ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旅の豆知識「ケーブルカー」

2017年09月10日 | 旅の豆知識
 旅行先では、いろいろな乗り物に乗ることがあると思いますが、山への急勾配を登るときに、ケーブルカーを利用したことがあるのではないでしょうか。急傾斜を上がっていくので、スリリングで、眺望もよかったりします。
 やはり旅先での感動を与えてくれるのは、眺望の良さによるものが大きいと思われますが、スリリングなわくわく感も大切です。そういう意味では、ドライブウェーを使って一気に山上に上がってしまうよりも、面白いのではないでしょうか。
 ケーブルカーも近年廃線に追い込まれるものもあったりして、全国で20数路線だけになってしまっていますが、旅先ではぜひ乗車してみたいものです。

〇「ケーブルカー」とは?
 山の急斜面に設けた軌道上を、鋼索(ケーブル)が取り付けられた車両を巻上機等で巻き上げて運転する鉄道で、鋼索鉄道(こうさくてつどう)ともいいます。車両に動力を積まないため、推進効率に優れているのが特徴でした。種類は、交走式(つるべ式)ていって、行き違い個所のみ複線のものと、循環式といって、すべて複線のものがあります。日本で、現存するのは交走式のみですが、1989年(平成元)の横浜博覧会で期間限定で用いられた横浜エスケイの「動くベンチ」が循環式でした。
 世界最初のケーブルカーは、1830年にスイスに登場しましたが、高い山の頂から美しい景色を見ようという観光目的のためでした。日本では、1918年(大正7)8月29日に、近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道の系列会社の生駒鋼索鉄道により、宝山寺への参拝客を見込んで、鳥居前駅~宝山寺駅間(宝山寺1号線)に建設されたものが最初で、路線距離は0.9km、高低差146m、最急勾配227‰でした。その後、大正時代末期から昭和時代初期にかけて全国各地に建設されましたが、太平洋戦争の戦局悪化に伴い、観光目的のものは大半が不要不急線に指定され、休止に追い込まれたのです。
 戦後復活したものもあり、観光ブームに乗って新設されたものもありましたが、近年、山上まで車道が建設され、自家用車で行けるようになると、乗客が減少して、廃線に追い込まれるところも出てきました。

☆「ケーブルカー」のお勧め

(1)高尾登山電鉄高尾鋼索線(東京都八王子市)
 高尾登山鉄道によって、高尾山薬王院への参拝客を見込んで、1927年(昭和2年)1月21日、清滝駅~高尾山駅間に設置・開業したものです。路線は、全長1,020m、最大勾配608‰(日本最高勾配)、高低差271mでした。太平洋戦争の戦局悪化に伴い、1944年(昭和19)2月11日より不要不急線として休止されましたが、戦後の1949年(昭和24)10月16日より運行を再開します。通称は“高尾登山ケーブル”と呼ばれ、「ケーブルカーの線路では日本一の急勾配」がキャッチフレーズとなっています。

(2)立山黒部貫光鋼索線(富山県新川郡立山町)
 立山黒部アルペンルートの中に、立山ケーブルカーと黒部ケーブルカーの2路線があります。立山駅~美女平駅間の立山ケーブルカー(全長1,366m、最大勾配560‰、高低差487m)は、1954年(昭和29年)8月13日に開業しました。また、黒部湖~黒部平間の黒部ケーブルカー(全長828m、最大勾配587‰、高低差373m)は、1969年(昭和44年)7月20日の開業で、全区間が地下トンネルを通っているのが特徴です。この立山黒部アルペンルートは、雄大な大自然を感じられるところで、ぜひ一度は訪れたいものです。

(3)比叡山鉄道比叡山鉄道線(滋賀県大津市)
 比叡山鉄道によって、比叡山延暦寺への参拝客を見込んで、1927年(昭和2年)3月15日に、坂本(現在のケーブル坂本)~叡山中堂(現在のケーブル延暦寺)間が開業したものです。路線は、全長2,025m(現在日本最長)、最大勾配333‰、高低差484mでした。太平洋戦争の戦局悪化に伴い、1945年(昭和20) 3月19日より不要不急線として休止されましたが、戦後の1946年(昭和21)8月7日より運行を再開します。1966年(昭和41)に群馬県の伊香保ケーブル鉄道が廃止されて以来日本最長のケーブルカー(所要時間は11分)となりました。

(4)京福電気鉄道鋼索線(京都府京都市)
 京都電燈によって、比叡山延暦寺への参拝客を見込んで、1925年(大正14)12月20日に、西塔橋(現在のケーブル八瀬)~四明ヶ嶽(現在のケーブル比叡)間が開業したものです。路線は、全長1,458m、最大勾配530‰、高低差561m(日本最大)でした。太平洋戦争の戦局悪化に伴い、1944年(昭和19)より不要不急線として休止されましたが、戦後の1946年(昭和21)より運行を再開します。日本最大の高低差561mもあり、眺望の良いのが特徴ですが、冬期は休業(1月1~3日は運転)します。

(5)近畿日本鉄道生駒鋼索線宝山寺線・山上線(大阪府生駒市)
 日本最初のケーブルカーで、近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道の系列会社の生駒鋼索鉄道により、宝山寺への参拝客を見込んで、1918年(大正7)8月29日に、鳥居前駅~宝山寺駅間(宝山寺1号線)に開業したものです。路線は、全長948m、最大勾配227‰、高低差146mでした。その後、1922年(大正11)1月25日に、大阪電気軌道が生駒鋼索鉄道を合併したのです。そして、1926年(昭和元)12月30日に、宝山寺2号線が開業して、鳥居前駅~宝山寺駅間が複線化しました。さらに、1929年(昭和4)3月27日には、これに続く、山上線の宝山寺駅~生駒山上駅間が開業します。しかし、太平洋戦争の戦局悪化に伴い、山上線は、1944年(昭和19)2月11日より不要不急線として休止されましたが、戦後の1945年(昭和20)8月1日より運行を再開しました。

☆日本のケーブルカー(鉄道事業法によるもの)一覧

・青函トンネル記念館青函トンネル竜飛斜坑線(青函トンネル体験坑道)全長778m、最大勾配250‰
・筑波観光鉄道 筑波山鋼索鉄道線(筑波山)全長1,634m、最大勾配358‰、高低差495m
・高尾登山電鉄高尾鋼索線(高尾山)全長1,020m、最大勾配608‰、高低差271m
・御岳登山鉄道(御岳山) 全長1,107m、最大勾配470‰、高低差424m
・箱根登山鉄道鋼索線(箱根山)全長1,240m、最大勾配200‰、高低差214m、中間駅4駅あり
・大山観光電鉄大山鋼索線(大山)全長786m、最大勾配477‰、高低差278m、中間駅1駅あり
・伊豆箱根鉄道十国鋼索線(十国峠)全長317m、最大勾配408‰、高低差101m
・立山黒部貫光鋼索線(立山黒部平)全長828m、最大勾配587‰、高低差373m
・立山黒部貫光鋼索線(立山美女平)全長1,366m、最大勾配560‰、高低差487m
・比叡山鉄道比叡山鉄道線(比叡山延暦寺)全長2,025m、最大勾配333‰、高低差484m、中間駅2駅あり
・京福電気鉄道鋼索線(比叡山延暦寺)全長1,458m、最大勾配530‰、高低差561m
・鞍馬山鋼索鉄道(鞍馬山鞍馬寺)全長207m、最大勾配499‰、高低差89m
・丹後海陸交通天橋立鋼索鉄道(天橋立傘松展望台)全長391m、最大勾配461‰、高低差115m
・近畿日本鉄道生駒鋼索線宝山寺線(生駒山)全長948m、最大勾配227‰、高低差146m
・近畿日本鉄道生駒鋼索線山上線(生駒山)全長1,124m、最大勾配333‰、高低差322m、中間駅2駅あり
・近畿日本鉄道西信貴鋼索線(高安山)全長1,263m、最大勾配480‰、高低差354m
・南海電気鉄道鋼索線(高野山金剛峯寺)全長864m、最大勾配563‰、高低差329m
・京阪電気鉄道鋼索線(男山石清水八幡宮)全長411m、最大勾配206‰、高低差82m
・能勢電鉄鋼索線(妙見山)全長666m、最大勾配424‰、高低差229m
・六甲山観光六甲ケーブル線(六甲山)全長1,764m、最大勾配498‰、高低差493m
・神戸すまいまちづくり公社摩耶ケーブル線(摩耶山)全長964m、最大勾配547‰、高低差312m
・四国ケーブル(五剣山)全長684m、最大勾配288‰、高低差167m
・皿倉登山鉄道(皿倉山)全長1,191m、最大勾配528‰、高低差441m
・岡本製作所別府ラクテンチケーブル線(別府ラクテンチ)全長253m、最大勾配558‰、高低差122m

旅の豆知識「カレーライス」

2017年09月09日 | 旅の豆知識
 日本中に最も普及している「国民食」とも呼ばれるものは、「ラーメン」と「カレーライス」ではないでしょうか。今日では、北は北海道から南は沖縄まで数多くのカレーライス店があり、一般食堂でもたいていメニューに載っていますので、日常的に食されることも多いのではないでしょうか。
 それだけに、旅先で食べる機会もあるかと思いますが、近年、町おこしの一環として、「ご当地カレー」というのが各地にできて、盛んに宣伝しているところもあります。各地ごとにカレーライスに工夫があって、地元の食材などを使ったりしていて、それを巡って食べてみるのも、結構面白いものです。
 旅行を計画する時には、日本各地のカレーライスの名店に立ち寄るのを入れてみても、良いと思いますよ。

