『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

発想の転換が可能性を開く④

2018年03月17日 | 学ぶ

殺人犯はタブレット③
「君たち、ここで学んでいることはとても幸せなことなんだよ」
 手紙をくれた友の名は水谷明成。ところが、封筒には、「水谷豊川(ほうせん)」の署名。塾をはじめるとき、突発した事件に心を痛めて心機一転するため新たに通名をつけたといいます。

 寺子屋という塾の呼称にふさわしいように、また豊かな川は、飲料水としてはもちろん、さまざまな恵みを我々にもたらし、下流の作物や田んぼに豊富な栄養分さえ供給してくれます。生活総ての糧になる。塾で育っていく子どもたちもぜひそんなふうに育てたい、という思いもこめたと聞きました。
 タイトルの台詞は、ぼくがつくったコピーでも、水谷が云った言葉でもありません。水谷の塾で育ち、奈良県の進学校東大和学園から京都大学に進学した金君というOB生のセリフです。社会人になって水谷の塾を訪れたとき、勉強している後輩たちに、思いを込めてかけてくれた言葉、水谷には予想もできなかった。「感動」でした。

 塾は大きな商業都市の南端、さまざまな人種と猥雑さが同居し、その間を狭い小路が縦横に突き抜ける街の片隅にあります。近くの神社には、周囲が2メートルを超える楠の大木が並び、梢では鴉が宿る。耳も脚も尻尾も風化で欠け落ちた二匹の狛犬。表情さえ伺えないその姿から、その神社と町の歴史の古さも分かる、そんな一隅です。

 個人指導という利点を活かし、「日ごろのすべての行動」のなかから、「学ぶおもしろさ」や「学ぶ意味」を子どもたちに伝えていく。自然体験、宿泊をともなう野外活動や作業指導も、たいせつな学習の一環でした。
 「人とは何か、どうあるべきか」。「答えのない問い」にまで思いめぐらせ、「日ごろの行動の中から考え、学ばせる」ユニークな指導で、「本質を知る人たち」の間では、評価もそれなりに高かったのです。彼は、少数の子を心身ともにすこやかに、ていねいに見守り、育てていくことしか考えていません。
 15年くらい前、水谷が企画した「腕白大学」という特別授業で、特技を活かし、ぼくも「古いカメラで光を読む、世界を見る」というテーマで講義をしたことがあります。写真に興味をもたせると云うより、子どもたちが周囲の環境の学習対象や事物に関心と目を向けること、つまり周囲を見る、環境に気づく『感覚』を養って欲しいという願いからです。ジャズ・プレイヤーや手品師・医師など保護者の力も借り、多彩な授業は盛況でした。

 彼も自ら「言葉は生きている」というテーマで、「和歌の視点から表現を探った」国語の授業をしています。F.O.S(finding out something)という水谷の塾の歴史です。
 力の入った指導の積み重ねで、準備期間を含め、開設以来24年間。数は少ないものの、学力だけでなく、人柄もよく人格も優れた子どもたちが何人も巣立っています。学生・社会人を問わず、何人かは時間があるとき、休日を利用して、水谷と行動をともにし、自らに続くべく、後輩たちにやさしく接し、彼の塾や水谷の指導に触れられることのありがたさ・学ぶこのとのたいせつさを、一生懸命伝えてくれました。金君の言葉は、それらの代表と云えるかもしれません。

 OBの成長と、育っていく子どもたちの姿は、「ありがちな日々の雑念」をきれいに振り払い、人生半ばから志を立て、その後全力で走ってきた彼の疲れを、その都度癒してくれました。
 活動や指導応援をしてくれる人たちは、まだいます。水谷を信頼している気心の知れた、お父さん・お母さんたちです。みんなで塾の行事を手伝ってくれることがお母さん方の入塾時の暗黙の了解でした。指導のようすを近くで見て、彼の人柄はみんなに、よく理解されていました。

