龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

西田敏行の宝くじのCM

2011年07月19日 22時53分29秒 | インポート
西田敏行っていう俳優は、不思議なヒトだなあ、と最近思うようになった。
福島出身なんだけれど、以前はあまり積極的に応援する気持ちになれなかった。
存在感はあるんだけれど、その存在感が上手いのか下手なのか分からない種類のオーバーアクション(アク)になっていて、「好き」というにはいささかうるさい感じがしていた(まあ、勝手な感想です)。
同じ福島出身の「無アクセント地帯」の福島弁を前面に出した役者さんでも、佐藤B作はその存在感が「芸風」に昇華されてる感があって、安心してその「わざとらしさ」を濃い味として楽しめるんだなあ。

ところが。

今回の宝くじCMの「わざとらしさ」は、いい感じなのだ。
「強引だったですか」
っていうコピーを、だめ押しで二回、わざとらしい笑いで糊塗しながら敢えてこの自粛ムードっぽい3/11以後に、福島出身の(関係ないけど<笑>)役者が、「一攫千金」の宣伝をする西田敏行の姿に、プロを感じました。

よく知らないくせに言うのもひどい話だが、西田敏行っていうヒトは、もともと芸歴も長いし舞台もやるし、「芸」は十二分にあるんだよね、きっと。
でも、大衆路線としては小洒落た雰囲気は決して出してこなかった。端々に、そのど真ん中の芸風ではないところで見せる「西田敏行」はちょっとかなりかっこよかったりもするおじさんだったりもするのにね。

ようやく惚れることができるようになったかな。

福島から発信するということ(18)

2011年07月19日 21時08分30秒 | 大震災の中で
水素爆発から4ヶ月。(17)でも書いたが、精神的に疲労が表に出てきたのだと思う。

「どこまで耐えていけるだろう」
と書いたが、逆に言えば、
「いったいどこに行けば、この不安から逃れられるというのだろう?」

といってみることもできる。
日本国内、原子力発電関連の施設がある場所は、どこであっても、福島の事故のような被災がいつ起こらないとも限らないのだ。
まあ、そうそう立て続けには起こらないだろう、という根拠無き期待だけが、福島以外を、福島とは違う場所であるかのように感じさせている、だけのことではないのか?

福島の事故以降、その「人為」のリミットとしての原子力発電所の事故という「裂け目」を目の当たりにして、
「底の抜けた現実」を生きるより他に、私達現代人の生が生きていく場所はないのだ、と感じずにはいられないのだ。

今朝、福島市に住む知人からメールをもらった。

「自分なりに整理してみると
“メルトダウンしたのは原発だけではない。3.11以後、様々な形やシステムも溶融している。福島はその中心とも言える。”
ということだろうか。“様々な形やシステム”というのは、中央集権的な国家の形や市場や経済のシステム、情報の有りようなどと捉えればよいだろう。」

とあった。
国が無策だ、と言うのはたやすい。
だが、私達の抱えている既存のシステム自体が、「もう無理」なのかもしれないと正直思う。

本当に、メルトダウンしているのは福島第一原発の炉心だけではない。
永田町だけが、被災地のリアリティを見失っている、のでもないだろう。

私達は、結構大きな危機に見舞われているのかもしれない。
「危機だ、危機だ」と触れて回れば済むような事態ではなく、慌てて目を覚ませばなんとかなるレベルのことではなく、根本から自分の力で考え直し根源的なところで「行動」を掘り起こさなければならないような種類の事態。

その危機感を共有している、ということは、福島から発信しておきたいことの一つだ。

「初期衝動を大切にしよう」ってのも、もう一つの合い言葉になるかもしれないですね。
だって、「公式な見解」や「公式の基準」は、後出しじゃんけんとしてしか機能しないんだものね。

政府に居る人や政治家だけが愚か者の大集団で、それを批判するメディアや庶民だけが英知を持っている
かのような意見に与することは正直できない。

自分で考えて、自分の「衝動」をきちんと形にしていくことが、今の福島ほどに求められている場所はないんじゃないだろうか。
そういう意味では、危機の「突端」にいることを実感する。