〇「カレーライス」とは?
 肉類と野菜を炒めて煮込み、カレー粉で味をつけたソースを、ご飯にかけた料理のことで、インド料理を元にイギリスで生まれ、日本で独自に変化した料理とされています。日本では、ラーメンと並んで『国民食』と呼ばれるほど人気がある料理となりました。
 この料理は、幕末・明治維新期から書物に記載が見られるようになり、1872年(明治5)の料理書『西洋料理通』(仮名垣魯文著)、『西洋料理指南』(敬学堂主人)発刊には、カレーの料理法が掲載されるようにななったのです。また、1873年(明治6)には、陸軍幼年生徒隊の食事は、土曜日の昼食はライスカレーだったそうで、1876年(明治9)に開校した全寮制の「札幌農学校」でも、1日おきにカレーライスが供されました。
 その後、一般の食堂でも徐々にメニューに載せられるようになっていきます。そして、1893年(明治26)の『婦女雑誌』に、「即席ライスカレー」の作り方が紹介されるようになり、1903年(明治36)には、大阪の薬種問屋「今村弥」(現在のハチ食品)から、初の国産カレー粉が製造販売されるようになりました。さらに、1906年(明治39)には、東京・神田の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」を発売し、家庭でも作れるようになっていきます。
 一方、1908年(明治41)、大日本帝国海軍が配布した『海軍割烹術参考書』に、「カレイライス」のレシピが載るようになり、「海軍カレー」が供されるようになって、兵士を通じても普及していきました。また、大正時代になると、安価で「カレーライス」を提供する食堂も登場し、庶民の中にも広がって行ったのです。
 太平洋戦争中の1941年(昭和16)~1945年(昭和20)は、食料統制のため、軍用以外のカレー粉製造・販売が禁止されたものの、太平洋戦争後は、カレー粉の販売も再開されて、学校給食のメニューにもカレーライスが全国的に採用されるようになりました。そして、広く国民に食べられるようになっていき、1969年(昭和44)に大塚食品が、初のレトルトカレー「ボンカレー」を発売するや急速に広まっていったのです。その後、1990年代後半頃からは、町おこしの一環として、各地の特産物を使用したカレーが続々と登場し、「ご当地カレー」として有名になっていきました。

☆「カレーライス」の名店のお勧め

(1)マジックスパイス(北海道札幌市白石区)
 “スープカレー”は、1971年(昭和46)に札幌市中央区の喫茶店「アジャンタ」が発売した薬膳カリィがオリジナルとされますが、1993年(平成)に白石区・本郷通商店街の「マジックスパイス」がそれにソトアヤムというインドネシア料理のエッセンスを加えて「スープカレー」と名付けて売りだしたのが最初です。それが、とても評判となり、現在では、札幌市内の200店以上ところで供されるようになりました。「マジックスパイス」のスープカレーは、激辛まで何段階か辛さを選べるのが人気となっています。

(2)新宿中村屋(東京都新宿区)
 1918年(大正7)に、創業者の娘がインドの独立運動家のラス・ビハリ・ボースと結婚をしたことから、本格的なカリーの調理を学び、1927年(昭和2)から純インド式カリーの販売を開始しました。キャッチフレーズは、「恋と革命の味」はここからで、とても評判となり、この味は今日まで伝えられていて、とても美味しいのです。

(3)横須賀海軍カレー本舗(神奈川県横須賀市)
 “よこすか海軍カレー”は、1908年(明治41)に、大日本帝国海軍が配布した『海軍割烹術参考書』のレシピを元に現代に復元したカレーで、サラダと牛乳がセットとして提供され、「ご当地カレー」の一つとなっています。「横須賀海軍カレー本舗」は、よこすか海軍カレーを基本に常時10種類以上の本格的なカレー料理を楽しめるレストランと、よこすか海軍カレーレトルトや横須賀の物産・お土産を取り揃えた物産品コーナーがありました。このカレーは、牛肉、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、じゃがいもが入り、非常に素朴な味わいで、懐かしい感じです。

(4)Cafe'Rest風見鶏(岐阜県郡上市白鳥町)
 “奥美濃カレー”は、町おこしの一環として始まったもので、「奥美濃カレープロジェクト」によって、「郡上市で生産されている食材や天然水を使用し、隠し味として郡上市特産の郡上味噌を使用したカレー」と定義され、郡上市内30店舗以上で提供されています。「Cafe'Rest風見鶏」の“おくみのツインカレー”は、中央のライス盛りの周囲に、左にダークブラウン系の「飛騨牛欧風カレー」、右にベージュ土色系の「辛口チキンカレー」の2種類の味を一度に楽しめるもので、この店の人気メニューです。

(5)門司港茶寮 別館(福岡県北九州市門司区)
 “焼きカレー”は、昭和30年代から、門司港(現在の北九州市門司区)で供されるようになった、米飯の上にカレーソースとチーズなどをのせ、オーブンで焼いたものです。「門司港茶寮 別館」は、焼きカレー専門店で、耐熱皿に、白米・黒米・赤米のブレンドを入れ、タマネギ等の野菜を炒めたものを含んだカレーソースをかけ、チーズをトッピングして、焼き上げたものでした。辛さはあまりなく、チーズによって、更にマイルドになっていて、なかなか美味です。

☆日本の主要な「ご当地カレー」一覧

<北海道>
・えぞ鹿カレー(北海道) えぞ鹿の肉が入ったカレーです。
・富良野オムカレー(北海道富良野市) カレーにオムレツを載せたご当地グルメです。
・オホーツク流氷カリー(北海道北見市)
・札幌スープカレー(北海道札幌市)

<東北>
・ほたてカレー(青森県) 青森産のホタテの入ったカレーです。
・サクランボカレー(山形県)
・あいがけ神代カレー(秋田県仙北市) 昔風のカレーと現代風のカレーをひと皿に盛りつけ、ご飯を添えたものです。

<関東>
・ツェッペリンカレー(茨城県土浦市)
・みなかみダムカレー(群馬県みなかみ町) ダムに見立てたご飯の片側にカレーを盛り付けたものです。
・サバカレー(千葉県)
・白樺派のカレー(千葉県我孫子市)
・北本トマトカレー(埼玉県北本市)
・よこすか海軍カレー(神奈川県横須賀市) 『海軍割烹術参考書』のレシピを元に現代に復元したカレーで、サラダと牛乳がセットとして提供されます。

<中部>
・桃カレー(山梨県)
・ブドウカレー(山梨県)
・リンゴカレー(長野県)
・黒部ダムカレー(長野県大町市)
・おもろカレー(静岡県磐田市)
・奥美濃カレー(岐阜県郡上市) 郡上市で生産されている食材や天然水を使用し、隠し味として郡上市特産の郡上味噌を使用したカレーです。
・飛騨牛カレー(岐阜県飛騨地方) 飛騨牛が入ったカレーです。
・名古屋コーチンチキンカレー(愛知県名古屋市他) 名古屋コーチンが入ったチキンカレーです。
・氷見カレー(富山県氷見市) 氷見産の煮干しを生かしたカレーです。
・金沢カレー(石川県金沢市)
・越前イカカレー(福井県)

<近畿>
・桑名カレー(三重県)
・三重大カレー(三重県)
・松阪牛カレー(三重県)
・総長カレー(京都市)
・黒米カレー(奈良県奈良市、大和郡山市他)

<中国・四国>
・梨カレー(鳥取県)
・カキカレー(広島県)
・水軍カレー(愛媛県松山市)

<九州・沖縄>
・博多とんこつカレー(福岡県)
・焼きカレー(福岡県北九州市門司区) 米飯の上にカレーソースとチーズなどをのせ、オーブンで焼いたものです。
・ゴーヤーカレー(沖縄県)
・SPAMカレー(沖縄県)

旅の豆知識「ラーメン」

2017年09月08日 | 旅の豆知識
 日本中に最も普及している食べ物の一つは、「ラーメン」ではないでしょうか。今日では、北は北海道から南は沖縄まで数多くのラーメン店があり、一般食堂でもたいていメニューに載っていますし、屋台で食されることも多いのではないでしょうか。
 それだけに、旅先で食べる機会も多いと思いますが、近年「ご当地ラーメン」というのが各地にできて、盛んに売り出しているところもあります。土地土地によってラーメンに工夫があって、それを巡って食べてみるのも、結構楽しいものです。
 旅行を計画する時には、日本各地のラーメンの名店に立ち寄るのを入れてみても、面白いと思いますよ。

〇「ラーメン」とは?
 ラーメン(拉麺)は、中国料理の麺料理に起源を持ちますが、日本で独自の発展を遂げたもので、小麦粉に塩・鹹水(かんすい)などを加えて練り、細長く引き伸ばした麺類の一種です。それを茹でて、醤油味味噌味、塩味などのスープを入れ、焼き豚・メンマなどの具を加えたものとして供されます。
 日本では、幕末に開国された港に出来た中国人街(南京街)に中華料理店の?料理にルーツを持ち、独自に進化していき、1923年(大正12)の関東大震災後に、大いに流行したもので、当時は「支那そば」と呼ばれていました。

☆「ラーメン」の名店のお勧め

(1)蜂屋(北海道旭川市)
 “旭川ラーメン”は、スープは魚介類と、豚骨・鶏ガラでだしをとった醤油ダレのものが多く、麺は低加水縮れ中細であるのが特徴です。「蜂屋」は、1947年(昭和22)に旭川で創業した老舗で、醤油ラーメンをメインとし、独特な「焦がしラード」と、旭川ラーメンの特徴とも言われる「動物系と魚介系のダブルスープ」の濃厚さを特徴としています。

(2) 上海(福島県喜多方市)
 “喜多方ラーメン”は、日本三大ラーメンのひとつに数えられますが、スープは醤油味の透明な豚骨スープが基本で、麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、太麺で独特の縮れがあり、食感は柔らかいのです。喜多方市街にある「上海」は、スープは豚骨ベースの甘口あっさり醤油味で、麺は熟成された若干太めの縮れ麺で、スープが程よく絡んで美味しいのです。

(3)宝来軒(栃木県佐野市)
 “佐野ラーメン”は、スープはコクのある醤油味が特徴とされ、竹を使って麺をうつ、青竹打ちの平麺が特徴で麺はコシが強く、太さは中太から細麺です。「宝来軒」は、創業が1930年(昭和5)と古く、「青竹打ち」の佐野ラーメンの元祖で、澄んだ味わい深いスープとコシの強い麺に特徴があります。

