ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

演奏を山登りに例える

2016-01-29 17:10:58 | 合唱

「演奏は山登り」

 

某指導者は演奏会をよく山に登ることに例えておられました。

某合唱団では、

「皆さんは、エベレストの麓にいます」と。

 

この言葉は、今でも練習時に耳奥で囁かれています。

 

演奏会が山の頂上を目指しているならば、演奏会の本番は頂上を制覇するということ

です。

 

山はエベレスト、マッターホルン、富士山などたくさんあります。

どの山を目指すのかは、合唱団の力を把握し、望みをどこへ持つかにかかります。

 

最低でも富士山くらいを目指したいと思いませんか。

 

演奏会という名前の発表会を目指さないでください。

 

合唱には団によって練習の組み立てがあります。

以下に私見を一例として紹介します

(期間は始めてから演奏会までをいうなれば3つ程度に分けて考えてます)

 

導入期 楽譜の音取り、設計の把握、等

反復期 団の目指すところの共有、曲への取り組み 等

完成期 歌いこみ(ここまで来たらほぼ暗譜も完了しているはず)

 

 

一人でも、丘を目指していたら、また練習計画が大幅に違っていたら山の麓で終わっ

てしまうことも起きかねません。

 

全員が、合唱団というパーティのメンバーです。

 

悔いの残らないように登頂すべく頑張りましょう。


正月を知らないこども

2016-01-29 15:47:44 | ニュース

正月を知らない子どもたち…貧困がもたらす国の損失

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/ichiran/20160114-OYT8T50109.html?from=yartcl_outbrain1

 

子どもの頃、クリスマスはさんたさんからのプレゼントには縁がなかった。

靴下を飾るというのも、同級生から聞いたことがあったが、ほとんどの同級生は靴下を飾ることもなかった。

 

暖炉もないし、ケーキも最初の頃は丸型があったような記憶があるが、段々小さくなり、ショートケーキになりして、クリスマスのお祝い、そのものが、家庭では行われなくなっていった。

 

正月に、お節料理やお雑煮など食べたのは中学生のころまで。

家にあまり寄り付かなかったし、急激に祝い事からは遠ざかって行った。

 

自立したら、余計に家計はひっ迫、3度の食事も、20円のキャベツに食パン程度。

夕方は学食でお蕎麦だった。

そんな状況に年中行事などありようはずはない。

 

暮らしが変わって3人家族になり4人家族になり5人家族になった。

はじめの頃は、節分の豆まきから正月のおせち料理、お雑煮、門松まであった。

 

リストラの波がまともに来て、仕事にありつけない日々が続いて行くと、家庭の行事は一気に姿を消した。

 

すでに高校も卒業していたからきおくにはあるだろうが、小さいころから貧困であったなら、行事どころではなかっただろう。

 


空き家

2016-01-29 11:47:50 | ニュース

大館市の空き家、4割が腐朽、破損 144戸に倒壊の危険

http://www.sakigake.jp/p/akita/news.jsp?kc=20160129d

 

家というのは、人にとって特別な存在だろう。

家があるというのは、人間らしく生きるためには不可欠なアイテムになる。

 

人が住んでいる家には、夜になると明かりが灯る。

朝になると、庭にあるものが息吹を感じさせてくれる。

 

すんでいるものがいない家は、年月を重ねると風化し荒れてきて、無残な姿になっていく。

廃墟となった場所や建物を探検してネットで映像を公開している人がいる。

 

感心が高い事のあらわと言えるだろう。

心霊スポットになっていることに、心痛めているサイトのコメントもあった。

建物には、不思議な力がある。

 

 

廃墟的絶対静寂空間

http://dimensionx.myqnapcloud.com/kikou/view.php?jun=1&cat=0&subcat=11&mob=


非正規をせめて半分にというのは正規が半分となるか

2016-01-29 11:41:08 | ニュース

「やむなく非正規」半分に 厚労省が正社員化プラン

 

単純には喜べない。

雇用者側は、手変え品変え、網の目をくぐる。

目立たない水面下でこっそりしたりする。

ま少しの全身になることは期待したい。