立体授業テキストで二上山の写真を提供してくれた辻本勝英氏は、ぼくの学生時代からの親友で、若い時から写真を撮り続けている写真家です。写歴は彼の方が古く、二上山をはじめとする風景写真を中心に撮っていました。ぼくは「心に引っかかるもの」を何でも撮る方で、彼とはテーマがまったくちがうのですが、心置きなく何でも語れる、よき友です。
彼は15年くらい前からライフワークとして「花火」を撮り続けていたのですが、この度作品集が日本カメラから出ました。素晴らしい作品の数々で、良い刺激をもらいました。写真は撮影の継続とボリュームが質に転化します。子どもたちには、継続の大切さをまた伝えようと思います。さらに、できれば「オンリーワンの自分」を何か形で残しておくことを。
一部を紹介します。なお、スキャナーの関係でサイズや色合いが微妙に変わってしまったことを作者とみなさんにお詫びします。(「PROMETHEUS-プロメテウス」 辻本勝英 日本カメラ社)
学体力と受験学力のちがい
先日、OB教室の英語指導の話をしました。くわしい文法の説明もなく中学入学後すぐグレードリーダーを、辞書を引きながら一緒に読み続けているというエピソードです。週一回そういう指導をしていますが、英語に拒否感や苦手意識もなく、黙々と読み続けて、その訳文をノートに書き、ぼくといっしょに検討するという方法で継続しています。微妙なニュアンスを確認し、英単語=辞書の訳語だけではないことを、毎回口酸っぱく強調し、情景を想起させ、訳に反映させる、という指導です。
大学受験まで6年間勉強したのに、大学入学後英文講読を「まるで初心者のように進めざるを得なかった」ぼくの苦い思い出から生まれた指導法ですが、半年経過し、どんどん自分で進めていく姿を見ていると、「学体力」が確実に定着したことがわかります。
全く知らないことでも、ともかく説明や解説を読むことから始めて、自分で理解をすすめ、納得していくことができれば、何も困ることはありません。団の指導は家庭学習も含め、そこから始めます。大学受験当時のぼくは「受験学力」しか身についておらず、残念ながら「学体力」は未だ養成されていなかったのです。
そうした学習と並行して、ぼくが読んでいる本から、ふだん子どもたちに伝えていることを補強する内容や、参考になる一節を見つけると、紹介していくこともよくあります。昨日もそうでした。
昨日のOB教室では、「今すぐ役に立つ翻訳84のコツ英和翻訳の基礎知識」(松本安弘・松本アイリン著 バベル・プレス)からピックアップしました。まず目についたのは、ぼくがふだんから強調している訳語に対する「認識」の確認です。
訳語というものは文脈から、その場に最も適したものをいくらでも作り出すことができるもので、英語原文を本当に理解しておれば、柔軟な頭で、自然な日本訳語文が生まれてくる。英和辞書に出ている訳語は一つの例にすぎず、その例の訳語を一つだけ固定的に覚えておいて、それをどんな文脈の場合にも無反省に強引に使おうとするのはよくない。そこで英英辞典を利用する必要がある。英和辞書の定訳を使う悪いくせから脱することができる。(前記書p38下線は南淵)
このアドバイスは彼と、現在の英語指導を始めて最初に云ったことです。自らの経験から実感としてそのまま伝えていたので、きちんと理解してくれているようですが、紹介によって、彼の中にその大切さが、さらに定着することを願ってのことです。そして、本の一節を読むことで、自らが学校の指導より一歩先に進んでいることも、よく自覚できたでしょう。
もう一つ同書から。サイデンステッカー氏の芭蕉の訳を引用しての一節です。この芭蕉の俳句は誰でもよく知っています。「俳句が英語に変わるとどうなるのか」という感覚をつかんでくれると思いました。
古池やかわづ飛び込む水の音―芭蕉
The quiet pond
A frog leaps in,
The sound of The water.