(4)春木屋(東京都杉並区)
 “東京ラーメン”は、スープは鶏ガラベースの醤油味で、麺は中細縮れ中華麺が使用されます。「春木屋」は、JR荻窪駅近くにある東京ラーメンを代表する有名店で、スープは豚骨、鶏ガラ、タマネギ、長ネギなど20種類もの材料で取り、あっさりとしたもので、麺は固めですが、スープとよく合って美味しいのです。 

(5)元祖赤のれん 節ちゃんラーメン(福岡県県福岡市)
 “博多ラーメン”は、日本三大ラーメンのひとつに数えられますが、弾力のあるコシと滑らかな食感が特徴で、香川県は、全国で県民一人あたりうどんの消費量がトップです。「元祖赤のれん 節ちゃんラーメン」は、中国から引き揚げてきた初代店主が、1946年(昭和21)にラーメン屋台を引き始め、1952年(昭和27)に店舗を構えたという歴史があります。スープは豚骨だけを煮詰めたものに大量のラードを加え、麺は白くて細くて固くて、こってりとした味わいが特徴です。

(6)こむらさき(鹿児島県鹿児島市)
 “鹿児島ラーメン”は、スープは豚骨をベースにした半濁のもので、麺はストレートが基本となっています。「こむらさき」は、先代が台湾の新竹からやってきて、1950年(昭和25)に創業したという老舗で、スープは豚丸ごと椎茸や鳥肉と72時間煮込んだもので、麺は鹹水を使わない特製の蒸したもので細くて白く、鹿児島県産黒豚のチャーシュー、キャベツを入れたラーメンで、後引く美味さです。

☆日本の主要なご当地ラーメン一覧

<北海道>
・旭川ラーメン(北海道旭川市) スープは魚介類と、豚骨・鶏ガラでだしをとった醤油ダレのものが多く、麺は低加水縮れ中細であるのが特徴です。
・札幌ラーメン(北海道札幌市) スープはあっさりした豚骨ベースで、醤油味・味噌味・塩味の3種類が提供されます。
・函館ラーメン(北海道函館市) スープは豚骨や鶏ガラ等のダシに塩タレを入れた透明な塩味で、麺は柔らかめの中太ストレート名のが特徴です。

<東北>
・八戸らーめん(青森県八戸市) スープは南部地鶏と白銀産の煮干でだしを取った特製の醤油味で、地元の食材を使い、麺は手もみの縮れ麺が特徴です。
・米沢ラーメン(山形県米沢市) スープは出汁に野菜や鶏ガラ、煮干しなどを使ったあっさりとした醤油味で、細打ち縮れ麺が特徴です。
・喜多方ラーメン(福島県喜多方市) スープは醤油味の透明な豚骨スープが基本で、麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、太麺で独特の縮れがあり、食感は柔らかい。
・白河ラーメン(福島県白河市) スープは豚骨や鶏ガラを主体とした醤油ベースの澄んだもので、スープが絡みやすい多加水の幅が広い縮れ麺が大きな特徴です。

<関東>
・佐野ラーメン(栃木県佐野市) スープはコクのある醤油味が特徴とされ、竹を使って麺をうつ、青竹打ちの平麺が特徴で麺はコシが強く、太さは中太から細麺です。
・竹岡ラーメン(千葉県富津市) スープは醤油ダレに麺茹でに使用した湯を入れるのみで、麺は乾麺を使用する場合が多い。
・東京ラーメン(東京都) スープは鶏ガラベースの醤油味で、麺は中細縮れ中華麺が使用されます。
・油そば(東京都武蔵野市など) スープのないラーメンの一種で、どんぶりの底に入ったごま油や、しょうゆベースのタレに、ラー油、酢などの調味料を好みでかけ、麺に絡めて食べます。
・サンマーメン(神奈川県横浜市など) 細麺を使った塩または醤油味のラーメンの上に、炒めたモヤシ入りのあんをかけたものです。

<中部>
・高山ラーメン(岐阜県高山市) スープは鶏ガラベースのあっさり醤油味で、麺は極細ちぢれ麺です。
・台湾ラーメン(愛知県名古屋市など) 豚挽き肉・ニラ・長ねぎ・モヤシなどをトウガラシで辛く味付けして炒め、醤油ベースのスープを加えて茹でた麺にかけたものです。

<近畿>
・京都ラーメン(京都府京都市など) スープはこってりとして濃厚なのが特徴で、麺はかん水の少ないストレートなものが多い。
・和歌山ラーメン(和歌山県和歌山市など) スープは醤油ベースと豚骨ベースの豚骨醤油味の二種類あり、麺は縮れのないストレートな細麺が一般的です。

<中国>
・尾道ラーメン(広島県尾道市) スープは豚の背脂を浮かせた醤油ベースで、麺は平打ちが特徴です。

<四国>
・徳島ラーメン(徳島県徳島市) スープは茶系・黄系・白系の3系統ありますが、いずれも味は濃く、やや強めの甘味があるのが特徴です。
・須崎ラーメン(高知県須崎市) スープは親鳥の鶏がら醤油ベースで、麺は細いストレートで少し硬め、鍋焼きラーメンとも言われ、土鍋で煮込んでいるのが特徴です。

<九州>
・博多ラーメン(福岡県福岡市) スープは豚骨主体の乳白色のもので、麺は極細なのが特徴です。
・久留米ラーメン(福岡県久留米市) スープは豚骨強く煮込んだ、濃厚で匂いも強いもので、麺はストレートで細いのが特徴です。
・熊本ラーメン(熊本県熊本市) スープは豚骨に鶏ガラを使うのが基本で、麺は低加水の中太ストレート麺を使い、やや堅めに茹で上げてあるのが特徴です。
・鹿児島ラーメン(鹿児島県鹿児島市) スープは豚骨をベースにした半濁のもので、麺はストレートが基本となっています。

旅の豆知識「うどん」

2017年09月07日 | 旅の豆知識
 旅先でよく食べるものの一つに、「うどん」があるのではないでしょうか。現在では、日本中に普及していて、食堂のメニューにも多く、駅等の立ち食いなどもあります。
 しかし、昔は「うどん」の原料となる小麦は、西日本の肥沃な平野部で裏作として作られていて、東日本の山間部の瘦せ地で作られていた「蕎麦」とは好対照だったのです。従って「うどん」は、どちらかというと小麦のとれる西日本の平野部で主に作られていたという感じがあります。
 また、「うどん」のダシ汁は、東日本で濃く、西日本では薄いという印象もありましたが、近年ではいろいろな「うどん」が作られて、食されているようです。
 現在では、食するだけでなく、工場見学や製造体験のできるところもありますので、旅先で訪れてみることをお勧めします。

〇「うどん」とは?
 うどん(饂飩)は、小麦粉を原料とした麺類の一種です。小麦粉を食塩水と練り合せて線状に切出し、ある程度の幅と太さを持つ麺で、乾麺や生麺として流通していました。日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』では、うどん(饂飩)の太さは直径1.7mm以上とされています。これより細い直径1.3mm以上~1.7mm未満はひやむぎ(冷麦)、1.3mm未満はそうめん(素麺)と分類されていました。
 名称は奈良時代に中国から渡来した唐菓子の混飩(こんとん)からの転化とされていますが、現在のように細長く切ったものとして、本格的に普及したのは江戸時代だと言われています。その後、日本各地で作られて食されるようになり、栃木県佐野市の耳うどん、群馬県などのおっきりこみ、山梨県のほうとう、愛知県のきしめん、徳島県北東部のたらいうどんなど郷土色豊かなものになっているところもあります。

☆「うどん」の名店のお勧め

(1)佐藤養助総本店(秋田県湯沢市稲庭町)
 “稲庭うどん”は、手延べ製法の細い乾麺で、日本三大うどんのひとつに数えられています。佐藤養助総本店は、製麺業者の直営店で、300年以上前の製法をそのまま伝える近くの工場で作られた手作り麺を使用していますが、昆布、焼干、干しシイタケ、カツオ節で取ったダシが味わい深く、美味しかったのです。

(2) 大澤屋(群馬県渋川市)
 “水沢うどん”は、生地を捏ねてから伸ばすまでの間に、熟成期間があり、こしがあるのが特徴で、水沢観音の門前で供されて広まりました。その中で、水沢うどん街道にある「大澤屋」は、麺に強いコシと弾力があり表面はツルツルとして輝いていて、とても美味しいのです。釜揚げうどんもお勧めですし、舞茸の天ぷらも添えたいところです。

(3)うどん茶屋 海津屋(富山県氷見市)
 “氷見うどん”は、手延べの細麺が特徴で、加賀藩献上御用として、藩政期より250年以上の歴史があります。「うどん茶屋 海津屋」製造元である海津屋さんが 工場の隣に出された直営店で、うどんは、手延べの細麺で、ツルっとした舌触りとモチモチ感のある食感がとても良かったです。

(4)宮きしめん神宮店(愛知県名古屋市)
 “きしめん”は、愛知県では江戸時代からの郷土料理となっていて、麺の形状が平たいのが特徴で、日本農林規格(JAS)の乾麺では、「幅を4.5mm以上、厚さを2.0mm未満の帯状に成形したもの」となっています。「宮きしめん神宮店」は、名古屋市の熱田神宮の境内にあり、門前の茶屋の雰囲気の店舗です。宮きしめんは、醤油のきいた赤いだしがとても美味で、その他のメニューには、おすましきしめん、とろろきしめん、白えびかき揚げきしめん、天ぷらきしめんなどがありました。 

(5)小縣屋(香川県丸亀市)
 “讃岐うどん”は、日本三大うどんのひとつに数えられますが、弾力のあるコシと滑らかな食感が特徴で、香川県は、全国で県民一人あたりうどんの消費量がトップです。「小縣屋」は、丸亀市に本拠を置き、“元祖しょうゆうどん”と銘打っているだけあって、茹でたての歯ごたえのあるコシの強い麺に、だいこんおろし、すりごま、ねぎ、すだち汁等を好みに合わせて入れ、生しょうゆをかけて食べるのがとても美味しくて、お勧めです。

