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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

サマセット・モーム『読書案内・世界文学』(岩波文庫、西川正身・訳)

2018-02-02 | 書評「マ行」の海外著者
サマセット・モーム『読書案内・世界文学』(岩波文庫、西川正身・訳)

世界文学の厖大な宝庫を前にして途方にくれる読者のために,モームが書いたやさしい読書の手引き.「読書は楽しみのためでなければならぬ」また,「文学はどこまでも芸術である」といった自由な見方によって数々の世界の名作が案内される.イギリス文学,ヨーロッパ文学,アメリカ文学の3章.(解説=富山太佳夫)

◎いちばん役にたつ読書ナビ

 こんなにご利益がある本は、ほかに知りません。私は大学で国文学を専攻しましたので、国産物ならすこしは自信があります。また長年、PHP研究所のメルマガ「ブックチェイス」で、日本文学のブックガイドを連載してきました(当時のペンネームは藤光・伸でした)。そんな関係で、日本の古典から若手の作家まで読みつらねてきました。

しかし世界文学にかんしては、まったくの音痴でした。安部公房を研究していたので、影響をうけているリルケやカフカをつまみぐいした程度のものでした。

 そんな私に手をさしのべてくれたのが、W・S・モームの著書『読書案内・世界文学』(岩波文庫)と『世界の十大小説』(上下巻、岩波文庫)でした。後者については、しばしば書評のなかで引用させていただいています。したがって本稿では、『読書案内・世界文学』に限定して筆をすすめることにします。まずはモームが本書を書いた目的を、おさえておきたいと思います。

――わたくしの目的は、過去の文学者たちからうけついだ偉大な遺産を前にして、途方にくれている一般読者のために、精神の事柄に関心をもつ者であれば、だれにせよ、楽しく、かつ有益によむことができるような、書物のリストを提供するにあった。(本書「はしがき」より)

 モームはくりかえし、「楽しい読書」と強調しています。楽しくないと思ったら、その部分をとばしたり、あるいは読むのをやめるべきだとも書いています。

『読書案内・世界文学』は、長文の「はしがき」と「あとがき」にはさまれて、「イギリス文学」「ヨーロッパ文学」「アメリカ文学」の3章の構成になっています。 

 少し引用が長くなりますが読者は、推薦作のあいだに挿入されるモームのうんちくに思わず笑ってしまうでしょう。こんな調子です。

――今日のようなめぐまれた時代に、読書くらい、わずかな元手で楽しめる娯楽はほかにない。読書の習慣を身につけることは、人生のほとんどすべての不幸からあなたを守る、避難所ができることである。(中略)書物をよめば、飢えの苦しみがいやされるとか、失恋の悲しみを忘れるとか、そこまでは主張しようと思わないからである。もっとも、よみごたえのある探偵小説5、6冊と、それに湯たんぽの用意がありさえすれば、どんな悪性の鼻かぜにかかっても、わたくしたちは、鼻かぜくらいなんだといって、平然としていることができるだろう。だが、もし退屈な書物までもよめというのであると、読書のための読書の習慣など、はたしてだれが身につけようとするであろうか。(本文P40より)

◎モームの推薦作

モームが「見出し」としてとりあげている、作家と作品をならべてみます。そのなかの一部をポイントだけ紹介させてもらいます。

【イギリス文学】
■デフォー:モル・フランダーズ
――デフォーをよんでいると、それが小説であることを、ほとんど忘れてしまう。むしろ、報道文学の傑作だ、といったほうがいいくらいである。(中略)『モル・フランダーズ』は、道徳的な書物ではない。あわただしく騒がしい、下品な書物である。
※山本藤光註:デフォーは『ロビンソン漂流記』(新潮文庫)を推薦作としましたが、『モル・フランダーズ』は岩波文庫(上下巻、伊澤達雄訳)で読むことができます。以下カッコ内は私の補足です。
■スウィフト:ガリバー旅行記(新潮文庫)
――『ガリヴァー旅行記』は、機智あり、皮肉あり、さらに巧みな思いつき、淫らなユーモア、痛烈な諷刺、溌剌とした生気をもつ作品である。その文体は感嘆のほかない。
■フィールディング:トム・ジョーンズ(全4巻、岩波文庫)
■スターン:トリストラム・シャンディー(全3巻、岩波文庫)
■ポズウェル:サミュエル・ジョンソン伝(みすず書房)/ヘプリディーズ諸島旅行記(邦訳みあたりません)
■サミュエル・ジョンソン:イギリス詩人伝(筑摩書房)
■ギボン:自叙伝(岩波文庫)
■ディケンズとバトラー:『ディヴィッド・コパフィールド』(全4巻、新潮文庫)と『万人の道』(上下巻、旺文社絶版)
■オースティン:マンスフィールド・パーク(ちくま文庫)
■ハズリットとラム:(註:ハズリット『卓上閑話』とあるのみで作品名の記載はありません)
■サッカレー:虚栄の市(全4巻、岩波文庫)
■エミリー・ブロンテ:嵐が丘(新潮文庫)
以下3件は「本文中に紹介すべき分量がないので」との断りつきで「はしがき」に書かれています。
■トロロップ:ユースタス家のダイヤモンド(邦訳みあたりません)
■メンディス:我意の人(邦訳みあたりません)
■ジョージ・エリオット:ミドルマーチ(全4巻、講談社文芸文庫)

