炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

「法」は恐ろしい

2015-05-21 17:20:22 | Weblog
 「法の支配」、その場その場で(都合よく)使い分けている何とも薄っぺらな(それだからこそ恐ろしい)コトバだ。一票の格差が憲法に反すると最高裁で断じられているのに、素知らぬ顔で違反している。憲法解釈を勝手に変えて、「法の支配」を説くのは、身勝手の極みというほかない。
 「法の支配」とは本来、法の背後にこめられた法の理念(趣旨)を深く洞察し、皆がそれを尊守して普遍の行動原理とするものだ。自分に都合よいようにその場その場で勝手に法の解釈を変えて、「法の支配」を人に強制するのはナンセンスだ。
 法を制定するとき、誰しも悪しきものと思って試みようとするものはいないだろう(深慮遠謀をめぐらす輩もいるかも知れないから、そうとも言えないか)。しかし、法の解釈を勝手に変えて、恣意的にその「法の支配」を人に強制するとき、法は恐ろしいものになる。
 先日、東京大空襲の際、危険を避けて逃げることはせず、消火につとめて多くの人が命を落としたが、その背景には「国民は消火に努めるべし」という「法の支配(強制)」があったという。「消火に努めるべし」というのも、被害を皆で防ぐのがよいという趣旨で、はるか前に定められたものであろうが、その後、「法の支配」に反して逃げようとするものは「非国民」だという解釈が加わった。さらに、その「法の支配」の強制には、当時、統制であった米の配給(私も少年時代に経験した)が差し止められるという脅迫感もあったようだ。米の統制も当初としては混乱をふさぐために良かれと思って施行されたのであろうが、その本来の趣旨が歪められて、法は人を脅迫するものになった。
 法の趣旨の歪曲は急に大きくなされはしない。気がつかないうちに(あるいは、誰しも許容できると思われる範囲で)徐々に進められ、気がついた時は取り返しのつかないことになっているから、恐ろしいのだ。
 法の趣旨がみだりに変えられないような厳格な仕組みを設けておくことが必要だが、法の文章が抽象的でどのようにでも解釈できるようなものであってはならない。よく言われる「わが国の存立の危機」などは立派な限定的制約のように見えるが、政府はこの範疇に入る例をどんどん増やしている。例示は類推を生むから、結局、拡大解釈でどのようなものでも「存立の危機」になってしまう。実に危なっかしい。
 よく分からないがまあいいやと鷹揚に構えていてはいけない。政府は、都合が良い話は饒舌だが、都合の悪いことは無視か、話のすり替えをするのではなく、各論点について誠実に(今までの経緯を見ると期待薄だが)、具体的な説明を尽くすべきだ。
 将来、踏み外すことがないように、あいまいで分かりにくい法はNoとしておいたほうが安全だ。(青)

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