(6)竹酔亭本店(長崎県松浦郡新上五島町)
 “五島うどん”は、五島列島で産する乾麺で、日本三大うどんのひとつに数えられますが、厚めに丸く伸ばした生地を鎌で渦巻き状に切り出した後、手延べ製法で作られます。「竹酔亭本店」は、ますだ製麺の直営店で、事前に申し込めば工場見学や体験も可能です。ここでは、手延べでコシの強い麺を薬味がたっぷりと入ったつゆにつけて食べるのが美味でした。

☆日本の「うどん」主要産地一覧

<東北>
・稲庭うどん(秋田県南部) 手延べ製法の細い乾麺で、日本三大うどんのひとつに数えられています。

<関東>
・おっきりこみ(群馬県・埼玉県北部・秩父地方) 二毛作による粉食文化のある地域の麺の入った野菜煮込み料理です。
・桐生うどん(群馬県桐生市) この地域で食べられているもので、麺はやや太めで、「ひもかわ」と呼ぶ幅広な麺もあります。
・館林のうどん(群馬県館林市) 江戸時代中頃より館林藩の名物として将軍家に献上されたとの記録があり、乾麺が中心です。
・水沢うどん(群馬県渋川市伊香保町水沢) 生地を捏ねてから伸ばすまでの間に、熟成期間があり、こしがあるのが特徴です。
・耳うどん(栃木県佐野市仙波) ここの郷土料理で、耳の形をしたすいとんのような塊状の麺を使用するので、この名があります。
・加須うどん(埼玉県加須市) この地域の郷土料理で、コシが強く、また加水率が高いのが特徴です。
・武蔵野うどん(東京都・埼玉県) 昔の武蔵国地域のもので、地粉を使ったゴワゴワしてコシが強く黒っぽい麺が多いのです。
・ほうとう(山梨県) 郷土料理でかぼちゃや根菜類等季節野菜を主体とした味噌汁に、生地に塩を練りこまずコシを作らない状態で幅広に切った麺を、打ち粉が付いたままの生状態から入れて煮込みます。

<中部>
・きしめん(愛知県) 江戸時代からの郷土料理、麺の形状が平たいのが特徴です。
・吉田のうどん(山梨県富士吉田市) 非常に強い固さと太さが特徴で、煮干や鰹節を出汁とした味噌または醤油味の汁で食べます。
・氷見うどん(富山県氷見市) 加賀藩献上御用として藩政期より250年以上の歴史があり、手延べの細麺が特徴です。
・小松うどん(石川県小松市) 細麺でのどごしが良いのが特徴で、加賀藩が名物として大名へ献上品としたという歴史があります。

<近畿>
・伊勢うどん(三重県伊勢市など) 柔らかくゆでた極太の麺に、たまり醤油に鰹節やいりこ、昆布などの出汁を加えた、黒く濃厚なつゆを絡めて食べるものが主流です。
・京うどん(京都府京都市) だしに強くこだわり、麺は細い麺をコシがなくクタクタになるまで煮て箸で麺を持ち上げると切れるくらいにするのが特徴です。

<中国>
・備中うどん(岡山県浅口市鴨方町など) 鴨方うどん、かも川うどんとも呼ばれ、昔からの手延乾麺の産地で、手延そうめんや手延ひやむぎと共に手延うどんも製造されています。

<四国>
・鳴門うどん(徳島県鳴門市) コシのほとんどない細麺で、だしは煮干しなどを用いたあっさりしたものです。
・たらいうどん(徳島県北東部の阿波市土成地区) ゆで汁ごと大きなたらいにあけ、それを数人で囲み、つけ汁に付けて食べます。
・讃岐うどん(香川県) 日本三大うどんのひとつに数えられますが、弾力のあるコシと滑らかな食感が特徴です。香川県は、全国で県民一人あたりうどんの消費量がトップです。

<九州>
・博多うどん(福岡県福岡市・北九州市など) 腰が弱めで柔らかいものが一般的で、汁は昆布・鰹節・うるめ・鯖節・いりこ・あじこ・あご(トビウオ)等を使用し薄口醤油で仕上げています。
・五島うどん(長崎県五島市など) 五島列島で産する乾麺で、日本三大うどんのひとつに数えられますが、厚めに丸く伸ばした生地を鎌で渦巻き状に切り出した後、手延べ製法で作られます。

旅の豆知識「素麺」

2017年09月06日 | 旅の豆知識
 旅行先では、いろいろなものを食べることがあると思いますが、夏の風物詩と言えば、やはり「素麺(そうめん)」です。特に、流しそうめんなどを食する機会があれば、清涼感もあって、心地よくなります。
 ところが、一口に「素麺」といっても、長い歴史のある食べ物で、昔は、伝統的な製法である「手延べそうめん」によって製造されており、日本各地に産地があって、土地土地の違いもあるものでした。
 現在では、廃れてしまった産地もありますが、伝統を受け継いで製造が続けられている所も結構あるのです。中には、食するだけでなく、工場見学や製造体験のできるところもありますので、旅先で訪れてみることをお勧めします。

〇「素麺」とは?
 素麺(そうめん)は、小麦粉を原料とした細い麺類の一種です。小麦粉に食塩と水を加えて練り、植物油(綿実油など)を塗り込みながら伸ばし、日光で乾燥して一定の長さに切って束ねたもので、主に乾麺として流通していました。機械そうめんと手延べそうめんがあり、日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』では、機械そうめんの場合、素麺の麺の太さは直径1.3mm未満とされています。これより太い直径1.3mm以上~1.7mm未満はひやむぎ(冷麦)、1.7mm以上はうどん(饂飩)と分類されていました。
 日本国内では奈良県桜井市が発祥の地とされ、奈良時代に唐から伝来した索餅に由来するとするとの説があり、ここから各地に広まって、以前は農家の副業として厳寒期に生産されていました。奈良の三輪そうめん、大阪の河内そうめん、兵庫の揖保の糸、淡路島のそうめん、小豆島のそうめんなどが知られていたのですが、現在では衰退した地域もあります。

☆「素麺」の名店のお勧め

(1)味見処「光庵(ひかりあん)」(宮城県白石市)
 “白石温麺”は、長さ10cm程度の短い素麺で、製造に油を使用しないのが特徴でした。この店は、きちみ製麺の直営店で、隣接する工場で作られた麺を使用していますが、手延べ職人により一本一本丁寧に細く延ばしていて、抜群のコシとつるみが特徴です。昔ながらの茅葺き屋根の武家屋敷を改装した店舗で風情があり、とろとろ豚うーめん、麻婆うーめん(秋・冬限定)、牛肉盛芋煮うーめん(秋限定)、冷しうーめん、とろ玉うーめんなどの変わったメニューもあります。

(2) 三輪茶屋(奈良県桜井市)
 “三輪素麺”は、最も素麺作りの歴史が長く、全国に分布する素麺産地の源流は、ほとんどが三輪からと言われていました。その中で、享保2年創業の手延べ素麺「三輪そうめん山本」直営の食事処が、「三輪茶屋」で、冷やしそうめんとにゅうめん(温かいそうめん)を食べることができ、柿の葉寿司やくず餅のついたセットもあります。ここでは、料理店でもよく利用される超極細の白髪、もちもち食感の倭飛龍、カラフルな卑弥呼五彩などの多彩な素麺を製造していました。

(3)そうめんの里 レストラン「庵」(兵庫県たつの市)
 “播州素麺”は、兵庫県の播磨地方の良質の小麦、揖保川の清流、赤穂の塩など原料に恵まれていたことから素麺作りが盛んになったと言われ、現在日本国内1位の生産高を誇っています。「そうめんの里」は、有名ブランド「揖保乃糸」の資料館で、「手延べそうめん」の伝統の技と味わいを体験できる施設で、そうめんの歴史と製造工程を学習することができました。その中にあるレストラン「庵」では、ざるそうめん、にゅうめん(温かいそうめん)を始め各種のメニューがそろっており、春から秋にかけては外での流しそうめんも食することができます。 

(4)なかぶ庵(香川県小豆郡小豆島町)
 “小豆島手延べ素麺”は、香川県の小豆島が産地で、酸化しにくい胡麻油を使って延ばすのが特徴で、通常のそうめん作りで行う油臭さを抜くための熟成の行程を通さなくても、風味豊かなまま食べることができます。「なかぶ庵」は、工場の直営で、いっしょに箸分け体験や工場見学をすることも可能でした。食事メニューとしては、工場から作りたての麺料理(生そうめん・生うどんなど)が楽しめますし、工場直売所での買い物もできます。

(5)郷土料理 五志喜(愛媛県松山市)
 “五色素麺”は、愛媛県松山市で、江戸時代前期から製造が始まり、1722年(享保7)には、五色の色(白に加え、梅肉の赤、抹茶の緑、鶏卵の黄、そば粉の茶)を出すことを思いつき、八代将軍吉宗や朝廷にも献上されたと言われています。「郷土料理 五志喜」では、このそうめんを使った郷土料理「鯛そうめん」、にゅうめん(温かいそうめん)なども食べることができ、コース料理もありました。

(6)素麺料理店 面喰い(長崎県南島原市)
 “島原素麺”は、長崎県の島原半島で、江戸時代前期から製造が始まり、現在日本国内2位の生産量で品質に優れ、古くから三輪に供給されていた実績を誇ります。「素麺料理店 面喰い」は、素麺料理の専門店で、ダシが美味しく、のどごしが良いのが特徴でした。そうめんチャンポン、そうめん汁、みそ五郎そうめん、地獄煮そうめんなどのユニークなメニューがあります。

☆日本の「素麺」産地一覧

<東北>
・卵麺(岩手県盛岡市、奥州市)卵黄と小麦粉と塩を混ぜて麺を延ばすのが特徴の黄色い素麺です。
・白石温麺(宮城県白石市)長さ10cm程度の短い素麺で、製造に油を使用しないのが特徴です。
・稲庭素麺(秋田県湯沢市稲庭町)稲庭うどんと同じ製法で作られる寒ざらしの手延べ素麺で油は用いないのが特徴です。
・三春素麺(福島県田村郡三春町)麺の形状は平麺で、最近春限定の「桜めん」(香りは桜葉から、色は紅花から製造)が出来ました。