 育っていく子どもたち・お父さんお母さんと水谷、三者間で確固とした信頼関係が築かれ、それが学習面でもすばらしい効果を発揮しました。そんな塾です。「何を考え、どうしようとしているか、水谷は子どもをどのように育てようとしているか」という「共通認識」が成立し、「それらを土台にした『成長の証』が子どもたちからよく覗われる、現れていることがよく理解できた」保護者ばかりでした。二十数年の間、「受験学習にガチガチに偏った教育ママ」以外、その指導や指導方法が理解されないことはなかったのです。本来なら、その塾の歴史に、今年も新しく輝かしい一頁が加わるはずでした。
 いつもと同じように、公立の地元の小学校に通っていた二人の6年生は第一志望の難関中学に合格しました。さらに入塾して一年ながら、潜在能力が高く、性格も良い、先々楽しみな4年生の女の子がすくすく育っていました。
 年齢から、指導はこの先それほど長くはできないだろうという思いから、おそらく、この子が塾の『フィナーレ』を飾ってくれるだろう、大きく羽ばたいてくれるだろうと、水谷は楽しみでした。ところが。
 不審な事件の経緯を、水谷の手紙に基づき、たどってみます。

そして誰もいなくなった? 
 念願の私立中学に合格した塾生菅原君、そして続いて古田君が、あこがれの中学合格後すぐ、保護者とともに訪れ退塾を申し出ました。さらに、下の学年の4年生の女の子まで急な退塾。少ない人数ですから、ほぼ一度に全員です。ただ事ではありません。

 小学校3年生から満4年間、6年生二人には学習指導だけではなく、宿泊学習の渓流遊び・米づくりなどの課外活動も通じて、学習する意味やたいせつさ・立ち居振る舞いから社会道徳まで、できる限りのことを伝え、指導しました。「よりよき成長」と「さらなる飛躍」を願ってきたこどもたちでした。言葉荒く指導することもありましたが、厳しい指導の甲斐あって、学力も十分整い、従来の諸君と同じように、うまく成長してくれたといいます
 彼は順調に育ちつつある数名の子どもたちが、今までと同じくOB教室まで進んでくれることを期待していました。高い能力とやさしくバランスのとれた人間性を備えた子どもたちが、また増えるだろう。大いに楽しみな毎日だったのです。そんな矢先の衝撃
 子どもたちはうまく育ち、成長も順調だ。例年と何ら変わらない。何が起きたのか? 
 訳が分からず、当初は見当も付かなかった水谷は、指導や活動の日々を振り返り、些細でも違和感があり、腑に落ちない事実を積み重ねて、理由を探るべく探索と考えを進めていきました

 そうして見えてきた卑劣な策謀の数々、ぼくの元に届いた分厚い封筒には、ぼく宛のものと、彼の知り合いだろう、すべて別々の人宛ての手紙のコピーが6通。その凶悪さを糾弾し、改心を計るべき犯人たちへの二通。くわしいことはおそらく何も知らないだろう子どもたちへの二通、そして、悪意の情報操作に知らぬながら加担することになった保護者への二通。すべての手紙に目を通すと、やりきれない事件の全容が明らかになりました。
 海に落ち行く大きな夕日の写真を壁にかけ、自らの心に重ね合わせて、すがすがしくフィナーレを迎えるはずだった水谷が受けなければならなかった「卑劣な策謀に対する憤り」と、「冤罪だけは晴らさなければならない」。強い思いもうかがえます。

許せない順
 「孤軍奮闘し、卑劣な作為の真相を何とか究めようとしていた水谷の願いに、全力を尽くして応えよう」。「謝らせてくれ、俺の『環境』を、元通り、きちんと復元させてくれ」。手紙の後、電話での彼の依頼です。
 「わかった、ところで、手紙に付いている付箋の番号は何だ?」。
 「許せない順!」、そんな言葉が返ってきました。

