『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

夢の教科書を求めて ②

2017年11月18日 | 学ぶ

 今週の写真は、6年生のリクエストで再化石採集をガーネット探しの新しい採集地に変更した課外学習の際のスナップです。なお、来年の渓流教室は一日を赤目、もう一日を、このきれいな清流で過ごすことにしました。

授業料と責任と
 A君「月10万円!」。B君「そんなの、まだ安いHGは年間140万円だって!」。
 最近まで興味がなかった大手受験塾の授業料です。
 団には大手受験塾の指導に嫌気がさして転塾してくる子が時々います。先週、『学体力が整ってきた』と伝えた、現在OB教室で学習を続けているH君もその1人です。
 お父さんの言では、Mの宿題の多さとおもしろくない指導に一年弱でいやになり、泣きながら拒否したと云います。H君は運良く(!)団の指導で学習を続けることができ、学習のおもしろさを理解できましたが、そんな高額授業料でも、指導がおざなり、勉強が嫌になったり、勉強を拒否してしまう子が、おそらくたくさんいるのでしょう。今までの転塾生を見ていて、そう想像しています。

 何でもかんでも『寄らば大樹の陰』、また「誇大気味の広告、ハリボテの進学実績を見て選択したのが大きなまちがい」ということも稀ではないでしょう。近頃物議をかもしている、さまざまな議員先生の選挙の投票もそうですが、「自らの目と感覚で、正しいもの、本物をしっかり見分けること」が、ますます必要になってきている時代です
 学習塾は「高級ホテル」ではありません。「入れ物が大きく設備が整っていればよい」というものではありません。「人数が多ければよい」というものでもありません。タイガースの応援ではありません。 志ある小さな塾で、自らの責任の元できちんと指導している先生方は、みなさんそう思っているのではないでしょうか。

 塾は預かったひとりひとりの「人間のこども(!)」を、立派な社会人に育つべく、学力や能力・人格育成も含めて関わらなければならない「神聖でたいせつな交流の場」です。また「いつも温かい血が通っていなければならない『学力養成の心臓』」です。それが、ただの「商売の種」では、いくら考えても片手落ちです
 団のOB諸君は医大や医学部に進む子が多いのですが、ぼくは彼らに言い続けてきた(言い続けている)ことがあります。「やりがいのある、ほんとうに人のためになる仕事」を見つけてほしい。先生と医師は、その中でもおすすめだ。生命と一生の学力(能力)と云う、かけがえのないものに携わることができるからだ。心からの感謝は、お金には代えられない」
 そして、「金儲けを考えて医者になるならやめてほしい。他の職業に就いてくれ。死ぬのが怖かったり、苦しくて仕方がない人が『なんとかしてほしい』、「生命という無二のものを救って」と頼ってきているのに、金もうけや高級ブランドや高級料亭しか考えていない、考えられない『先生』では、患者さんがかわいそうだ。生命や人間に失礼だ。それに、そんな片手間で真心がない治療では治る病気も治らない」。

 先生(教師)も本来なら医師と同じように、高額の対価(診察料や授業料)を取るのは、ある意味では当然かもしれませんが、それはそれに見合う仕事をしての補償です。人を助け、人を育てるという「かけがえのない仕事に、それにともなう責任や義務は果たせているだろうか、と絶えずその確認がもっとも問われるのが、これらの職業でしょう。一人一人の人間の『人生そのもの』が関わっているわけです。それだけの自覚はあるでしょうか。

 年間120万、140万と云えば、収入のそれほど多くない家庭では、お母さんのパート代以上の収入が飛んでいくわけだし、これでは通塾させられないという家庭もたくさんあるでしょう。転塾してくる子の性格やその成長ぶりを見ていて、「そんな高額の授業料を取って、果たしてそれに見合うだけの指導をしているのか、その責任を感じているのか」。
 半分にも満たない授業料でも、その法は崩したくない。ハゲエモンは、改めてそう思いました。ぼくたちが育てているのは、「人間の子ども」です。親も先生もそれを忘れることはできません
 授業料がままならず、通塾させられないお母さん・お父さん。学習では小学生のときがいちばんたいせつです。一生を左右します。
 ほんとうに真剣に子育てや学力伸長のことを悩んでいる方、子どもに立派になってほしいと、心から願っているお父さん・お母さんは、学習方法の相談や指導やしつけの注意等、ご遠慮なくご相談ください。家庭でもできる効果的な学習法や指導法をアドバイスします。なお、封書で、もしくは直接お見えいただいた方に限らせていただきます。