【ヨーロッパ文学】
■セルバンティス:ドン・キホーテ (全6冊、岩波文庫)
※山本藤光註:セルバンティスは貧乏だったので、原稿の分量を増やして書く傾向にあるので、「そこはとばしておよみになることをおすすめする」と書かれています。
■モンテーニュ:エセー(全6巻、岩波文庫)
■ゲーテ:ヴィルヘルム・マイスターの修業時代(全3巻、岩波文庫)
■ツルゲーネフ:父と子
■トルストイ:戦争と平和
■ドストエフスキー;カラマーゾフの兄弟
――おわりに近い数章をのぞいて、この作品(『カラマーゾフの兄弟』)は、読者の心をつよくとらえる。(補:ここまではドストエフスキーの章での記述。つぎの章「とばしてよむことも読書法のひとつ」ではさらにふみこんだ記載がなされています)
――『カラマーゾフの兄弟』のおわりの数章は、うむところを知らぬ読者でもなければ、とうてい完全にはよめるものではないのだから。わたくし自身のことを申せば、ドストエフスキーが、法廷の場面で、弁護士に述べさせている論告など、精読する気にはとうていなれず、ざっと目を通しただけであった。(本文P84)
■ラ・ファイエット(=ラファイエット夫人):クレーヴの奥方(岩波文庫)
■プレヴォー:マノン・レスコー (岩波文庫)
■ヴォルテール:カンディード (岩波文庫)
■ルソー:告白 (全3巻、中公文庫)
■バルザック:ゴリオ爺さん (新潮文庫)
■スタンダール:赤と黒(上下巻、光文社古典新訳文庫)
■フローベール:ボヴァリー夫人 (新潮文庫)
■コンスタン:アドルフ (岩波文庫)
■デュマ:三銃士(全3巻、角川文庫)
■アナトール・フランス:螺鈿の手箱(「アナトール・フランス小説集7」(白水社)
■ブルースト:失われた時を求めて(全3巻抄訳。集英社文庫)

【アメリカ文学】
■フランクリン:フランクリン自伝(岩波文庫)
■ホーソン:緋文字 (新潮文庫)
■ソーロー:森の生活(上下巻、岩波文庫)
■エマソン:英国の印象 (アメリカ文学選集)
■ポー:黄金虫(新潮文庫「ポー短篇集2」所収)
■ヘンリー・ジェイムズ:アメリカ人(荒地出版社「現代アメリカ文学選集」所収)
■メルヴィル:白鯨(上下巻、新潮文庫)
■マーク・トウェイン:ハックルベリ・フィンの冒険(新潮文庫)
■パークマン:オレゴン街道(「少年少女世界の歴史7・アメリカ史物語」に「オレゴンへの道」というタイトルで収載されています)
■ホイットマン:草の葉(岩波文庫)

 ちなみに『世界の十大小説』(上下巻、岩波文庫)でとりあげられているのは、つぎの作品です。
【上巻】
フィールディング『トム・ジョーンズ』
オースティン『高慢と偏見』
スタンダール『赤と黒』
バルザック『ゴリオ爺さん』
ディケンズ『ディヴィッド・コパーフィールド』
【下巻】
フローベール『ボヴァリー夫人』
メルヴィル『モウビー・ディック』(=白鯨)
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
トルストイ『戦争と平和』

 なにやら古書店のカタログのようになってしまいました。しかし本書を紹介するには、この方法しかありません。ご容赦ください。世界の文学を堪能したいと思っているなら、ぜひそばにおいておきたい本として、紹介させていただきました。
(山本藤光:2014.10.08初稿、2018.02.02改稿)


サマセット・モーム『月と六ペンス』(光文社古典新庫、土屋政雄訳)

2018-02-01 | 書評「マ行」の海外著者
サマセット・モーム『月と六ペンス』(光文社古典新庫、土屋政雄訳)

新進作家の「私」は、知り合いのストリックランド夫人が催した晩餐会で株式仲買人をしている彼女の夫を紹介される。特別な印象のない人物だったが、ある日突然、女とパリへ出奔したという噂を聞く。夫人の依頼により、海を渡って彼を見つけ出しはしたのだが…。(「BOOK」データベースより)

◎ゴーギャンがモデル

モームが『月と六ペンス』を発表したのは1919年。日本では大正8年にあたります。同年に日本では、有島武郎『ある女』(新潮文庫)、武者小路実篤『友情』(新潮文庫)などが発表されています。モームは『月と六ペンス』(光文社古典新訳文庫・土屋政雄訳)で、人間の不可解さに迫りました。日本で自然主義派が衰退し、人間賛歌を描いた「白樺派」が台頭してきたのと、歩調を合わせるように。
 
