行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

7年前のある在留資格変更不許可案件 その1(シリーズ第21回)

2009-04-06 11:42:46 | 行政書士のお仕事

 5年ぶりにある外国人から電話がありました。彼は、ある日系2世であったお父様の息子で日系3世であった外国人でありました。しかし、今は日系2世になっています。

 その訳は、私が彼のお父様であるMさんという日系2世であった方の日本国籍を回復するお手伝いをしたからでした。そのMさんの息子であるVM君から久しぶりに連絡を貰ったのでありました。と、言うよりは、お父様のMさんが6年前、私にお約束をしていて残っていた報酬を支払いたいとの事だったのです。正直に言えば、僅かな金額でもありました上に、お父様が可成りのご年配の方だったので、その事は殆ど忘れかけていたのでした。

 ところで、事の始まりは、約8年前に遡ります。ペルー料理店を経営している方から、知り合いの日系人の老人の手続を頼みたいとの相談を受けたのでした。数日後、資料を持参して事務所いらしたのでしたが、そのMさんの出生時には、日本人父とペルー人母とは事実婚であったことで、日本人の認知子ということがその資料から判明しました。しかし、Mさんご自身が本当の日本人の子であることを、ご持参された書類のみでは十分な確証が持てなかったのでした。

 そこで、その知人の方を通じて、Mさんの洗礼証明書、選挙人手帳、兵役手帳、現地日系人協会による日系人証明書やら、国立公文書館に保存されていたMさんのお父様のM氏の外国人登録原票謄本、幼なじみによる宣誓供述書等々など、数々の追加資料を現地から取り寄せて貰うよう依頼をしたのでした。そして、数ヶ月後にこれらの資料が次々と現地から郵送で届き、それらを精査したところ、Mさんが間違いなく日本人の子である事に確信が持てたのでした。しかし、Mさんの出生証明書が、現地ペルーの裁判所命令によって作成されていた事で、日本人父の認知の効力の問題があることも判明したのでした。

 ところで、Mさんの生まれた1924年には、明治時代に制定された旧々国籍法が有効であり、Mさんは日本人である事が、調べて行くうちに判明したのでした。正直に言ってこれには大変驚きました。

 「このMさんは、日本人なんだ!ただ単に戸籍に記載されていないだけなんだ!」と、当時の私にとっては全くの驚きでありました。寧ろ、日本人でありながら、戸籍が無い老人が実際に居ることの方が驚きだったのです。

 プロとして多少は自信を少し持ち始めた頃でしたので、これはプロとして何とか、この老日系人の権利を確保してあげなければならない、心底思ったのでした。ところが、事はそう簡単には行かなかったのです。それから、幾多の困難が待ち受けているとは、当時は想像すらしていなかったのですが・・・。

 以下、次回その2に続く・・・・。

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コメント (2)
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