 ぼく宛の手紙の一節です。
 
 「もし夫婦で、自分の夫や妻が無実なのに『殺人』の嫌疑をうけたら、みんなどうするだろう? 目の色を変えて、何とか、その嫌疑を晴らそうとするだろう。無実・無罪が確定するまで戦うだろう。
 俺にとっては、「塾と指導」は『最愛の相手』だ、これ以上ない相方だ。20年以上力を合わせて苦労を共にしてきた。一心同体だ。
 二人で築き上げて来たものが、云われもない汚泥にまみれ、「ぼろ切れ」になるなんて許せない。「妻」の命が奪われようとしているんだ。黙って指をくわえている奴はいない。守るのは当たり前だ。
半生をかけて探し求めてきた。双葉で芽生え、日々愛情をかけて、たいせつに育ててきた。生命の糧だ。生きがいだ。やっと実をつけはじめた。努力にこたえてくれ、毎年収穫の喜びに浸ってきた。それがゼロだ。苦労が水の泡だ

 俺にとって、それほど大切なものが犠牲にされねばならなかった理由は、なんだと思う? 
 「子どもの窃盗」の隠蔽のためだ。つまらん体裁、見栄のためだ。話にならない
 「『隠ぺいに走る前の彼ら』に俺が抱いていた」のと同じ信頼感があれば、「姑息な策略を弄さず、正直に打ち明けるという正常な感覚」があれば、もっと「簡単に、さわやかに」、「罪を犯した子どもの成長の肥し」にさえ、なるはずだった。保護者と教師の相互の信頼感がなければ、そもそも指導や教育は成立しない。彼らは教職だ。これを見たら、学校教育が大きな問題点を、今抱えていることが、分かるだろう。
 「生きがい」にし、喜びをかみしめてこられたものを「踏みつぶされた」。「聖域」に土足で上がられた。何度言云っても云い足りない。

 子どもの「窃盗」の件を云えない(謝れない)くらいなら、まだがまんもする。だが、人間としての、最低限のルールは守れ。「想い出の品、かけがえのないもの」を盗んで迷惑をかけた相手に、なお隠ぺいの「目くらまし」のためだけに罪を被せるのか・・・。
 それも、「自分の同僚も苦しんでいた卑怯な策略」を、その同じ策略を、曲がりなりにも2年間世話になった相手に仕掛けるか? こんなことがあっていいのか。
 二人であれば、「彼ら」のように口裏を合わせて「隠蔽工作」もできるが、俺はそうはいかない。「妻」は、無実の弁解ができないのだ。俺までだまっていれば、お人好しで無関心な世間は、やつらの云うがままだ。そんなばかなことがあってはならない!
 
水谷からの手紙① 
「『怖い』とゆうてる」―捏造の詳細
 まず、封筒に入っていた「1番の番号」が付いていた手紙です。

    玉川 共行 様

 挨拶の言葉は省略です。その理由は、よくおわかりのことと存じます。
 良心は痛みませんか? それとも、「そんなことは、構っていられない」人なのでしょうか? 
今回あなた方二人の仕組んだ一連の企みの解明には、年を重ねたせいか、かなり時間がかかりました。
ぼくの従来の経験値から想定される結論を、はるかに超える驚きの結果だったからです。
「アガサ・クリスティの作品名」のような事態がまず驚きでしたし、追求し明らかになった策謀の卑劣さと、企てた犯人が教職にあり、しかも共謀であったことが理解を超えていました。推理を重ね、関係者の行動パターンを読み、時々の反応と会話の応答を考え合わせて全容が明らかになるにつれ、「こんなことがあるのか」、「こんなことをできる人間がいるのか」と空恐ろしくなりました。
「できる」とは、ぼくが推理解明できたように、「あなた方の能力を認めたのではなく、一般社会のルールから、そして世間の一般倫理からあまりにも逸脱している事例だから」です。
 「人を人とも思わない」行動様態が腹立たしく、「目には目を」と、あなた方が「音声捏造データ」を拡散したように、あなた方の職場の同僚・関係先にすべて直接公開することも考えました。特に、同種の事件が過去にあった職場なら、その信憑性は絶大です。しかし、あなた方とちがって、ぼくは自制しました
 なぜだと思いますか? 
「人間」だからです。あなたたちの生計の資、収入も含めて、生活の基盤さえ奪ってしまうことになるからです。「やって良いことと悪いこと」があるからです。「そこを超えてしまうと、人間じゃない」という限度があるからです