塾代助成事業に思うこと
 塾の指導問題に関連して。
 大阪市では塾代の補助金制度を導入し、学力向上に対する「てこ入れ」をしています。これは前にも本部に直接手紙でアドバイスを送りましたが、学習指導や通塾に対する支援や学力の向上を本気で考えるなら、小学生の段階での支援体制や学習指導の強化に本腰を入れるべきです
 学習に対するおもしろさがわかり、学習を自らすすめていく「学体力」の定着と強化、その導入に最善・最高の時期は小学4年生まで、いくら遅くとも5年生までです。中学生では遅すぎます
 小学校以降でも、中には学習に夢中になる子もでてくるでしょが、圧倒的に少数だと思います。また、負けん気をあおられゲーム感覚の受験学習にはまって、という子もいるでしょうが、その学習はたいてい受験までで、「一生の目的に嵌る」ことは少ないでしょう。
 この観察は、「小学生から高校生まで1人で指導して、毎年その成長を見守れるからわかること」かもしれませんが、大阪市の学力伸長が、この支援によって目覚ましく進んでいるわけではない(そうではありませんか)のは、ひとつは「打つ手の効果的な時期や対象」の認識のちがいではないでしょうか。

 もちろん学力の伸びについては、現場を含め他の問題も山積みでしょうが、これらの学習指導時期や指導支援の適性に対する選抜、根本的な認識・判断を、まず再検討するべきだと、ぼくは考えます。
 子どもたちの学習に対する意識づけや「環覚」の育成・「学体力」の養成に、もっとも効果的なのは小学校4年までの指導です、「遅くとも5年生まで」に、学習に対する意識や考え方を課外学習も含めた『立体授業』で培っていくことです
 それが定着すれば、自らおもしろく学習を進める子が飛躍的に増え、学力・学習問題は半分解決するだろう、とぼくは考えます。ともあれ、個人・大手を問わず、指導内容や指導レベルの中身を厳密に精査することが、まず必要だと思いますが。

学習がおもしろくない理由
 「おもしろい学習」「おもしろくない学習」という話題で、よくお話ししていますが、ひょっとして「おもしろい学習」ということが、そもそもわからない方もいらっしゃるかもしれません。
 学習塾や予備校で受験指導しか受けてこなかった、そういう学習経験しかなかった人には、「勉強がおもしろい? そんなことは考えられない」。そんな人もいるのではないでしょうか。
 それは、いわば『滓』の勉強、『出がらし』の勉強しか知らなかったからです
 歴史的に振り返ると自明ですが、今子どもたちが学習している『学習項目』や『学習内容』は、いわば先人の研究(学習)の「結果」や『結論』(ばかり)です。経過が抜け落ちています。
 人類は誕生以来、『学習』を続けてきましたが、「学習の対象」は、『生きていくために知らなければならなかったこと、どうしても考えなければいけなかったこと、解決しなければならなかったこと』でした。つまり、学習の多くは『生きていくためにかけがえのなかったこと』でした。そして、それに自ら向かわなければならなかったのです。
 それらは生きていく以上必然でもあったし、生きていく上では当然のことだったでしょう。さらに、その解決に至った過程では苦労があったとしても、すべてに「それによって家族や身内が快適になったり、ゆとりが出たり、みんなから尊敬を受けたり…」と云う、「快を生む」現実の結果と大きな喜びがともなっていたはずです
 つまり、学習は、それをすることが生きていく上では必然のことであったし、することによって喜びをもたらすものだったのです。生活と切っても切り離せないものでした
 ところが、現在の勉強、つまり学習対象や学習内容は、そういう祖先の営為によってもたらされた結果や結論の『集積』のみです。それらを抽象的にたどり、覚えていくだけ、と云うのが、ほぼ現在の学習スタイルです。
 「誰のためかもわからないし、することの意味も不明」です。「果たして役に立つものか、かけがえのないものなのか」という確信も得られず、その過程で苦労したり、失敗したり、考えたり、という試行錯誤も、「現実に即して何かを獲得する、完成を見届ける」というような体験もともないません。
 現状(の指導)では、「学習の意味」も「おもしろさ」も見えようがありません。見方によれば「進化した不幸」とも云えるかもしれません。「生きていく術」で、わたしたちが取り組んできたはずの学習が、進化によって、「学習が、生きていく術ではなくなった子どもたち」を生み出したわけですから。

 おもしろく学習させるには、これらの現実をふまえ、意味するところをしっかり認識し、その解決を図らなければなりません。「学習するとはどういうことなのか」の伝達から始まり、「学習する(した)ことの力の確認(受験合格以外)ができること」、そして「学習することはおもしろいことである」という指導法を極めていかなければならなくなった時代なのです。
 教師は受験指導、生徒は受験学習に明け暮れている間に、どんどん(本来の)学習にも関係のない(としか考えられなくなっている)『落ちこぼれ』が、ますます増えてきてしまっているのが、現状ではないですか。公も私もその辺りの認識を共有し解決に向かわなければ、大阪市(をはじめとする)現状の子どもたちの学力向上は難しいでしょう。


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