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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン5の6 「牛骨ラーメンと円形校舎」

2016年08月27日 | 倉吉巡礼記

 「ごっつお」でハーフサイズの牛骨ラーメンを頂いた後、次のお店「八兵衛」に行きました。倉吉の牛骨ラーメンの人気店は、だいたいJR倉吉駅の近辺に点在していて、「ごっつお」は南側、「八兵衛」は北側に位置します。いずれも「ひなビタ」巡礼エリアからは離れているため、聖地巡礼のついでに一杯、というわけにはゆかず、車でないとなかなか回れません。

 倉吉の牛骨ラーメン店は、街中にあるのが多いので駐車スペースも限られていたり、駐車場そのものが無かったりしますが、こちらの「八兵衛」は広い駐車場があるので、遠方から車でやってくる常連さんが多く、いつ行っても満席状態に近いです。でもお客の多くは、満席と分かるとすぐに他の店へ移動するようですので、行列が出来るということはあまり無いと聞きました。


 メニューです。牛骨ラーメンだけで勝負されておられます。こういうお店は、味をしっかり追及されて洗練度も高いと思うので、常連客で満席状態になるのも当然です。
 個人的には塩味よりも味噌味の方が好きなのですが、今回はメニューの一番目の「牛骨ラーメン」をチョイスしました。ハーフサイズで頼もうと予定していたのですが、「ごっつお」のハーフサイズが予想よりも少なかったため、普通サイズで注文しました。


 このお店の牛骨ラーメンも大変に美味しいです。店主さんは、倉吉でも有名な方で、他のラーメン店で修業された後、倉吉にやってきて、老舗店舗の方々に相談したうえでお店を開業されたそうです。


 因幡街道を引き返して旧市街に戻る途中、いつものように「石谷精華堂」本店に立ち寄り、職場の同僚たちへの土産を購入しました。
 倉吉の打吹団子は、関西ではよくスーパーやデパートなどで出張販売がなされているため、割合に知名度があって、味も好評です。現に職場の同僚の半数以上が、「ああ倉吉のや。これ旨いよねえ」といって喜んで下さいます。


 当然ながら、この「ひなビタ」バージョンのを買いました。特典ステッカーは、夏季限定の倉吉絣デザインになっていました。これも6種類があり、5本入りに1枚、10本入りに2枚がついてきます。私はいつも10本入りを買いますが、必ずこちらの本店にて頼んでいます。

 なぜかというと、白壁土蔵群の赤瓦一号館など、主な土産店では見本しか置いておらず、予約販売の形をとっているからです。現物がすぐに買えるのは、JR倉吉駅の駅ヨコプラザか、未来中心内の支店ぐらいのものです。そこへ行って買ってもいいのですが、どのステッカーが入っているかは開封するまで分かりませんから、6種全部をコンプリートしようと思ったら、揃うまで買い続ける必要があります。
 しかし、本店で買うと、パッケージの包装とステッカーの封入から始めて販売するため、例えば10本入りを3箱買うと、6種のステッカーを2枚ずつ順に入れてくれるのです。それでコンプリートになりますから、手っ取り早く、費用も最低限で済みます。
 しかも、職場の同僚は14人居ますので、2本ずつあげれば合計28本が必要になります。したがって毎回、10本入りを3箱買うのが習慣になっています。特典ステッカーもあっという間にたまります。


 暑い中を回っているため、喉が渇いてきました。町並みの西側の南にあるスーパー「Sマートめいりん店」に移動して買い物をしました。その隣には、上図の円形の建物がありますので、車を駐車場に置いたままにして、少し見学しました。


 日本でも珍しい、この円形の建物は、1971年まで明倫小学校の校舎として使われていたものです。円形校舎は教室数を多く確保できるため、1950年代に全国各地に建てられましたが、現存するものはこちらの建物だけになっています。
 昭和30年(1955)の建設なので、既に60年を経ています。明倫小学校が隣の余戸谷町に移転した後は公民館などに利用されましたが、老朽化を理由に平成18年に閉鎖されています。現存唯一の円形校舎建築ですので、いまでは文化財的価値も非常に高いはずですが、いまだに指定登録の案すら出ていないようです。それどころか、解体取り壊しの要望もあるということです。老朽化が進んで危険だ、という声が少なくないのでしょう。


 ガラス越しに内部を覗いてみました。学校だった頃の雰囲気がそのまま保たれている感じで、扇形の平面をもつ教室の状態などがよく分かります。大学の講義室みたいな構造です。

 最近は、この円形校舎を保存しつつ、マンガやアニメなどのフィギュア博物館として再生し、観光資源に育てようとの案が地元有志によって提案されています。その件については以前にも商店街の方にチラッと聞きましたが、実際にはどうなるのかは、まだ決まっていないようです。
 保存するにしても、文化財指定や耐震改修の問題などがあるため、実現へのハードルは低くありません。費用もかなりの額になりますから、行政当局が消極的になるのも頷けます。マンガやアニメなどのフィギュア博物館に、というのであれば、もっと別な形で模索したほうが良いのではないかと思います。


 円形校舎の南側には、校門の古い門柱も残されています。背面の刻銘によって、明治45年(1912)の建設と分かります。開校はその三年前だそうです。


 平成元年の追刻銘によって、明倫小学校がここから現在地へ移転したのが昭和51年(1976)であることが分かります。当時の私は小学生でした。 (続く)

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