<中部>
・大門素麺(富山県砺波市)延ばす際に油を使用しないのが特徴で、丸髷状の束になっています。
・和泉素麺(愛知県安城市)麺が乾燥する前に手で伸ばして生麺状態に戻す"半生もどし"という独特の製法で、コシが強いのです。
・大矢知素麺(三重県四日市市大矢知地区)冷や麦の産地として知られていますが、江戸時代から続く素麺産地でもあります。

<近畿>
・播州素麺(兵庫県たつの市、宍粟市、姫路市など)播磨地方の良質の小麦、揖保川の清流、赤穂の塩など原料に恵まれていたことから発達し、現在、日本国内1位の生産量です。
・淡路素麺(兵庫県南あわじ市)昔ながらの手延べそうめんの産地ですが、他におされて衰退傾向で、現在は10数軒だけになっています。
・三輪素麺(奈良県桜井市三輪地区)最も素麺作りの歴史が長く、全国に分布する素麺産地の源流はほとんどが三輪からと言われています。

<中国>
・備中素麺(岡山県浅口市)古くから「麦切り」という麺類の一種が朝廷に献上された歴史を持っています。

<四国>
・半田素麺(徳島県美馬郡つるぎ町半田地区)江戸時代後期に吉野川の船頭が、家族の自給用や副業として始めたと言われています。
・小豆島手延べ素麺(香川県小豆郡土庄町、小豆島町)酸化しにくい胡麻油を使って延ばすのが特徴です。
・五色素麺(愛媛県松山市)江戸時代に始まった、白に加え、梅肉の赤、抹茶の緑、鶏卵の黄、そば粉の茶を使った五色の素麺です。

<九州>
・神埼素麺(佐賀県神埼市)機械製麺の発祥地で、独特のコシの強さで知られ、冷して食する他、温めて食べる「にゅうめん」でも有名です。
・島原素麺(長崎県南島原市など)現在日本国内2位の生産量で、品質に優れ、古くから三輪に供給されていた実績を誇ります。
・南関素麺(熊本県玉名郡南関町)江戸時代からの産地で、麺が非常に細いのが特徴、将軍家、明治天皇などに献上された歴史を持っています。

旅の豆知識「日本蕎麦」

2017年09月05日 | 旅の豆知識
 旅に出ると、その土地土地で色々なものを食べます。それが、そこでしか味わえないものだとすると、とてもうれしいものです。みなさんはどんな食べ物に思い出を持っていますか?
 その中で日本人に馴染み、どこにいっても食べられる物のなかに日本蕎麦があります。「日本蕎麦なんかどこで食べても同じじゃないの」という人がいるかもしれません。しかし、同じようにみえても、地方によって工夫され、微妙に違っていて、独特の文化とさえ言えるものを持っている所もあるのです。
 旅先でちょっと違ったおいしい日本蕎麦を味わうと、忘れられない思い出となるものです。

〇「日本蕎麦」とは?
 蕎麦は昔から山間地で栽培されていました。しかし、現在のように蕎麦粉を打って、細長く切り、茹でる、いわゆる“そば切り”と呼ばれる形で食するようになったのは16世紀末あるいは17世紀初頭といわれ、本格的に食べられるようになったのは江戸時代になってからのことだと言われています。
 蕎麦の実の中心部分から取ったのを更級粉(芯粉)といい、白っぽい上品な蕎麦となります。それから、外側の皮のほうへいくにしたがって一番粉、二番粉、三番粉、末粉となり段々黒っぽい粉となっていきます。どの部分の粉を使って蕎麦を作るかによって、色合いや風味が異なりますが、それら全部(挽きぐるみ)を使うのを“田舎そば”と呼んでいます。
 蕎麦粉ばかりだとつながりにくく、ぼそぼそとした感じとなるため、つなぎに何を使うかで色々と工夫されます。地方により、店により異なりますが、小麦粉、卵黄、やまいも、大豆粉、海草など様々なものが使われています。よく“二八そば”と言われますが、蕎麦粉と小麦粉を8:2に混ぜた蕎麦のことです。
 それ以外に、打ち方、水の具合、茹で方によっても微妙に変化して、色・形・味等が異なった蕎麦が出来上がります。

☆「日本蕎麦」の名店のお勧め

(1)あらきそば(山形県村山市)
 ここは、創業が1920年(大正9)と100年ほどの歴史のある店で、江戸時代末期に建てられたという昔風の造りの茅葺き屋根の田舎家でした。蕎麦も田舎風の蕎麦粉100%の太くてコシがある、“板そば”と呼ばれるものでとても気に入ったのです。またおかずと称しているものを注文すると、にしんとあけびが出てきてこれも珍味でした。

(2)神田やぶそば(東京都千代田区)
 東京には、大きく言って3つの蕎麦の有名な系統(藪系、砂場系、更級系)が有りますが、その中の藪系の総本家で、1880年(明治13)創業と言われる老舗です。極細の腰のある蕎麦はのどごしがよく、よく寝かしたかえしを使った、辛口の汁とよくあいますそれを少し付け、するすると食べるのが‘江戸っ子’とのことでした。江戸の食文化が生んだ芸術品ともいえるもので、注文のときの女将の声が独特で、印象に残ったのです。 

(3)元屋支店(長野県長野市)
 “信州そば”は全国でも有名ですが、私が長野県の蕎麦を食べ歩いて一番おいしいと思ったのが、善光寺門前にある元屋支店です。“信州そば”は昔からの蕎麦の産地ということもあって、蕎麦は細打ちで喉ごしと香りが良く、蕎麦自体のうまさには定評があります。しかし、汁と一番マッチしていると感じたのがこの店なのです。

(4)小嶋屋総本店(新潟県十日町市)
 新潟県魚沼地方発祥の“へぎそば”というのがありますが、つなぎに布海苔(ふのり)という海藻を使い、「へぎ(片木)」と呼ばれる器に盛り付けた切り蕎麦のことでした。ここは、1922年(大正11)創業の老舗そば店で、国産の玄そばを石臼で挽いたそば粉を100%使用し、つなぎにはふのり(海藻)、つゆだしは天然の鰹節と昆布を使用していて、化学調味料や添加物は一切使用していないとのことです。また、注文時には「挽きたて、打ちたて、茹でたて」の「三たて」を守って出していて、蕎麦自体は、つるつるとした喉ごしとしこしことした歯ごたえのある美味しいものでした。

(5)羽根屋(島根県出雲市)
 山陰地方の“出雲そば”は割子と呼ばれるこぶりの容器に入っていて、三段重ねで一人前です。その容器毎に汁と薬味を入れて食べます。だから蕎麦と汁と薬味の調和が大切です。この店は、江戸時代末期創業で、大正天皇をはじめ、数々の御皇室の方の御食膳に供した歴史を持っていて、‘献上そば’と呼ばれ、香り高い上品な感じのするものです。

旅の豆知識「日本百名峠」

2017年09月04日 | 旅の豆知識
 江戸時代の旅人は急な坂道を登ってきて、視界が開ける峠で一息つきました。そこには峠の茶屋があり、四方を見渡しながら、旅の疲れを癒したものです。現代でも、ドライブインなどがあって眺望の素晴らしさを感じさせるところが多いと思います。はるかに下界を見下ろしていると、気分爽快!心に刻まれる旅の思い出になるのでは....?
 日本列島は山また山の地帯が多く、必然的にそこを通る道は峠を越えていくことになります。昔から峠は難所で、無事に越えられることを願って、神が祭られたりしていました。また、分水嶺ともなり、境界ともなってひとつの区切りとなっていました。したがって、争いの場となり、古戦場となっているところもいくつかあります。関所がおかれ、通行が制限された時代もあります。眺望のよさだけでなく、信仰や歴史を感じさせるのも峠なのです。
 そんな中で、井出孫六が、1982年(昭和57)に発表した随筆「日本百名峠」には、日本の素晴らしい峠が選ばれていますので、ぜひ旅行の際に、訪れてみることをお勧めします。

〇「日本百名峠」とは?
 井出孫六が、昭和時代後期の1982年(昭和57)に、桐原書店から刊行した随筆の書名で、その中で紹介された100の峠のことを指します。選定の基準は、景観や歴史、峠にまつわるエピソードなどを考慮して、全国千余に及ぶなかから470余の峠を拾い出し、1道1都2府43県からくまなく峠の代表を選出する事を原則として、100峠を選び出したものでした。

☆「日本百名峠」の中のお勧め

(1)発荷峠(秋田県鹿角市・鹿角郡小坂町)標高631m
 秋田県の大湯温泉側から曲がりくねった山道を登ってきて、峠から見る十和田湖は緑のなかに紺碧の湖水をたたえ、その美しさは例えようもありません。十和田八幡平国立公園に指定され、東北では3番目の広さがある十和田湖は、周囲46.0km、面積61.1k㎡、最大水深327.0m(日本第3位)で、紅葉の素晴らしいところでした。ここから、湖におりる道はヘアピンカーブの連続です。

(2)暮坂峠(群馬県吾妻郡中之条町)標高1,086m
 ここは、標高1,086mの高所に位置するので冷涼で、峠の茶屋もあって一服休憩することもできますが、若山牧水著『みなかみ紀行』に描かれていることで有名です。文中では、雪景色の中を沢渡温泉に向かって、弟子の門林兵治(文中ではK-君)と2人徒歩で越えたところです。牧水は、「...やがてひろびろとした枯芒の原、立枯の楢の打続いた暮坂峠の大きな沢に出た。」と印象を書いています。草津温泉から暮坂峠を越え沢渡温泉に至る道端には、その文中に挿入された歌の碑がたくさん立てられ、自然環境もよく残されていて、当時の旅を追想させる所です。別に、この時の印象を詠った「枯野の旅」という詩が残されていて、これを刻んだ立派な詩碑と牧水の旅姿の像が、1957年(昭和32)峠に立ちました。牧水が通った10月20日には毎年ここで、盛大な牧水祭が催され、牧水ゆかりの人々が集い、「枯野の旅」の詩の朗読があり、参加者にはナメコ汁が振る舞われるそうです。

