
対大学選抜戦にて大洗女子学園に助太刀すべく駆けつけた、知波単学園の「鉄獅子」22輌です。その内訳は、九七式チハ旧砲塔が14輌、九七式チハ新砲塔が7輌、九五式軽戦車が1輌、です。
実際の日本陸軍が大部分の戦線にて車輌不足に悩まされた歴史とは真逆の、豊富な物量が示されるあたりも面白いのですが、22輌というのがガルパンの高校戦車道チームの一度の登場数としては最多であるのが更に面白いです。
そして、それだけの数であるのに車種は三つしかありません。一式中戦車も四式中戦車も出てきませんでした。この三種の車輌しか保有していないのかもしれません。特に九五式軽戦車は、福田の専用車のみであるような印象があります。
一番面白いのは、この22輌をもってしても試合に勝つのは難しい、と思ってしまう点です。戦史を通じて日本戦車のポンコツぶり、脆弱さが知れ渡っているせいもありますが、そんなふうに自国の戦車のひ弱さを理解し諦め半分に「我が国の戦車はダメだ」と、むしろ威張っていう日本人の有様に、なんとなく笑いがこみあげてきてしまいます・・・。
しかし、ガルパン劇場版の知波単学園チームは、そうした諦観を吹き飛ばす素晴らしい活躍をみせてくれました。最後の突撃こそあっけなく躱されて全滅に至りましたが、終盤近くまで戦い続けた日本戦車部隊の勇姿と闘志のさまは、大変に感動的でした。
その活躍ぶりこそ、武運つたなく散った数多の日本陸軍戦車兵たちへ捧げる最美の献花もしくは鎮魂歌であった、と信じたいです。
設定から見ても判る様に知波単の学園艦の大きさは大洗女子の学園艦より3倍程大きく見えます。これだけの戦車を一挙に22両を短期間で派遣出来る能力を見るところ学校は大学併設かマンモス級高校の学園艦なのかもしれません。
しかし22両と云う数の戦車は旧帝国陸軍の戦車2箇中隊規模に匹敵しますね。車種を揃えて纏まった数を出したチームは大学選抜チームと知波単学園くらいしかありません。
“強大な敵”“プロフェッショナルな集団”を演出する為に統一感を持たせ、大戦末期の戦車を揃えて登場させる…。Amazon限定特典戦車トークCDでBVの杉山Pが述べられた言葉ですが、大学選抜チームの部隊編成は“競技”ではなく“戦闘”を意識したもので、布陣も美しく感じます。
知波単学園の戦車中隊も大学選抜チームの猛々しい戦車大隊とは異なり、旧陸軍の戦車演習を彷彿させる様なシーンは記録映画で見る事が出来ない映像をアニメで再現し、誤った先入観や歪んだ偏見で正しく評価されなかった旧帝国陸軍戦車部隊の名誉回復と誇りをガルパン劇場版を通じて取り戻す契機になれば戦いで散った英霊の慰めにもなるのではと思わずにはいられません。
また本作品のテーマである“取り戻せ”は我々日本人の名誉と誇りの回復運動を後世に問いかけているのではないでしょうか?
当方は「取り戻せ」の意味をもっと広漠なイメージで捉えておりました。
ガルパンという作品群が、子供の頃に見て心を躍らせたアニメや番組の精神に近い要素を内包しているように思えるので、そういった、古き良き時代の日本と日本人の「心」を「取り戻せ」、ということなのだろうと。
その基本軸は、たぶん「最終章」にも脈々として受け継がれるのだろうな、と感じております。
各校の隊長が公式戦や練習試合、エキシビジョンマッチでは出来る限りの車両を動員しています。しかし大洗女子学園派遣に際しては何処の学校も半分以下の車両しか参加していません。(出来ないと言った正確かも…)
これは前者が授業や活動の一環として行われ、学校公認下で管理・運営されているのでしょう。
これに対し義勇派遣は大洗女子学園の“私戦”と云う位置付けや年度会計予算の都合上からか学校や学園艦を運営する生徒会自治組織が容易に認可しなかったのではないでしょうか?それに形式上は大洗女子学園VS大学選抜チームとなっている以上他校在籍の選手は参加出来ません。短期転校手続きなる制度も夏休みの間を利用した“オープンキャンパス”や“体験入学”に近いものなのかもしれません。
一方西絹代は対大学選抜チームとの闘いではエキシビジョンマッチの参加車両の3倍近く用意をしました。他校とは全くの逆です。もしかすると彼女は学園長や学園艦理事長のご令嬢か生徒会を動かすだけの力量を持った権限を有しているかではないでしょうか?大洗女子学園の例では角谷会長率いる生徒会上層部も戦車道チームに加わり、チームの運営のみならず、学園艦自治に大きく関与しています。西絹代の例も大洗女子に劣らず、これに近いのかもしれません。
現時点では継続高校や知波単学園に纏わる物語は劇場版だけなので、仮説の中で推察する事しか出来ませんが、今後の作品の進展を見守っていきたいものです。
ですが、本文にも書きましたように22輌はガルパンの高校戦車道チームの一度の登場数としては最多です。これだけの数をさらっと連れてくるあたり、西絹代の力量や立ち位置の大きさがなんとなく察しられます。トオル様の仮説の通りではないでしょうか。
ただ、チームメイトが指示を聞かずに暴走しがちなあたりからみると、戦車道の試合における西絹代の統率力、指揮権限はそんなに強く無かったのでは、と思ってしまいます。