いうまでもないけれど、それは「被災者実感」の特権化や押し売りとは全然別のところで。

想像力をフル稼働して、「福島的な事象が起こっている区域」と、今はそれが起こっていないかに見える「平穏な場所」をなんとかしてつなげていきたいのだ。

友人はまた、こんな風にも書いていた。

「車で1,2時間も福島を離れると3.11以前の世界に戻ってきたかのような心持ちになる。子どもたちは外で遊んでいるし、少なくとも気にせず深呼吸できる。心がリラックスしてくる。
でも、それは錯覚に過ぎないと、福島から来た僕たちは気づいている。世界が変わったということ僕たちは知っている。いつもの年のように、桜が咲いて暑くなって季節が進んでいっても、これまでとは時間の進み方が明らかに違っていることを僕たちは体で感じている。
元の世界へはもう戻れない。」

元の世界にはもう戻れない……それもまた、「福島」から発信すべき確かな実感の一つだ。



福島から発信するということ(17)

2011年07月19日 20時29分40秒 | 大震災の中で
この2週間、風邪を引いてグラグラしていた。

理由は分かっている。土日になると「週末避難」を繰り返していたからだ。

4月末からほぼ3ヶ月近く、週末は自分の家から「避難」していた。
線量が高いといわれ、地元の港は復旧せず、しても水揚げはできない、地元の野菜は大丈夫なのか、それに加えて牛肉の全面出荷停止、職場も5月からの仮住まい、8月には再度引っ越しを控えている……こんな中で精神的に疲弊しないはずはない。

自分でそんなに大変だと意識しているわけではないのだ。
でも、気がつくと気持ちと身体が重くなっている。
だからこそ、ここにじっとしていられない。ま、そこは性格もあるんだけれど(苦笑)。

とにかく、毎週末は「避難」を続けていた。

講演を聴き、シンポジウムに顔を出し、対談やセミナーをハシゴし、友人知人を酒飲みをして喋る。温泉に泊まり、買い物をする。
隙間が空くのを怖れるようにずっと出歩いていたら、7月になってガソリンが切れたようにへこたれてしまったようだ。

福島県民が背負うべきものの大きさは、これから次第に全容が明らかになってくるのだろう。

水田も作り続けなければ2年でその機能が失われてしまうのだという。
今夜のニュースで牛を飼っている農家が「出荷停止になっても、毎日世話をして飼料を与え続けて行かなければならない」と言っていたのが耳に残った。

生き物と付き合うということは、そういうことだ。
出荷停止、ということになれば、基本全量買い上げをして貰わなければなるまい。
それにしても、今後新たにその飼育のサイクルを続けていけるのかどうか、農家の危惧と苦悩は深い。

そしてその苦しみのいくぶんかを(大げさだと思われるかもしれないが)「福島県」に住む我々は共有している、と感じる。

いったいいつまでこれが続くのだろう。
いつになったら、何の支障も心配もなく、海の魚を採って食べ、庭で採ったばかりの野菜を安心して料理に使い、地元産品を以前のように誇りを持って他県の知人に送ることができるようになるのだろう。

1年後?2年後?3年後?それともセシウム137の半減期30年を待たねばならないのだろうか?

3月から7月の初めまで、私はここで踏みとどまっていこうと考えていた。
しかし、ここにきて、子ども達はやはり福島県外に生活の拠点を持った方がいいのではないか、と正直思い始めている。
全ての生活の中で線量を意識し続け、除染を考え続け、地元の産品に怯え続けなければならないという負荷に、自分は今後耐えていけるのだろうか。
年も年だし、気にするのもバカバカしい、とうそぶいてはいても、それを続けていけるのだろうか。

気にしなければそれですむ、ということでもないしね……。
それに、体力が落ちたために、少々気弱になっただけ、なのかもしれない。

だが、揺れ動く心は、いつになったらその震えを止めることができるのか、簡単に答えは出ない。
幼い子を持つ親たちのことを、改めて思う。
目に見えない放射能と闘うということは、心がしだいに疲弊していくその「ジリ貧」とも闘っていかねばならないのだ。