(3)碓氷峠(長野県北佐久郡軽井沢町・群馬県安中市)標高1,180m
 旧中山道の峠で、長野・群馬の県境に熊野神社があり、その前にちょうど県境にまたがって建っていた茶屋「しげの屋」で食べた名物ちから餅の味は忘れられません。そばにある見晴台からの眺望はすばらしいのです。近くのJR線は以前はアプト式で越えた難所でしたが、長野行き新幹線の開通とともに軽井沢と横川間は廃止されてしまいました。

(4)野麦峠(岐阜県高山市・長野県松本市)標高1,672m
 昔、飛騨から信濃へ製糸女工が徒歩で越えてきた峠で、『ああ野麦峠』のタイトルで映画・ルポルタージュとしても知られています。峠からの乗鞍岳の眺望がすばらしいのですが、飛騨から信州へ向かう最大の難所で、標高1672mあり、冬期に越えるのは至難で、谷底に転落したり、病で倒れる工女が多数いました。峠にはお助け小屋が復元され、石地蔵や供養塔が残り、また、「野麦峠の館」には、当時の峠越えを再現したコーナーもあり、当時の厳しかった野麦越えの旅を追想させてくれます。晴れれば、乗鞍岳の眺望がすばらしく、『あゝ野麦峠』の碑も立っています。

(5)倶利伽羅峠(富山県小矢部市・石川県河北郡津幡町)標高277m
 旧北陸街道の峠ですが、源平の古戦場の一つとして知られています。この戦いは、1183年(寿永2)5月に源義仲軍と平維盛率いる平家軍との間で戦われました。この攻撃で義仲軍が数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に向け放つという奇策を行い、平家軍は、将兵が次々に谷底に転落して壊滅し、平維盛は命からがら京へ逃げ帰ったとされています。周辺には、平維盛の本陣が置かれた猿ヶ馬場や倶利伽羅不動寺、五社権現、源平供養塔などがあります。

(6)宇津ノ谷峠(静岡県静岡市・藤枝市)標高151m
 中世から交通の要衝として和歌にも詠われ、現在でも、蔦の細道、旧東海道、明治のトンネル、宇津ノ谷隧道(昭和第一トンネル)、新宇津ノ谷隧道(昭和第二トンネル)、平成宇津ノ谷トンネルと6つの峠越えルートがありますが、古代から中世の古道である蔦の細道で越えてみたいところです。阿仏尼は、鎌倉時代の1279年(弘安2)10月25日に宇津の山(宇津ノ谷峠)越えましたが、『十六夜日記』には、ここで同行していた阿闍梨(阿仏尼の実子)の知り合いである山伏に行き会い、2首の歌を添えた都への手紙を託したと書かれています。阿仏尼一行が通ったと思われる古道が今も残されていて、「蔦の細道」として遊歩道となっていますが、当時の雰囲気がよく残り、道の険しさを追想できるところでした。この道は、『伊勢物語』に書かれて以来、多くの旅人が歌を詠んでいて、峠には在原業平の歌碑が建てられています。また、藤枝市側の登り口にある「つたの細道公園」には、ここに縁のある歌人の木製で作られた歌碑が並んでいます。尚、このルートは、2010年(平成22)に国の史跡「東海道宇津ノ谷峠越」に指定されました。

(7)磨針峠(滋賀県彦根市)標高170m
 中山道の鳥居本の宿場を過ぎると旧街道は右手の山のほうへ登っていき、磨針峠(摺針峠)を越えます。その一番高い所に摺針明神があり、ここからの眺望はすばらしものでした。琵琶湖が一望のもとに見渡され、江戸方面から峠を登ってきた旅人は目を見張ったに違いありません。安藤広重の版画にも描かれている中山道の名所でもありました。

☆「日本百名峠」一覧

1 石北峠(北海道上川郡上川町・北見市)
2 美幌峠(北海道網走郡美幌町・川上郡弟子屈町)
3 狩勝峠(北海道空知郡南富良野町・上川郡新得町)
4 発荷峠(秋田県鹿角市・鹿角郡小坂町)
5 矢立峠(青森県平川市・秋田県大館市)
6 八幡平(岩手県八幡平市・秋田県鹿角市・仙北市)
7 国見峠(岩手県岩手郡雫石町・秋田県仙北市)
8 笛吹峠(岩手県遠野市・釜石市)
9 五輪峠(岩手県花巻市・遠野市・奥州市)
10 仙人峠(岩手県遠野市・釜石市)
11 花立峠(山形県最上郡最上町・宮城県大崎市)
12 山刀伐峠(山形県最上郡最上町・尾花沢市)
13 板谷峠(山形県米沢市・福島県福島市)
14 笹谷峠(宮城県柴田郡川崎町・山形県山形市)
15 苅田峠(宮城県刈田郡蔵王町・七ヶ宿町・山形県上山市)
16 金山峠(宮城県刈田郡七ヶ宿町・山形県上山市)
17 大内峠(福島県大沼郡会津美里町・会津若松市・南会津郡下郷町)
18 六十里越(福島県南会津郡只見町・新潟県魚沼市)
19 金精峠(栃木県日光市・群馬県利根郡片品村)
20 細尾峠(栃木県日光市)
21 三国峠(群馬県利根郡みなかみ町・新潟県南魚沼郡湯沢町)
22 暮坂峠(群馬県吾妻郡中之条町)
23 十石峠(群馬県多野郡上野村・長野県南佐久郡佐久穂町)
24 十文字峠(埼玉県秩父市・長野県南佐久郡川上村)
25 雁坂峠(埼玉県秩父市・山梨県山梨市)
26 妻坂峠(埼玉県飯能市・秩父郡横瀬町)
27 境ノ明神峠(茨城県久慈郡大子町・栃木県那須郡那珂川町)
28 横根峠(千葉県鴨川市・富津市・安房郡鋸南町)
29 小仏峠(東京都八王子市・神奈川県相模原市)
30 御殿峠(東京都八王子市・町田市)
31 足柄峠(神奈川県南足柄市・静岡県駿東郡小山町)
32 長尾峠(神奈川県足柄下郡箱根町・静岡県御殿場市)
33 大菩薩峠(山梨県甲州市・北都留郡小菅村)
34 御坂峠(山梨県笛吹市・南都留郡富士河口湖町)
35 鳥井峠(新潟県東蒲原郡阿賀町・福島県耶麻郡西会津町)
36 倶利伽羅峠(富山県小矢部市・石川県河北郡津幡町)
37 朴峠(富山県南砺市)
38 谷峠(石川県白山市・福井県勝山市)
39 木の芽峠(福井県南条郡南越前町・敦賀市)
40 野麦峠(岐阜県高山市・長野県松本市)
41 大門峠(長野県茅野市・小県郡長和町)
42 関田峠(長野県飯山市・新潟県上越市)
43 針ノ木峠(長野県大町市・富山県中新川郡立山町)
44 修那羅峠(長野県東筑摩郡筑北村・小県郡青木村)
45 徳本峠(長野県松本市)
46 和田峠(長野県小県郡長和町・諏訪郡下諏訪町)
47 碓氷峠(長野県北佐久郡軽井沢町・群馬県安中市)
48 杖突峠(長野県茅野市・伊那市)
49 権兵衛峠(長野県塩尻市・上伊那郡南箕輪村)
50 鳥居峠(長野県塩尻市・木曽郡木祖村)
51 馬籠峠(長野県木曽郡南木曽町・岐阜県中津川市)
52 青崩峠(長野県飯田市・静岡県浜松市)
53 天城峠(静岡県伊豆市・賀茂郡河津町)
54 宇津ノ谷峠(静岡県静岡市・藤枝市)
55 本坂峠(愛知県豊橋市・静岡県浜松市)
56 伊勢神峠(愛知県豊田市)
57 鈴鹿峠(三重県亀山市・滋賀県甲賀市)
58 長野峠(三重県津市・伊賀市)
59 磨針峠(滋賀県彦根市)
60 花折峠(滋賀県大津市)
61 堀越峠(京都府南丹市・福井県大飯郡おおい町)
62 京見峠(京都府京都市)
63 箕峠(和歌山県伊都郡かつらぎ町)
64 札立峠(和歌山県有田郡有田川町・海草郡紀美野町)
65 暗峠(奈良県生駒市・大阪府東大阪市)
66 芋峠(奈良県高市郡明日香村・高取町・吉野郡吉野町・大淀町)
67 伯母子峠(奈良県吉野郡野迫川村・十津川村)
68 洞ヶ峠(大阪府枚方市・京都府八幡市)
69 竹ノ内峠(大阪府南河内郡太子町・奈良県葛城市)
70 和泉葛城越 (大阪府岸和田市・和歌山県紀の川市)
71 船坂峠(兵庫県赤穂郡上郡町・岡山県備前市)
72 鍵掛峠(鳥取県西伯郡伯耆町・日野郡江府町)
73 四十曲峠(鳥取県日野郡日野町・岡山県真庭郡新庄村)
74 赤名峠(島根県飯石郡飯南町・広島県三次市)
75 乙女峠(島根県鹿足郡津和野町)
76 人形峠(岡山県苫田郡鏡野町・鳥取県東伯郡三朝町)
77 物見峠(岡山県津山市・鳥取県八頭郡智頭町)
78 上根峠(広島県安芸高田市)
79 欽明寺峠(山口県岩国市)
80 桟敷峠(徳島県三好市・三好郡東みよし町)
81 三坂峠(愛媛県松山市・上浮穴郡久万高原町)
82 地芳峠(高知県高岡郡檮原町・愛媛県上浮穴郡久万高原町)
83 相栗峠(香川県高松市・徳島県美馬市)
84 八木山峠(福岡県飯塚市・糟屋郡篠栗町)
85 冷水峠(福岡県飯塚市・筑紫野市)
86 仲哀峠(福岡県京都郡みやこ町・田川郡香春町)
87 三瀬峠(佐賀県佐賀市・福岡県福岡市)
88 仁田峠(長崎県雲仙市・南島原市)
89 日見峠(長崎県長崎市)
90 高森峠(熊本県阿蘇郡高森町・上益城郡山都町)
91 日ノ尾峠(熊本県阿蘇市・阿蘇郡高森町)
92 湯山峠(熊本県球磨郡水上村・宮崎県東臼杵郡椎葉村)
93 岳滅鬼峠(大分県日田市・福岡県田川郡添田町)
94 鉾立峠(大分県竹田市)
95 三国峠(大分県豊後大野市・佐伯市)
96 国見峠(宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町・東臼杵郡椎葉村)
97 中山峠(宮崎県東臼杵郡椎葉村)
98 耳取峠(鹿児島県南さつま市)
99 本茶峠(鹿児島県奄美市・大島郡龍郷町)
100 多幸山フェーレー岩(沖縄県中頭郡読谷村)