『月と六ペンス』は、フランスの画家・ポール・ゴーギャンがモデルだといわれています。たしかに足どりは似ていますし、絵に打ちこむ狂気的な姿勢もうなずけます。でも私はモデルはだれでもかまいません。モームが安定した眼差しで、主人公・チャールズ・ストリックランドを描く姿勢に共感したからです。

『月と六ペンス』という意味は、日本の「月とスッポン」と同じです。表題だけを見ると、夏目漱石『明暗』(新潮文庫)に近いのですが、『明暗』は夏目漱石の死によって未完に終わっています。『月と六ペンス』を読みながら、私は『明暗』と重なるものを感じました。

『月と六ペンス』は人間関係を拒絶するストリックランドに迫っていますが、『明暗』は反対の世界にフォーカスをあてています。ただし「人間の不可解さ」に迫ろうとしている点では、同じだと思います。

◎狂気と寛容

 ざっとストーリーを追ってみましょう。「ぼく」は20歳代の駆け出しの小説家。あるパーティでミセス・ストリックランドを紹介されます。「ぼく」の小説のファンだということでした。その後「ぼく」は、彼女の夫・ストリックランドに会います。職業は株式仲買人で、40歳くらいでした。大柄ですが実直そうな男でした。
ある日「ぼく」はミセス・ストリックランドから、夫を連れ戻してほしいと頼まれます。夫が家出をしたとのことでした。「ぼく」はパリへ行き、ストリックランドに会います。

 奥さんを愛していないのですか。お子さんはかわいくないのですか。「ぼく」の畳みかけるような質問に、ストリックランドはそっけなく是認の言葉を並べます。17年間育んだ家庭を、絵を描くために棄てる決心は揺るぎません。
 
 5年後「ぼく」は、パリで友人のストルーヴという画家に会います。ストリックランドは天才的な画家ですが、絵は売れていないとストルーヴはいいます。「ぼく」は、ストリックランドを訪ねます。やせこけた彼は、屋根裏部屋に住んでいました。鬼気迫る容姿に、「ぼく」はストリックランドの意思の強さを感じとります。

 人の良過ぎるストルーヴは、死にかけているストリックランドを哀れに思います。妻の反対を押し切り、ストリックランドを自宅に連れてきます。やがてストリックランドは、健康を取り戻します。感謝の言葉もなく、彼はストルーヴ宅を出ていきます。ストリックランドを忌み嫌っていた、ミセス・ストルーヴは「(彼と)いっしょに行く」と夫に告げます。

 夫は2人に家を譲り、自らが出ていきます。その後の展開は、実際に読んだあなた自身に、感じていただきたいと思います。私は歯がみをしながら、ストルーヴの人のよさ、愚かさ加減をなじりました。そして、ストリックランドの冷酷さをののしりました。

 ストリックランドは、タヒチへと渡ります。ここもゴーギャンが絵を描いた舞台です。ストリックランドは、島の小さな家で死を迎えます。彼の家の内部はみごとな壁画で、色どられていました。死んだら家を燃やしてほしい。それがストリックランドの遺言でした。

◎読書は楽しいもの

モームには、『世界十大小説』(上下巻、岩波文庫)と『世界文学読書案内』(岩波文庫)という著作があります。私はこの本を重宝しています。世界の名作を読み、モームの著作で読後感にふくらみをもたせています。

 なにしろ取りあげられている10作品が豪華です。上巻では、『トム・ジョーンズ』『高慢と偏見』『ゴリオ爺さん』『デイヴィット・コバーフィールド』『赤と黒』が紹介されています。下巻では、『ボヴァリー夫人』『モウビー・ディック(白鯨)』『嵐が丘』『カラマーゾフの兄弟』『戦争と平和』が取りあげられています。

 モームは作家であり、すばらしい読書ナビゲータでもあったのです。10作品だけを選ぶことに対する苦しみ(あるいは楽しみかもしれません)について、モームはつぎのように記しています。

――第一にその書物に求めた条件は、楽しくよめるものということであった。(『世界文学読書案内』より引用)

大学教授や評論家的な読み方ではない、「楽しい読書」のあり方をモームは提案しています。小説を読まない人にたいしては、つぎのように厳しくいいはなっています。

――自分のことだけに心をうばわれていて、自分以外の者の身におこることには、ぜんぜん興味がもてないためであるか、あるいは、想像力が不足していて、小説にあらわれた思想を理解することも、作中人物の喜びや悲しみに共感することもできないためであるか、そのいずれかである。(『世界文学読書案内』より引用)

上記に掲載した10作品のどれかを読んだことがあれば、ぜひモームの読書とくらべてみていただきたい。くりかえしますがモームは、「小説家は読者に楽しんでもらうことが最重要だ」と書いています。本書は「海外文学」のトップ10として、高く評価しています。
(山本藤光:2012.10.14初稿、2014.05.22改稿)