結構、しんどいものだね。








福島から発信するということ(16)

2011年07月14日 21時12分40秒 | 大震災の中で
菅総理は一刻も早く辞めるべきだ、というのが政財官学マスコミの一致した意見らしい。

日本人がそれだけ一致して辞めさせようとしているというのは不思議な話だ。
ことによると、同じく日本人があれだけ一致して推進してきた「原発依存」と同じ程度には信憑性のある意見なのだろうか、とまぜっかえしの一つもいってみたくなるぐらいあまりにみんなが菅首相に辞めろと言っている。

よほどひどいのかあ、とぼんやり私は思うばかりである。

「原発依存からの脱却」
を声高に叫ぶのは、パルチザン政治家としての自己保身策に過ぎないのだという。
なるほど。
でもじゃあ、原発依存を続けようという人は、自己保身じゃないのかしらん。

自民党もおかしかったけれど、民主党も自分の所の親分をくさして下ろすという昔ながらのやり方しかできない。

どうなんだろう。

私は正直、福島の原発事故を踏まえた「原発依存脱却のためのプログラム」を、誰も(総理でさえ)きちんと国民に提示していないことに大きな驚きを抱く。

ピーク時電力なんて不足したっていいじゃねえか、と思う。
本当に手当が必要なのは緊急を要する医療だけじゃないかな。
首都圏の工場が立ちゆかない?

バカ言っちゃいけない。

福島県の農業は「壊滅的打撃」を現に受け続けています。

貧乏になったって、自分ちの庭の菜っ葉が食べられる方がいいと思う。
経済的な豊かさをほしいままにしたところで、いつになったら地元の牛肉や牛乳を口にできるかわからないような世界には魅力を感じない。
岸壁で釣った魚を口にできない福島を、日本中、いや世界中に輸出してしまう前に、止めておいたほうがいいことってのはあるものだ。
今、いったん貧乏になったっていいじゃないか。
原発を止めたことでただちに餓死者が出るわけでもないだろう。

日本に底力があるのなら、新しいステージは逆に見えてくると思うよ。

これは自分ではかなり「当たり前」でかつ「素朴」な意見だと思う。素朴すぎてそのまま実現するには差し支えがあるのかもしれない。でも、たとえば新潟が、たとえば佐賀県が「福島」になったら、日本は本当に洒落にならない。

聞けば、全電源喪失の想定は、ずっと昔に一度検討されていて、そのまま放置されていたんだとか。

そんなことをやってきた「原子力村」の検査をいまさら信用しろっていうのは、少なくても福島から見ていると無理筋です。

昨日も書いたけれど、うまくいっている小さな範囲だけを守ろうとする姿勢が、この国の組織には蔓延していて、今なおそれを止めることができないでいる。

菅首相はきっと人間の組織を動かしていく力なんてないのかもしれない。
ただの市民運動家上がりのスケールの小さい自己保身に汲々とする政治家、なのかもしれない。

でも、そんなことはそんなに意外なことでもないだろう。鳩山前首相がお坊ちゃまんなことも、剛腕小沢がお金はあっても言葉がないということも、みーんな日本人は分かっているんだと思う。

薄々分かっていて、箱庭みたいなところですったもんだしているうちは、大きな事態の進行から目をそらしていられるから、限られた視界の中の「どろどろ」をしたり顔で批判していればいい、と思って生きていける。

箱庭のレベルを超えると、日本の政治はほとんど機能不全に陥りつづけているのではなかったか。
北朝鮮問題でも竹島問題でも沖縄問題でも原発事故問題でも。
日本の政治家が、箱庭レベルのこと以外を解決したという話をあんまり思い出せない。

政治家を待望するのはどうかと思う。

私は、自分自身が世界と向き合う方法を考えたい。
そう思うようになった。
誰かや何かを待望したり、瞳をそらすことによって問題を回避できたかのような錯覚を生きたりするのではなく、自分でこの世界とどこかで触っていたいと思う。