旅の豆知識「日本100名城」

2017年09月03日 | 旅の豆知識
 日本中を旅していると、各地で城跡に巡り合います。それは、天守閣をいただき、石垣や堀で固めた近世の城だけではなく、中世の山城から古代の柵や神籠石、はては、北海道の「チャシ」から沖縄の「グスク」に至るまで、ほんとうにたくさんのものが有るのです。
 旅先で、そんな城跡を訪ねてみても石碑が立っているだけで、あまり遺構が残っていないところもあります。そんな中で、財団法人日本城郭協会によって、2006年(平成18)に「日本100名城」が選定され、城めぐりの一助となっています。ここに選ばれた城跡は、よく保存されている所が多く、城郭建築や遺構が残されていて、当時の姿を彷彿とさせるところもあります。
 日本の素晴らしい城が選ばれていますので、ぜひ旅行の際に、訪れてみることをお勧めします。

〇「城」とは?
 広辞苑によると、「敵を防ぐために築いた軍事的構造物。我国では、古くは柵(さく)や石垣または濠(ほり)・土塁を以てしたことがあったが、しだいに構築を加え、中古に至って、天険・丘陵を利用して防御を施す「山城」が発達し、専ら戦闘用であったが、戦国時代以降は、敵軍来襲の防御ばかりでなく、領内統治・城・権勢表示などをも兼ねた築城に進み、いわゆる城郭が完成。多く平地に築かれ、二重・三重に濠をめぐらし、、本丸・二の丸・三の丸などに郭を区分し、石塁上に多数の櫓(やぐら)類を建て、偵察・射撃に利し、本丸には天守閣を設けて郭の中軸とし、表には大手門、裏には搦手(からめて)の門を構え、なお住居用の殿舎をも備えた。」とされていて、古代からのものを含む広い概念とされています。
 
〇「日本100名城」とは?
 日本100名城は、財団法人日本城郭協会が2006年(平成18)2月13日に発表したもので、同協会の設立40周年の記念事業の一環として、城郭愛好家からの推薦、専門家による選定会議を経て決定したものです。選定にあたっては、まず対象を①優れた文化財・史跡、②著名な歴史の舞台、③時代・地域の代表とし、各都道府県から1城以上5城以内として選出されています。近世城郭だけではなく、古代山城や環濠集落も含まれているのが特徴です。2007年(平成19)6月2日からは、選定された全国の100城を巡る『「日本100名城」選定記念スタンプラリー』が開始されています。

☆「日本100名城」一覧

<北海道>
1 根室半島チャシ跡群(北海道根室市) 国の史跡
2 五稜郭(北海道函館市) 特別史跡
3 松前城(北海道松前町) 国の史跡

<東北>
4 弘前城(青森県弘前市) 国の史跡、現存天守
5 根城(青森県八戸市) 国の史跡
6 盛岡城(岩手県盛岡市) 国の史跡
7 多賀城(宮城県多賀城市) 特別史跡
8 仙台城(宮城県仙台市) 国の史跡
9 久保田城(秋田県秋田市)
10 山形城(山形県山形市) 国の史跡
11 二本松城(福島県二本松市) 国の史跡
12 若松城(福島県会津若松市) 国の史跡

<関東>
13 白河小峰城(福島県白河市) 市指定史跡
14 水戸城(茨城県水戸市) 特別史跡
15 足利氏館(栃木県足利市) 国の史跡
16 箕輪城(群馬県高崎市) 国の史跡
17 金山城(群馬県太田市) 国の史跡
18 鉢形城(埼玉県寄居町) 国の史跡
19 川越城(埼玉県川越市) 県指定史跡、現存本丸御殿
20 佐倉城(千葉県佐倉市) 市指定史跡
21 江戸城(東京都千代田区) 特別史跡
22 八王子城(東京都八王子市) 国の史跡
23 小田原城(神奈川県小田原市) 国の史跡

<甲信越>
24 武田氏館・武田神社(山梨県甲府市) 国の史跡
25 甲府城(山梨県甲府市) 県指定史跡
26 松代城(長野県長野市) 国の史跡
27 上田城(長野県上田市) 国の史跡
28 小諸城(長野県小諸市)
29 松本城(長野県松本市) 国宝、国の史跡、現存天守
30 高遠城(長野県伊那市) 国の史跡
31 新発田城(新潟県新発田市) 国の史跡
32 春日山城(新潟県上越市) 国の史跡

<北陸>
33 高岡城(富山県高岡市) 県指定史跡
34 七尾城(石川県七尾市) 国の史跡
35 金沢城(石川県金沢市) 国の史跡
36 丸岡城(福井県坂井市) 現存天守
37 一乗谷城(福井県福井市) 特別史跡・特別名勝

<東海>
38 岩村城(岐阜県恵那市) 県指定史跡、三大山城
39 岐阜城(岐阜県岐阜市) 市指定史跡
40 山中城(静岡県三島市) 国の史跡
41 駿府城(静岡県静岡市)
42 掛川城(静岡県掛川市) 現存二之丸御殿
43 犬山城(愛知県犬山市) 国宝、現存天守
44 名古屋城(愛知県名古屋市) 特別史跡、三名城
45 岡崎城(愛知県岡崎市) 市指定史跡
46 長篠城(愛知県新城市) 国の史跡
47 伊賀上野城(三重県伊賀市) 国の史跡
48 松阪城(三重県松阪市) 国の史跡

<近畿>
49 小谷城(滋賀県長浜市) 国の史跡
50 彦根城(滋賀県彦根市) 国宝、現存天守、特別史跡・名勝
51 安土城(滋賀県近江八幡市) 特別史跡
52 観音寺城(滋賀県近江八幡市) 国の史跡
53 二条城(京都府京都市) 世界遺産、国宝6棟、国の史跡・名勝、現存二之丸御殿
54 大坂城(大阪府大阪市) 特別史跡、三名城
55 千早城(大阪府千早赤阪村) 国の史跡
56 竹田城(兵庫県朝来市) 国の史跡
57 篠山城(兵庫県篠山市) 国の史跡
58 明石城(兵庫県明石市) 国の史跡
59 姫路城(兵庫県姫路市) 世界遺産、国宝8棟、特別史跡、現存天守、三大平山城
60 赤穂城(兵庫県赤穂市) 国の史跡・名勝
61 高取城(奈良県高取町) 国の史跡、三大山城
62 和歌山城(和歌山県和歌山市) 国の史跡・名勝

<中国>
63 鳥取城(鳥取県鳥取市) 国の史跡
64 松江城(島根県松江市) 国宝、国の史跡、現存天守、三大湖城
65 月山富田城(島根県安来市) 国の史跡
66 津和野城(島根県津和野町) 国の史跡
67 津山城(岡山県津山市) 国の史跡、三大平山城
68 備中松山城(岡山県高梁市) 国の史跡、現存天守、三大山城
69 鬼ノ城(岡山県総社市) 国の史跡
70 岡山城(岡山県岡山市) 国の史跡・特別名勝
71 福山城(広島県福山市) 国の史跡
72 吉田郡山城(広島県安芸高田市) 国の史跡
73 広島城(広島県広島市) 国の史跡
74 岩国城(山口県岩国市)
75 萩城(山口県萩市) 国の史跡

<四国>
76 徳島城(徳島県徳島市) 国の史跡・名勝
77 高松城(香川県高松市) 国の史跡、三大水城
78 丸亀城(香川県丸亀市) 国の史跡、現存天守
79 今治城(愛媛県今治市) 県指定史跡、三大水城
80 湯築城(愛媛県松山市) 国の史跡
81 松山城(愛媛県松山市) 国の史跡、三大平山城、現存天守
82 大洲城(愛媛県大洲市) 県指定史跡
83 宇和島城(愛媛県宇和島市) 国の史跡、現存天守
84 高知城(高知県高知市) 国の史跡、現存天守、現存本丸御殿

<九州>
85 福岡城(福岡県福岡市) 国の史跡
86 大野城(福岡県大野城市) 特別史跡
87 名護屋城(佐賀県唐津市) 特別史跡
88 吉野ヶ里遺跡(佐賀県吉野ヶ里町・神埼市) 特別史跡
89 佐賀城(佐賀県佐賀市) 県指定史跡
90 平戸城(長崎県平戸市)
91 島原城(長崎県島原市) 市指定史跡
92 熊本城(熊本県熊本市) 特別史跡、三名城
93 人吉城(熊本県人吉市) 国の史跡
94 大分府内城(大分県大分市) 県指定史跡
95 岡城(大分県竹田市) 国の史跡
96 飫肥城(宮崎県日南市) 市指定史跡
97 鹿児島城(鹿児島県鹿児島市) 県指定史跡

<沖縄>
98 今帰仁城(沖縄県今帰仁村) 世界遺産、国の史跡
99 中城城(沖縄県中城村) 世界遺産、国の史跡
100 首里城(沖縄県那覇市) 世界遺産、国の史跡