 ぼくたちは人間です。そして、ぼくは男です。我慢しなければいけない、そして超えてはいけない法があるからです。
 今までの日本の男なら、まず、こんな卑劣なことはしません。いや、卑劣さが限度を超えているので、頭にも浮かばないでしょう。たとえ浮かんでも「心のストップ」がかかります。
 男の『恥』だからです。そういう男でなければ、世間の多くの人からは、男の風上にも「風下!」にもおけないやつだと、見られるからです。ハレンチ極まりなく、「小さな窃盗事件の恥」どころではありません
 「過去に同僚が卑劣なやり口に困っていたこと」をよく知っている妻が、自分も同じことをしようと企めば、良識ある男は止めます。「そんな汚いことはやめとけ!」です。ところがあなたは、「協力(強力)タッグ」を組みました。「タブレット」という凶器を隠して。まさか教職である二人が、「嘘を云うはずはない」と最後まで、周囲の「お人よし」のみなさんは騙されました。

 音声データにもこだわり、一月に入ってからも未だ継続録音しましたね。「捏造データ」の最後の仕上げに、「怖いとゆうてる」事件(?)の音声を収録しなければならなかった。偽りの「学習相談?」ですよ。アポまで取って、反応を予測する台詞まで考慮に入れて・・・。みんなが塾をやめたから、あなた方の策略は一応成功です。しかし、それによってあなた方の人間的価値は地に落ちました
 「捏造」データを完成するには、何としても、ぼくが「殊勝に(?!)、お詫びをする」スタイルの「音声」を録音する必要があった。そうではないですか? どうして分かったか? ぼくも、そこが推理の最後のしあげでした。まず、「文句をいいに来ている」割には、とても嬉しそうでした。「思い通りの一節」が肉声録音できましたね。
 
 ぼくが、「お宅の子どもさんは、甘やかされてわがままだし、自分勝手だから、わざと距離を置いている」と云いましたね。ところが、あなたは「でも、怖いとゆうてるから」と「何度も」繰り返しました。
 おかしいですね。その繰り返しは? ぼくの答えを想定して、期待する文言を待っていました。
 「それじゃあ僕も気をつけるようにしますから、そう思われたら心外だから・・・」と云う会話でしたね。ぼくの観察と云い分は正しかったのに、遠慮して答えました。
 あなたは、それを聞いて「やったね!」というような感じで、嬉しそうに帰って行きました。欲しかったんですね。その返事が
 陰謀というのは、積み重ねれば積み重ねるほど、襤褸が出ます。不自然な兆候が現れます。あなたの奥さんが、子どもがやめてから、監視カメラがあるのも忘れて、、教室のドアをこそっと開けて、「カレンちゃんが、ほんとうにやめたかどうか」探りに来たのも、余計でした。世間をなめてはいけません。能力が高いのは、あなたたちだけではありません