私にとっては、その接点へ到達するのが「哲学」という方法であるような気がしている。
私達は、自分たちで制御できる技術の範囲を超えて世界を汚してしまった。このうまくいっていないサイクルから降りる勇気を持つためには、利害の調整とか経済的な計算だけでは決定的に足りない。

世界と向き合う方法が必要だ。


世界と向き合う方法は、まだ世界に残されているのじゃないかと思う。その程度には世界はまだまだ豊かな可能性を宿しているのだと信じている。
その向き合ったはずの「世界」もまた「おまえの匙加減」じゃないか、っていう無限遡及に到らない方法を、ね。

だからこそ、スピノザの言葉に改めて耳を澄ましている。





福島から発信するということ(15)

2011年07月12日 23時43分04秒 | 大震災の中で
なんだか舌足らずのような気がするので、もう一言付け加えてから寝ます。
(風邪が完治していないので、考えもいささか朦朧としてるんですが)

「福島に届く言葉で」

と書いた。
それは支援しろとか同情しろとか補償しろとかいうベクトルではない(当たり前ですが)。

そうじゃなくて、福島で起こっていることを踏まえて「思考」し「哲学」しなければ、3/11以後の言説は立てられないのではないか?と感じている、という意味だ。

福島の中にだって、「福島」に届かない言葉を喋る人は沢山いる。
私の言葉にしたところで、どこまで「福島」に届いているのか疑問といえば疑問だ。

だが、ここで「今」起こっている、収束しない原発事故の現状はあきらかに

「日本の今の経済的豊かさを守るために原発は必要だ」

という主張の偏りと限界を指し示し続けるだろう。

少なくても、他国の戦争や、地方の抑圧、有形無形の植民地化の動きによって、「経済的豊かさ」は再生産されてきたことは疑いない。私達日本人全てがそのシステムの中で相対的な「富」を手にしてきたわけだから。

この事故以後を福島で生きていると、軍事上の課題を背負った沖縄と、経済上の課題を背負った福島原発が、日本の安全と豊かさのために「機能」し続けていたのだ、ということがようやく身に沁みて理解できるようになってきた。

私達は、そういう支配-被支配の構造から脱却した方がよいのではないか?
その可能性がわずかでもあるなら、追求するべきなのではないか?

鳩山さんと菅さんが、沖縄問題と原発問題をぐちゃぐちゃにした、とマスコミは報じ続けてきた。

でもこれは日本が抱えていた国内における「植民地支配」の問題なんだよね。
宰相個人ごときが短期間で解決できる規模の問題じゃないんだと思う。

じゃあ誰が解決できるの?

あり得ないように思えるかもしれないけれど、国民一人一人の選択が変化を生むのだ、と思う。
少なくても、そこを行動の根っこに持つことが大切かと。

日本の軍事的防衛問題に、アメリカ軍と沖縄基地が深く関わっていることに気づいていなかった日本人なんているはずがないし、原発が危険だけれども首都圏に電気を供給しつづけるために地方にリスクを背負わせていた現実、を、全く知らなかった日本人なんてそんなに数が多いとは思わないよ。

つまりさ、私達は
「限定された世界が都合良く回り続ける」

ために、大きなリスクに目をつぶることがとても上手だった、ということが、政権交代であられもなく露呈してしまった、のではないだろうか。

最近喧しく言われる記者クラブの弊害についても、同じことが言える。

その場を上手く回すためには、記事が偏った挙げ句に均質になっても構わないという「心性」がそこに機能し続けてしまうんだよね、たぶん。

今必要なのは、偏っていても、不均質でも、開かれた耳と目を持ちつつきちんと自分の主張をし続ける「思考の強度」なんじゃないかな。

それは一つの政策について賛成か反対か、という立場よりもずっと重要な気がする。

「思考の強度」を鍛える道はこれはこれでいろいろあるのかもしれないけれど、やっぱり「哲学」していくことに尽きるんじゃないかしら。


福島から発信するということ(14)

