21年前の1986年の今頃、私はコロンビアの片田舎での火力発電所建設現場で、海洋土木工事を行っていた某日系マリコン(海洋土木会社のこと)の通訳兼事務長として赴任していました。
所長、土木技術主任、若手土木技術者と通訳兼事務員の4名の他は、いわゆる職人さん達で、クレーンオペレーター、鳶職人、溶接工、海底作業ダイバー、機械工など日本人10数名の他に、現地コロンビア人の現場アシスタントや作業員が数十人で構成されていたのでした。
私の仕事は、現場通訳は勿論のこと、経理事務、現地従業員給与支払や勤務管理、現場消耗品・部品の調達から、日本人出張者達の日常生活の世話まで、現場作業以外は基本的には何でも屋でした。しかし、やはり重機を扱う危険な作業現場であったので、外に出る時は、必ずヘルメットと安全靴を着用していたのでした。
日本の建設現場の朝は、先ずは「ラジオ体操」から始まります。ここコロンビアでも、主要下請け会社のスタッフは、すべて日本人でしたから、やはり朝8時からのラジオ体操で仕事が始まっていました。
海岸線沿いの現場ですから、少々離れれば、ノーベル賞作家のガルシア・マルケスの作品に出てきそうな殺風景な砂浜や、白いペンキが剥がれ朽ちかけた家、そして紫色のヤドカリにそっくりな椰子蟹等を簡単に見かけることができたのでした。
コロンビアのこの一帯は、赤道近くの海岸線沿いにあり、首都ボゴタのように高地(高地ですと、気候はむしろ春先のように涼しいくらいの気温です。)では無いので、昼間は35度近くにまで気温が上昇します。
そんな昼間には灼熱地獄と化すような現場から、山に向かってラジオ体操をしていると、万年雪を被った山が涼しそうな姿で、我々を見下ろしていたのでした。おそらく、あの山のてっぺんの気温は零下5度以下なのでしょう。日中の気温からすると、目の前にある山の頂上(実際は、何十キロも先にあるのでしょうが・・・)の気温と、ここ地上との気温の差が少なくとも40度もあることが、妙に不思議な気がしたのでした。
わずか三千メーターか四千メーターの空気の層で、40度以上という劇的な温度差が生じている地球という奇跡の環境バランスを保っている惑星に、ただただ毎日驚いていました。
何キロメーターもある大気圏からすると、この薄皮のような地表と山頂との距離でも、これだけの気温の差が出るのですから、ちょっとした環境バランスが崩れてしまえば、地表温度が50度60度になったり、あるいは零下30度40度になったとしても、何も不思議はないな、などと妙に納得しながら、万年雪で覆われた山を眺めて、毎日ラジオ体操をしていた当時の事を、ここ最近連日続いている猛暑で思い出したのでした。