9月の見沼たんぼの散策

2017年09月02日 | 散策
今日の天気は午前中は雨模様だったが、午後からは晴れるとの予報だったので、昼食を取ってから、車で北に向かい、見沼たんぼへ行って、蝶の写真を撮りながら散策することにした。
 まず、さいたま市緑区にある「見沼自然公園」へ行ってみることにしたが、天気は良くなってきて、晴れ渡るようになってきたが爽やかだ。園内の駐車場へ到着したが、土曜日なので、結構混んでいたが、なんとか駐車スペースを見つけ、公園に一番近いところの木陰に車を駐めた。
 今年は5度目の訪問となるが、例のごとく、手や足に防虫スプレーを噴霧し、カメラを首から下げて、散策を始めることした。
 まず、中央の池に向かったが、その途中にヤマトシジミがいくつかいたので、接写しておいた。池には、水連の花がきれいに咲いていたが、水鳥はカルガモもしかいないので、とりあえずカメラに収めておいた。
 その後、園内を散策したが、少し涼しい性か、蝶の姿はあまり見られないものの、ヤマトシジミとイチモンジセセリだけは、見つけることができたので、カメラに収めておいた。
 それから、湿地帯の上の木道を歩いてみたが、ヤマトシジミ以外は見つけられなかったので、次へと進むことにした。
 公園を抜け出して、畑地の方へ向かうと、雑草のたくさん生い茂っている所で、ヒメウラナミジャノメとキタテハを見つけたので、シャッターを切った。
 その後、注意深く林縁を探してみるとヒメアカタテハを見つけたので、望遠で撮影しておいた。それからは、田んぼ道を歩いて行ったら、休耕地の雑草の中にウラナミシジミを発見したので、追いかけて何枚も撮らせてもらったが、今年の初見であった。
 しばらく、見沼たんぼの中を歩いて行くと万年寺の寺林に至ったが、途中はヤマトシジミくらいしか見つけられなかった。さらに林縁を注意深く探してみたが、何も発見することができずがっかりしたものの、その隣の空地の雑草の中にコミスジを見つけたので、望遠で撮影した。
 その後は、丹念に空地の雑草地帯を探して歩くとイチモンジセセリとヤマトシジミは見つかるものの、他はなかなか発見できない。そうこうしていると、上空をアゲハが飛んで行ったので、追いかけて花壇の花に止まったところをカメラに収めた。そうこうしていると、その花壇の周辺にジャコウアゲハとキアゲハも見つけたので、続けてシャッターを切っていった。
 しばくしてから、万年寺にも入って、本堂に手を合わせておいたが、境内には蝶の姿がなく、見沼自然公園の方へ戻っていくことにした。
 その途中で、モンシロチョウを見つけたので、飛翔している所をカメラに収めておいた。見沼自然公園の近くまで戻ってくると、ヤマトシジミ、キタテハ、ヒメアカタテハとさっき撮った蝶がまだいたので、適当にシャッターを切っておいた。
 それから、見沼自然公園内へと入っていくとヒメウラナミジャノメ、イチモンジセセリと目についたので、撮影しながら歩いて行った。
 そうすると上空をアオスジアゲハが飛んで行ったが、追いかけてはみたが、うまく撮影できなかったのは残念だ。ジャコウアゲハも上空を飛翔していったが、シャッターチャンスはなかった。
 散策を始めて、2時間弱となり少し疲れてきたし、結構涼しいので、もうこれ以上は新しい蝶とも巡り合えないかと思い、散策を終えることにして、駐車場へと戻っていった。
 結局、12種類の蝶としか出会えず、この時期としてはちょっと少ない感じがしたが、冷涼な感じがするし、得ないことと考え、気分良く散策はできたので、これで自宅へと戻ることにした。
 それからは、来た道を帰って行ったが、比較的スムーズに走ることができたのは幸いだった。いつものように、途中でどこかに立ち寄って買い物もしなかったので、早めに自宅に帰り着くことができた。

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旅の豆知識「日本の灯台50選」

2017年09月01日 | 旅の豆知識
 岬の先端に立って海を眺めていると、言いしれぬ感慨に襲われることがあります。最果ての地に来たという思いと、広大な海と岩礁や木々が造り出す自然の造詣への畏怖といった感じでしょうか。そういう岬に、少なからず文学碑が建っていたりします。先人もこの地に来て、突き動かされるものがあって、文学になったのでしょうか...。
 そういうところには、たいてい灯台が立っていて、その情景を構成している場合が多いのです。岬と灯台はセットのようになって、イメージしている人も多いのではないでしょうか。
 日本各地には、3,300以上の灯台が設置され、岬の景観と一体になり、暗くなってくると点灯して、その情感を増したりします。そんな各地にある灯台のなかから撰ばれた、「日本の灯台50選」というのがあるのをご存知でしょうか?1998年(平成10)11月1日に選定された日本を代表する50の灯台のことですが、日本の素晴らしい灯台が選ばれていますので、岬巡りの際に、訪れてみることをお勧めします。

〇「灯台」とは?
 航路標識の中の光波標識(灯光・形象・彩色によるもの)で、『灯台表』では、「船舶が陸地、主要変針点又は船位を確認する際の目標とするために沿岸に設置した構造物及び港湾の所在、港口などを示すために港湾などに設置した構造物で、灯光を発し、構造が塔状のものを灯台、同じく柱状のものを灯柱といいます。」と解説されています。
 現在、日本では3,300以上の灯台が設置され、海上保安庁が管轄しています。

〇「日本の灯台50選」とは?
 海上保安庁が募集し、1998年(平成10)11月1日、第50回灯台記念日の行事として、投票によって選ばれた「あなたが選ぶ日本の灯台50選」の灯台です。

☆「日本の灯台50選」一覧

<北海道>
・稚内灯台[北海道稚内市] 初点灯1900年(明治33)12月10日
・宗谷岬灯台[北海道稚内市] 初点灯1885年(明治18)9月25日
・知床岬灯台[北海道斜里町] 初点灯1963年(昭和38)10月15日
・納沙布岬灯台[北海道根室市] 初点灯1872年(明治5)7月12日
・花咲灯台[北海道根室市] 初点灯1890年(明治23)11月1日
・落石岬灯台[北海道根室市] 初点灯1890年(明治23)10月15日
・襟裳岬灯台[北海道えりも町] 初点灯1889年(明治22)6月25日
・チキウ岬灯台[北海道室蘭市] 初点灯1920年(大正9)4月1日
・恵山岬灯台[北海道函館市] 初点灯1890年(明治23)11月1日

<東北>
・尻屋埼灯台[青森県東通村] 初点灯1876年(明治9)10月20日
・大間埼灯台[青森県大間町] 初点灯1921年(大正10)11月1日
・龍飛埼灯台[青森県外ヶ浜町] 初点灯1932年(昭和7)7月1日
・鮫角灯台[青森県八戸市] 初点灯1938年(昭和13)2月16日
・入道埼灯台[秋田県男鹿市] 初点灯1898年(明治31)11月8日
・陸中黒埼灯台[岩手県普代村] 初点灯1952年(昭和27)7月1日
・トドヶ埼灯台[岩手県宮古市] 初点灯1902年(明治35)3月1日
・金華山灯台[宮城県牡鹿町] 初点灯1876年(明治9)11月1日
・塩屋埼灯台[福島県いわき市] 初点灯1899年(明治32)12月15日

<関東>
・犬吠埼灯台[千葉県銚子市] 初点灯1874年(明治7)11月15日
・野島埼灯台[千葉県南房総市] 初点灯1870年(明治3)1月22日
・観音埼灯台[神奈川県横須賀市] 初点灯1869年(明治2)2月11日

<中部>
・石廊埼灯台[静岡県南伊豆町] 初点灯1871年(明治4)10月5日
・神子元島灯台[静岡県下田市] 初点灯1871年(明治4)1月1日
・御前埼灯台[静岡県御前崎市] 初点灯1874年(明治7)5月1日
・伊良湖岬灯台[愛知県田原市] 初点灯1929年(昭和4)11月20日
・姫埼灯台[新潟県佐渡市] 初点灯1895年(明治28)12月10日
・禄剛埼灯台[石川県珠洲市] 初点灯1883年(明治16)7月10日
・大野灯台[石川県金沢市] 初点灯1934年(昭和9)3月1日

<近畿>
・神島灯台[三重県鳥羽市] 初点灯1910年(明治43)5月1日
・菅島灯台[三重県鳥羽市] 初点灯1873年(明治6)7月1日
・安乗埼灯台[三重県志摩市] 初点灯1899年(明治32)11月
・大王埼灯台[三重県志摩市] 初点灯1927年(昭和2)10月5日
・潮岬灯台[和歌山県串本町] 初点灯1873年(明治6)9月15日
・経ヶ岬灯台[京都府京丹後市] 初点灯1898年(明治31)12月25日

<中国>
・美保関灯台[島根県松江市] 初点灯1898年(明治31)11月8日
・出雲日御碕灯台[島根県出雲市] 初点灯1903年(明治36)4月1日
・高根島灯台[広島県尾道市] 初点灯1894年(明治27)5月15日
・角島灯台[山口県下関市] 初点灯1876年(明治9)3月1日

<四国>
・男木島灯台[香川県高松市] 初点灯1895年(明治28)12月10日
・室戸岬灯台[高知県室戸市] 初点灯1899年(明治32)4月1日
・足摺岬灯台[高知県土佐清水市] 初点灯1914年(大正3)4月1日
・佐田岬灯台[愛媛県伊方町] 初点灯1918年(大正7)4月1日

<九州・沖縄>
・部埼灯台[福岡県北九州市] 初点灯1872年(明治5)3月1日
・白州灯台[福岡県北九州市] 初点灯1873年(明治6)9月1日
・水ノ子島灯台[大分県佐伯市] 初点灯1904年(明治37)3月20日
・大瀬埼灯台[長崎県五島市] 初点灯1879年(明治12年)12月15日
・女島灯台[長崎県五島市] 初点灯1927年(昭和2)12月1日
・都井岬灯台[宮崎県串間市] 初点灯1929年(昭和4)12月22日
・佐多岬灯台[鹿児島県南大隅町] 初点灯1871年(明治4)11月30日
・平安名埼灯台[沖縄県宮古島市] 初点灯1967年(昭和42)3月27日