2011年07月12日 23時15分29秒 | 大震災の中で
先ほど、TVのニュースで与謝野馨大臣が、
3/11以降、考え方が変わったか?との質問に答えて
「あまり変わっていない」
と答えたのが印象的だった。

この経済的な豊かさの水準を下げることはできない。この豊かさを子や孫の世代にも引き継いでいくためには、原発が必要だ。日本のような資源のない国がこの経済的な豊かさを維持していくためには。

という趣旨の話。おもわず「そうだよなあ」と深くうなずいてしまった。

私は「脱」だか「卒」だか「反」だかは別として、原子力発電所依存を脱却する方向でエネルギー政策を進めるべきだという考えを持っている。
その場合、この「今の経済的豊かさを維持するために原発の稼働が不可欠」という論理と、どう向き合うかが問われるのだと思う。

心の中では
「バカいってんじゃねえよ、もう一つ別の原発飛んだらそれでしまいやろが~」
と叫びたい思いはある(笑)。
他方、
「今までさんざん経済発展の恩恵受けて、原発も知らんぷりして黙認してて、今更手のひらがえしすんのかいわれ~」
という自分を責める声も響いてはいる。

そんなこんなでぐるぐる回りつつ、しかしやっぱり、早めに止めておいた方がいいぞ、という結論に達したのだ。

これからずーっと守るべきものは「今の経済的な豊かさ」ではなく、この日本というか郷土というか、私達のずっと生きていくべき時空間というか、この「世界の生存可能性条件」だ、思うからだ。

与謝野氏の言うように、今の経済的な豊かさの水準を保つためには、そう簡単に原発を一気停止などするのは無茶かもしれない。

だが、与謝野氏の考え方は、中期的エネルギー政策としては「愚策」に通じる危険を持つ。
敢えて「正直」な発言を出すことによって、与謝野氏の立場からいえば「冷静な議論」を喚起する狙いがあるのかもしれないが、その「今」は、もう1基原発事故が起こったら、もはや手が着けられないことになる、それまでの期間限定の「豊かさ」でしかない。

っていうか、福島は、その「今」を既に失ってしまったのだ。

このぐらいなら大丈夫、と言い張る人はいるだろう。
なるほど、放射線被曝によって「即刻確実に」身体異常が発生する線量は、とてつもない数値だから、それは今のところ事故現場に限定されてはいる。

でも、その高線量の場所で冷却作業を続ける人がいなければ、「今の豊かさ」どころか「今の安全」さえ確保されないのだ。

そう考えると、与謝野大臣の「正直な実感」は、支配者の論理か傍観者の述懐に過ぎない、と分かってくる。

彼のいう「日本の豊かさ」は、サバルタンな作業員の被曝や、牛に自前の藁を食べさせたことが全国で大問題になるような酪農家の苦悩を「日本の豊かさ」の前提としていることになりはしないか。
それが極論だとすれば、そういうリスクが原発それ自体に現に存在し、その事故による被害が現在進行形で進んでいるこの「福島」の場所に、きちんと届く言葉にして信号を発するべきだろう。

「日本が豊かであり続けるためには、福島のような事故のリスクはやむを得ない」
って話になっちゃうよね。3/11以降考えが変わらないってことは、さ。やれやれ。

繰り返すが、私は
「日本の国土が豊かでかつ安全であり続けるためには、ある程度経済発展にブレーキがかかってもやむを得ない」
と考える。

なぜなら、今は「技術」が「生活の可能性条件」それ自体を根本から揺るがしているからだ。
私達の生活を根こそぎ奪い、汚染し、ないがしろにする危険領域まで技術が来てしまっているからだ。

しかも、原発で発生し続ける放射性廃棄物や使用済み燃料などの処理の技術はまだ手にしていない、ときている。

この点、環境汚染を顧慮しないという意味では、軍事用の原子爆弾と同じリスクを、自国民に背負わせているのだから、かなり笑える。
福島県民としてはブラックな笑いになってしまうけれどもね。
ま、他国人にリスクを背負わせる核保有国もどうかと思うけれど。

