SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

田浦にて廃線跡を散策する 01

2015-02-22 | 鉄道・バス
もう10年ほども前から、横須賀線田浦から海までの間の専用線を見に行きたいと思っていた。
その存在は貨物が現役の時から知っていたが、貨物はとっくに廃止され、線路跡も少しずつ撤去されているのは聞いていた。
それでも他に行きたいところもたくさんあって、置いておかれたのだ。
気になっていたちょっとした仕事をずっと放置していたような感じだ。
よく考えてみればそんなに遠くも無い。
鎌倉にはよく行く。
横須賀にも年に1回はBBQに行く。
なのに田浦はあまりにも用が無いし、行きたい場所は京急田浦からずっと離れた横須賀線の田浦だ。
京急田浦は街中だが、横須賀線の田浦駅は何も無い場所なのだ。
横浜から真っ直ぐに横須賀に下りていく京急と違い、JR横須賀線は大船、鎌倉、逗子から大回りして行くので、
いかにも不便で遠いのも二の足を踏ませていたのだ。





おまけに、15両で走って来た横須賀線も逗子で前の4両を切り離す。
JRの切り離し作業は、京急と異なり、かなりの時間を要するものなのだ。
10分ぐらいかけて悠長に切り離す。
写真は切り離し作業が終わって運転室に乗ってきた作業員。
なんと女性だ。
鉄道の作業員にも女性が進出してきているのだ。








東逗子の次は田浦。
初めて降りる。
まあ、この駅で降りる人は滅多に居ないだろう。
本当に何も無い。
自衛隊関係しか無いような感じなのだ。

おまけに、田浦駅は前後をトンネルで挟まれていて、前の1両目はトンネルの中、2両目は1枚目のドアが開かない。
なんという中途半端な、いや臨機応変なドア閉め対応。









トンネルは3本ある。
右端が明治、真ん中が大正、左が昭和にできたもの。
で、左端の大きなトンネルが、貨物線用なのだ。










ホームから見た貨物線。
まだ線路は残っている。
米軍への燃料なども運んでいた。










逆側もトンネル。
戦争中にはすぐに隠れられるということだったらしい。
田浦は日本の軍隊の武器の貯蔵庫があったのだ。
それが米軍に接収され、その後、民間の倉庫会社と自衛隊に引き継がれたらしい。









駅の跨線橋もかなり古いもの。
そこから旧貨物線が見える。
複線で港湾まで向かっていたので、トンネルも複線対応なのだ。
要するに、ここは複々線の姿だったのだ!










海側の駅前にあるのは、この看板。
他にはスナック「夜城」という古い店舗が1軒あるだけ。
他には何もない。









すぐに見えてくる古い倉庫。

大正6年築の、元軍需部修理場(現在は相模運輸F号倉庫)だそう。









土に埋もれかけた線路が良い感じだ。
夢に出てきそうな風景。
平成にこんな風景があるのが奇跡。










線路の先は自衛隊の施設。










わあ、これが駅前の風景なのだ。










涙が出そうな。
水たまりでさえ、都会では珍しくなってしまったんだから。









ねっ、すごいでしょ。
線路が埋まりそうなのって、魅力的なんである。










以前は米軍の施設だったようだが、今は横須賀港湾合同庁舎。









こんな目の前にポイントがあったんだ。










ネコも似合う風景。
この線路の先も入れない。










歩いていると、自転車で移動する自衛隊関連の人が多いのがわかる。
どうやら、施設がバラバラな場所にあるので、自転車移動が便利なんだろう。
この辺は物資の倉庫が多いように見受けられる。











合同庁舎前。
海上保安庁も入っている建物だ。










線路は道沿いに伸びる。










小さな川を渡るが鉄橋は撤去されている。
ネットでは最近まで鉄橋の写真も見ることができる。



こんなたまらない風景がまだまだ続きます。














SONY NEX-6、SONY 16-50mm F/3.5-5.6/PZ OSS




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