 こういうストーリー考察・解明ができるから、ぼくも、子どもたちに「怖い」と云われます。しかし、子どもは幼い頃、そうした「天の声」や「神様の目」で善悪を覚えるのです。あなた方は、そういう先生にめぐりあえなかった。とても残念です
 ぼくの授業や指導を録音するなら、携帯端末での無断録音ではなく、正式に申し込んで、同意を得てください。そして、録音データを拡散するなら、あなた方が録音した、長期間・長時間の全部を、「TPOを明記して、前後の総ての文脈も含めて」流しなさい。「講義や指導を最初から終わりまで聞く子どもたちがよく理解してくれる」ように。大人の人たちにもよくわかるように、「悪意の切り貼りの捏造」ではなく、編集もせず、すべて流しなさい。そうすれば、講義や指導の心が、すべてわかります。塾の子どもたちは、そうして育ってくれました
 さて、あなたたちの夏から半年にわたっての一連の企て、「完全犯罪(?!)『子どもの窃盗の隠蔽』と、自分たちには一切非なく、『理不尽な(!)塾長のいる塾をやめるための証拠』」が、これで完成しました。
 しかし、奥さんが云った「塾をやめる理由」は、ほかの保護者が云った「捏造された、ぼくの人間性(!!)」にかかわる理由ではありません。「受験もしないし、経済的理由で」というものでした。あなた方の「策略(!)」は、ここでも「見え見え」です。
 さすがに、「捏造した理由」を自分も使うのは、「良心がとがめたのか?」、あるいは、「すぐ、あなた方と他の保護者の連携に疑念を抱き、ぼくに追求されることを警戒したのか」。こういう犯罪を企むくらいですから、おそらく後者でしょう。
 ちなみに、あなたたちが騙した保護者の皆さんは、「玉川さんの指示(!)と指揮(!)に、実に『忠実』でした。」あなた方の狙い通りに、捏造データにより「ぼくを極悪人(!)だ」と思い込みました。人が良くて、まさか「周りに、あなた方みたいな、詐欺師まがいの人がいる」とは、だれも思いません。こんな経験は、初めての人ばかりですから。ぼくも初めてです
 そして、落ち着きのない様子で動揺が見え見えの奥さんは、「ふつうなら二人に頭を下げさせなければならない」のに、弟の名前だけ言って、その頭を押さえて、ぼくに礼をするように仕向けました。その頭の中には、「彼の罪」が、しっかりしがみついていたはずです。声も、おそらく、後で自分が何を云ったか覚えていないだろうほど、あがっていました。
 こうした「何気ないしぐさや行動」に「心は現れてくる」のです。何気ないしぐさや行動が、事実と真実をすべて明らかにしてくれます
 証拠がない? 証拠は、あなたたちの心の中に、しっかり座っているでしょう。あなたたちは、まず、その心の声に耳を傾けるべきでした。

 奥さんには、別に手紙を送りますので、まず、あなたの行動からたどってみましょう。
 当初あなたの野外活動参加は稀でした。ですから、最初は、「長男の窃盗事件でほんとうに悩んでいた」妻の応援だったのでしょう。ところが後半から毎回参加しました。スポーツの指導で、本来、ほとんど休みがなかったはずですから、そうとうたいせつな理由があったはずです。活動理由は、自分たちの体裁や見栄のため、「自分たちに非がなく塾をやめるための画策」でした。捏造情報収集操作と他の保護者への「顔つなぎ」。さらに情報拡散の為。
 「毎回、具合が悪い」と姿を消す奥さんが、最初の方はともかく、秋ごろ、具合が悪い様子は見られませんでした。二上山の川で、子どもたちがパンニングをしていたとき、「姿を消して、戻ってこない!」奥さんのことを、ぼくが心配して訊ねると、あなたは、全然気にするふうもなく、平気で携帯をいじりながら、「大丈夫ですよ」と返答。
 おかしいでしょ。誰が考えても。もっと心配するでしょ、ふつうは? つまり、理由は他にあったからです

 こうして、あなた方は半年近くかけ、「徐々に保護者たちが僕に不信感を持つように仕向け、『悪意のもとに編集した捏造音声データという、とっておきの証拠』を使って、『人』を一人造りあげた」というわけです
 「ワオワオワオ、耳ダンボ」の大石君と保護者との後処理判断を材料にし、子どもたちに「『正直』や『誠実』という意味」について考えさせようとし、子どもたちに話している音声データ。それも、ぼくが「一生懸命力を入れれば入れるほど、あなたたちの策略には好都合」でした
 子どもの端末を通じて長期間・長時間録音しているので、音声データは山ほどありましたね、ぼくの肉声が。それを「こまめに」編集して、「とんでもない『人でなし』」に見せかける。そんなことが、よくできたものです。
 あなたたちがいつまでたっても「子どもの窃盗の白状(相談)をしない」ので、ぼくは次第に、その倫理観に不信感がつのり、「子どもたちに正義を教える」ために、「子どもたち自身の良心に訴えないといけない」と考えました
 みんなに「塾の教え」や、「悪事を隠すことで起きるからだへの悪影響」を教える話も、おそらく見事に「脅迫」のように編集されたでしょう。子どもたちは、「『ばれるはずのない事件』をどうしてぼくが知っているのか」と「動揺を浮かべたようす」が見られました。それが「『怖いとゆうた』顛末の最初のことば」ですね。
 それ以降は、あなたたちが、「ぼくが真相を把握しているかどうかの確認」情報を録り、その後、「自分たちに非が及ばないため」の捏造音声データ取得する「携帯」利用(かわいそうなことをしたらダメです)でした。
「子どもが『時間を気にしないような授業』をするため、携帯使用を禁止している」ので、「ばれるのが『怖い』」です。(追及はしませんでしたが、何度か子どもの携帯に信号音が入ることがありました。)