「今の豊かさ」がどれほど失われるのか、悲観的シナリオと楽観的シナリオをぜひ提示してもらいたいものだ。地元の海で水揚げされるサンマとイワシとカツオとメヒカリとを、刺身で食べるか酢漬けにするか、あるいは塩をかけて七輪で焼き、地元で採れた菜っ葉を味噌汁に入れてご飯が食えれば、それで私個人は大丈夫なんだけどなあ。

たぶん与謝野氏の「豊かさ」とは次元が違うのかもしれない。

原子力発電所の事故が再度起こったとき、「今の国土」や「今の人間の暮らし」がどれほど脅かされるのか、はもう、よく分かったわけで。
いったん事故が起こったら、海産物が全く採れなくなる日本の原発は、海沿いの住民的アイデンティティからしたら、絶対に稼働・存続は「無理」なんだけどなあ。

P.S.
原発立地の地区近隣の漁業補償はかなり手厚くされて来た側面もある、と聞く。
それだけリスクが大であることを、双方認識していたからでもあろう。

でもさ、こんなことを今更書くのも口幅ったいけれど、海は電力会社のものでも漁民のものでもないんだよね。

そういうことさえ「今の経済的な豊かさ」で押し切ろうとする姿勢は、未来を生きる者の「哲学」ビタミンが不足しているなあ。

さてさて。与謝野氏の「正直さ」に退場願うための努力を、福島で続けていくにはどうすればいいのか。
宿題ばかりが増えていきます。


福島から発信するということ(13)

2011年07月12日 22時15分40秒 | 大震災の中で
風邪を引いて寝込んでいた。寝込みながらも仕事には行った。ふらふらした。
風邪の熱なのか、世の中の暑さゆえなのかも判然としないまま、倒れそうな1週間を過ごした。

その中で、夢うつつに考えたことは、もう、日本は原発に頼った経済から「足抜け」しようということだ。

声高に何かを語ることは、慣れていないし気恥ずかしいし有効かどうかも分からない。
正直どうすればいいのか分からない。

しかし、東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえて福島から発信する時、私は原子力発電所の稼働を停止し、限りなく速やかに冷温停止状態に移行することを心の底から祈るよりほかに術がない。

日本のピーク時電力事情の問題は、みせかけの問題にすぎない。
日本の国土を、郷土を、生活の礎となる時空間を大切に思うなら、福島の事故のようなことがもう一回起こったら、おそらく日本は経済的にも文化的にも圧倒的なダメージを蒙るに違いない。

自らの手で、国土の放射能汚染と引き替えにいくばくかの経済的豊かさを求めるという方向から、引き返すべきだ。
給料が下がってもいい。食べるものが貧しくなっても構わない。食糧自給率なんて、原発事故が次に起こったら、本当に「絵に描いた餅」になってしまうだろう。

なるほど東京電力第一原子力発電所は、冷却平衡状態をいまのところ保ってはいる。
しかし、あんな瓦礫の中で、間に合わせの綱渡りの中で、危うい必死の作業が続いているのに、まだ「実際に起こってみないと分からない」のだろうか。

原発を止めても、燃料や廃棄物、廃炉になった発電所自体と、何十年何百年単位でその放射能の処理の課題は続いていくだろう。明日全てがクリーンになる、なんてことはとうてい考えられない。

しかし、私達はもう、明確に舵を切るべき時を迎えたのではないか。
福島の人間達は、県内の原発誘致と稼働とを黙認してきた自らの不明に思いを致すと同時に、他の地域の人たちに、この現状に生きることの意味を、伝えていかねばならない。

菅首相は、もう政治的指導力を失っていて、それでも総理大臣を辞めさせられないからみんなで切歯扼腕している、と連日報道されている。支持率もどんどん落ちているとも聞く。政治の文法としてはむちゃくちゃなのだろうと思う。せっかく政権交代が実現したのに、「成熟した政治」のありようなんて絵空事になってしまった。

