大きい、と思います。
 鳥取藩においては内政に長け、商業および農業の振興に努めた荒尾志摩家が治めたことにより、倉吉は江戸期の山陰地方では稀な繁栄を得て、長く商都として君臨しました。その歴史の最大の遺産が、今につたわる古い町並みであるわけです。


 満正寺の本堂に懸る偏額には「満正禅寺」とあります。宗派は曹洞宗、山号は透關山です。創建は元禄12年(1699)、開基は荒尾美作守秀就、開山は徳翁尊隆大和尚です。


 本堂の前庭には円形の白砂庭が構えられています。禅宗寺院によく見られる仏世界観の具象化例でしょう。有名な歴史的好例を挙げれば、京都の竜安寺の石庭でしょうか。


 案内板を見ると、やはり須弥山などを象っているそうです。ですが、下に萌えキャラが居るのが印象的で、そっちに視線がいってしまいます。禅寺らしからぬ柔らかさです。


 この寺を、倉吉でも有名なパワースポットに押し上げた、日本最大級の石造の巨大九曜星占盤です。直径は8メートルあり、生年月日から星を算出し、性格、恋愛、対人関係などを占います。これが若い女性の観光客の人気を集めているらしく、古い町並みはそっちのけで満正寺へ行って占いを楽しむ人が少なくないそうです。


 で、本堂前に立てられたパネルにも、さっきの萌えキャラクターが居ます。2011年に登場したそうなので、倉吉のアニメ要素のなかでも古い方に属します。住職さんがアニメに理解があるノリノリな方なのでしょうか・・・。


 ちゃんと「マスコットキャラクター お銀ちゃん」とあります。山伏みたいな恰好ですが、火の用心の提灯を持っていますので、火伏せの神様、秋葉権現がモデルであることが明らかです。耳と羽根としっぽがついているので、秋葉権現のキツネ形の神様であると分かります。

 これ、デザイン的にもなかなか良くできたキャラクターですね。なんで倉吉市のマスコットキャラクターに昇格させなかったんでしょうか・・・。


 倉吉市役所の駐車場に戻り、買ってきたお茶やアイスなどを食べつつ、琴桜口の町並みへ立ち寄りました。


 元帥酒造さんの山形まり花も、すっかり風景の一部になっています。


 向かいの東仲町公民館の「ひなビタ」ショップは、大半のグッズが完売してしまったようで、やってくる巡礼者も疎らになっていました。 (続く)

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