―trans.by E.G.Seidensticker
「古い」はold,aged,ancient,antique,usedなどいろいろあるが、結局quietとしている。
old pondでは古くなった、水がくさった、年老いたなどの意になり、ばかげて意味をなさないからである。またancient pondでは古代の池となり、原文「古池や」のもつ軽みがない。「や」という咏嘆詞は英語にないので訳をあきらめている。(同書 p32)
「古い」をquietという、ふつうの学習からは到底馴染めない感覚もつかんでくれたでしょう。中一ですから、彼の英語の読解力の肝になったはずです。
俳句を英語に直して意味があるのかどうかなど、様々な考えがあるかと思いますが、日本語を英語に直すおもしろさや、異言語で感覚を伝えあうむずかしさ、日本の感覚を英語から読み直すという考察など、学ぶことは山ほどあります。
「子どもたちの学習がおもしろくなる大きなきっかけは、自分の方が先に進んでいる、深いところを知っている、よくわかっている、というアドバンテージに対するプライドや自信」です。その点が、受験オンリーで点数や順位に縛られ、評価の対象が限られるだけの受験指導・受験学力では見落とされているところです。点数・順位が評価の絶対的対象である受験学力では合格で用済みで、「オールマイティの学体力にはなりえない」のです。「受験以外での大切さやおもしろさには縁遠い」わけですから。
「H(彼の名)、どうや、英語がおもしろくなったようだな」とぼく。
「はいっ」彼のうれしそうな表情と返事が、彼の先々を暗示してくれます。何よりも「学体力」です。
学体力からの導入
もう一つ「学体力」へのきっかけを紹介します。
左の社会の参考書は授業で使用しているものです(「社会メモリーチェック」企画編集/日能研教務部 みくに出版)。
「都市と人口」など典型的な暗記学習の分野で、ぼくも大嫌いだったし、子どもたちに教えるのも、「彼らの心」を思うと、うっとおしくていやになります(笑い)。左の解説ページを参照しながら右のポイントチェックで確認テスト欄を埋めていく、という方法ですが、ほんとうにうっとおしい。
県の形や人口・面積・人口密度・・・未だに「こんなことを覚えて役に立つのか」という思いでやっています。こんなところに子どもたちの大きな消耗原因と、勉強に対する誤解を生む大きな要因が宿っています。そんなものを覚えてもクイズに役に立つぐらいで、記憶力のチェックにしかならないでしょう。
この単元で、唯一おもしろかったのは、Ⅰの(1)の問題で■の部分です。
「2010年の人口の多い都道府県は、1位東京都、2位□、3位大阪府、4位愛知県、5位□、6位千葉県で、これら6都府県の人口の合計は、日本の人口の約■割を占めています」。
日本の人口に対する割合を求める問題です。
左に、それぞれの都道府県の人口は資料で載っているのですが、日本の人口は載っていません。この理由はおそらく、改訂が頻繁になるので、偶々ということなのでしょうが、入学テストをする側は、「こういう問題作成こそ主力にするべき」だと思います。
「日本の人口は何人」というぐらいは小学生としても知っておいてもよいと思うし、その知識を利用して、こうした問題に答えられることこそ、必要な学力でしょう。各県の人口順は1位とビリぐらいは県名を知っていてもよいと思いますが、それ以上の何位だとかは必要なのだろうか? そう思いませんか?
それよりそんな詳しい順位は表(資料)で出しておいて、それに基づき先ほどのような問題や、順位の原因や様々な理由に問いかけをして考えさせる、「ひらめき」を問う、「頭のはたらき」を見る問題にシフトする方が、素晴らしい子どもたちが集まってくるのではないか。その方が、過大な記憶のストレスがなく、センスやひらめきのよい子が集まってくるでしょう。
そういう子たちが集まってきて、自ら学びたい、先に進みたい、学問したい、研究したいと思うようになったとき、その「学体力」とともに、必要性や経験を通じて記憶もついてくる(来なければならない)という進み方。そういうスタイルが子どもたちの可能性の大きな開花を考えた時に、望まれる方向ではないか。
特に「社会科」は、先々を考えれば、「現実や現象について、思考力や判断力がもっとも必要とされる科目」でしょう。細かい資料などは問題に用意して記憶の対象にせず、「分析力や思考力を問う方に問題作成をシフトすべき」ではないでしょうか。
優秀な生徒・潜在能力の高い生徒を集めたい学校は、すべからくそうすべきだとぼくは考えています。不必要な些末な知識のチェックでは、優秀な生徒は集まりません。「そうしたことの苦手な子」の方に却って、鋭いセンスをもっている子がたくさんいる、というのが子どもたちを指導しての実感です。