なんだか凄いなあ、と私も思う。

でも、政治家として支持はしないが、原子力発電所のさらなる事故が起こる前に、これを出来る限り早い段階で稼働停止し、冷温状態にしていく施策を打ってくれるなら、どんなに不人気で地位に妄執している政治家であっても、その政策を支持したいと思う。
無論、それは何も今の首相でなくても構わない。ただ、原発推進派だった政党およびその政党の出身者(国会議員のかなりの割合がその中に入る)は、胡散臭いし。

シングルイシューでOK。

エネルギー政策における原発以後のグランドデザインを描く政策を望みたい。
どなたか既存の政党ではなく、立ち上がってくれませんかね?
(他力本願ではだめかな。どうやったら政治を動かせるのか、勉強すべきだろうか?)

即、停止が不可能だとしても、この事故を再度起こす前に、原発依存からの脱却を目指そう。
性急にゼロを望むのでもなく、「何か」と国土・国民の安全安心とを秤にかけるのでもなく。

だって、たとえば福島県沖のお魚を、私達は今口にできないんだもの。
経済的な豊かさと引き替えに失っていいものと良くないものがある。
こんなことが福島以外で起こらないようにと、きちんと声を上げていく義務を私は自分自身に感じている。



大震災以後を生きる(16)

2011年07月09日 10時58分30秒 | 大震災の中で
佐賀県の原発稼働再開が延期されそうだ。
正直よかったと思う。

今回事故が起こった東京電力の福島第一原子力発電所の周辺は、もはや取り返しのつかない汚染が起こっている。たとえ炉心冷却が成功したとしても、撒き散らされた放射能、容器から露出した大量の燃料は、そこに何十年も存在し続けるのだから。

こんなに広い地域で、生活を営まない無人の時期が数年続き、しかも廃炉まで数十年もかかり、放射能を大量に抱えた原発が存在しつづけ、海産物の汚染については現状さえ十分把握できていないとすれば、事故以前に戻ることは不可能だろう。


認識するとしないとにかかわらず、原発はそれだけのリスクを背負って稼働しつづけてきたのだ。

だとすれば福島から発せられるべきは、「原発に被害を受けた、原発は危険だ」という単なる危機におびえる感情論ではない。

政府や大企業、電力会社の「電卓」ではなく、自前の「電卓」を叩いてみてはいかが、という話だ。

それでもなお、補助金という「麻薬付け」の地元自治体は、機会をみては「YES」といいたがるのかもしれない。

しかし、福島県の避難地域は、風向きによっては二〇キロ圏内30キロ圏内を大きく上回った遠いところまで広がっている。

この機会に、原発立地自治体ばかりではなく、その周辺の地区に住む人は、自前の「電卓」を叩いてみることをぜひ強くオススメしたい。






オーギュスタン ベルクの講演7/4於:日仏会館

2011年07月05日 14時25分25秒 | 大震災の中で
日仏会館で、オーギュスタン・ベルグ氏の講演を聴いてきた。
平日仕事を早めに切り上げて高速に乗る。
首都高が渋滞していなかったため、2時間半ぐらいで恵比寿に到着。
ダメもとで尋ねてみたら日仏会館の守衛さんは親切で、駐車スペースを提供してくれました。
高速駐車料も無料。ガソリン代約4000円のみで首都圏の講演会やシンポジウムに参加できるのは非常に嬉しい。
この一年は、最大限に利用しよう。

まだ時間があったので、近くの喫茶店でちくま文庫から出ている『空間の日本文化』を再読する。しかし、ぎっしり中身が詰まっているので(単に参照・引用が多いと言うことではない。一つ一つ批評的ち吟味されている)、飛ばし読みができない。