 「『怖い』とゆうてる」台詞は、あなた方が「音声捏造データ」を拡散したとき、タブレットに「僕の音声を盗聴取得した理由」にも使われたはずです。「『怖いとゆうてる』から調べた」。
 ふつうに考えたら、「ちょっとやりすぎちゃうん」と思えるのですが、「根回し」が済み、「人がよい人たち」は、見事にコロンとだまされました
 「盗聴のために携帯をもたせられる」。CIAですか? その時の子どもの気持ちは考えられないのですか?
 子どもに、そういう行動や精神負担がどれだけマイナスに作用するかに、思い至らないのですか? 「そういう周囲の行動が、子どもの判断基準や倫理観に、どれだけ大きく影響するか」分からないのですか? 事件の根も、結局そこにあると云うことが・・・。
 これは、今回、騙されてしまった保護者のみなさんにも訴えたいことですが、ぼくがこどもたちに、いいかげんな指導をしていて、金山君をはじめとする素晴らしい青年たちが育ちますか? それこそが指導の正しい結果ではないですか? あなた方の子どもたちは能力も高く、きちんと育ちませんでしたか

 「捏造データ」のようなセリフだけで、「ぼくのことを心配して涙を流してくれる」青年が育ちますか? 
 OBのお母さんたちも、話すとすぐわかってくれました。「そんなはずは、ぼくに限って絶対ない」と信じてくれているからです
 「肉声」だから無理もないとは思いますが、長年のあなたがたの子どもに対する指導と成長を考え判断し、「正直に、ぼくに確認と相談」はしてほしかった、そう思います。ぼくの不徳の致すところですが
 
 あなたたち以外の保護者には、「これをよく読んでほしい。バカじゃなければわかるはずだ」。心から、そう思います。

 玉川さん、こうしてあなた方の「行動解析」をしていると、「奥さんの勤務先多津美H小の捏造事件」も、「実は、『同僚が保護者にやられた』のではなく、あなた方が捏造したのではないか」とも、思えてきます。なぜか? 
 そういう事件に遭遇すれば、ふつうは「『してはいけないと云う方向』に行動がシフトする」、それが一般の「倫理観」「道徳意識」だからです

 あなた方に、今いちばん云いたいことは、「こうした音声データを捏造するアイデア・センス・努力・時間・能力を、どうして日ごろの『子育て』に傾注しないのか」、ということです。それが親でしょ? ほんとの親でしょ? 日々その「精力」を子どもたちの指導やしつけに傾注していれば、こんな問題は決して起こらなかったと思います。それが教育者でしょ
 「拾った金を食事代の足しにした」り、「借りた品物を返さない」、「バレなきゃ何をやってもよい」という、「小さな日ごろの倫理観のほころびでも、すべて子どもの脳に入力され、成長に影響するという、恐ろしさ」に思い至りませんか? 「やる前にわかる」のが、正しい倫理感です。それを教えていればエアガンはなくなりません。
 親の考えや行動が再生産されるのです教育はそれを防止するためにあります。それが教育の存在理由です。教育は、そこから始まります。(つづく


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