若い頃はとにかくアイディアがほしくて本を読んでいたから、初読の時にはこの本の魅力は十分に理解できなかったのだろうな、と思った。

今日の講演だって、私が10年若かったなら、「いまさら和辻とか今西かい」ぐらいの生意気な感想を抱き、聴きにも来なかったかもしれない。

年を取るのは、悪いことじゃないのだ、とつくづく思う。
例えば、中世哲学に寄り道してみたからこそ、アリストテレスやプラトンの話もぼんやりながら筋を見失わずに話を聞けるようになったし、現象学のまわりをうろうろしてみたからこそ、さりげないベルク氏のハイデガー批判もぐっと身近に感じられる。
近代批判の文脈におけるフォーディズム批判のスタンスは、萱野稔人さんのフーコー論から響き合ってくる。

また、主語と述語の関係のアナロジーで自然と人間の環境における象徴的な相互関係を読み解くのは、ラカン的な精神分析の匂いもするし。

ま、要するにこの思想=哲学的なる空間の芳醇な香りを満喫したってことですかね(笑)
知的な対話が、一番の悦びなんだと改めて思う。そして、ここが面白いところなんだけれど、年を取ってくると、対話できる対象が豊かになってくる。
古典についてもいささか親しむようになるし、現代的な課題とそれに対する「今」の哲学や思想、技術たちの取り得るスタンスも見えてくる。
見えてきた上でモノを考えるのは、ほとんど至上の喜びなのではないか。
人文科学系の学問の面白さが、ようやくわかりはじめてきた。
若いうちにがっちり古今東西のテキストを読み込んでおくのは、意義深いことなんだね。もういくら読んでも覚えられなくなった頃に分かるのが凡人たるゆえん、なのだけれど。

それでも、テキストと解釈がある程度自分の中にあると、講演を聞きながら、ある瞬間には講演者と対話し、ある瞬間には講演者が引用テキストと対話するのに耳を澄まし、あるいはさらに、その対話に自分で割り込んでいってさらにポリフォニックな対話空間を作っていったり、ということができる。

もちろん、たった一つの正しい道を探すような焦燥感あふれるスリリングな若い読みはもうできない。
でも、対話の中で、「あれ、これってもしかすると」という発見をすることはできる。てことかなあ。

そういえば、フーコーがカントの啓蒙を引用して「大人」の時代みたいなことをいってたような気がする。ちがうか?

さて講演の中身はとりあえず以下で。
自分なりのメモは後刻メディア日記に書きます。

日仏会館ホームページより。
http://www.mfj.gr.jp/agenda/2011/07/04/index_ja.php#1138

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自然と文化の通態:和辻風土論と今西進化論を出発点に
講演者:
オギュスタン・ベルク
(フランス国立社会科学高等研究院)


講演要旨:
和辻哲郎の人間界についての説とヤーコプ・ヨハン・フォン・ユクスキュルの動物界についての説には驚くべき相似性がある。和辻が「風土」と「自然環境」を区別しなくてはならないことを示しているように、ユクスキュルは生物の一つの種にとって存在する周囲の世界である「環世界」(Umwelt)と、科学が把握するような環境的与件である「環境」(Umgebung)とを区別しなければならないとする。「風土」あるいは「環世界」は「環境」のように普遍的ではなく、一般的に生物であろうと、あるいは特に人間であろうと、一つの主体がいかに個別的に環境を解釈するかの結果である。この解釈は偶然的で、人類の諸文化の時間の広がり(いわゆる歴史)または生物の時間の広がり(進化)から見ても、その歴史は常に特異なものである。そこにおいては、主体(文化、生物の種)とそれを取り巻く周囲とが互いに作用し合う。すなわち特異なロジックの相互関係、「通態性」(trajectivit )が存在するのである。それは進化に関する諸理論において支配的な機械論的思考におけるように単なる因果関係に還元できるものではない。



福島から発信するということ(11)

2011年07月05日 11時42分15秒 | 大震災の中で
(承前)

マックに入ってさらに話は続く。

「郷土への愛着かなあ」
「それはわかるわよ。でも、すでに汚染されているわけでしょう?」
「ええ」
「だったら、フランスの農場では人を受け入れる準備は十分にあるのだから、来てみるといいのよ」
と徹底的にポジティブというか、歯切れのよい主張が続く。

自分のぐだぐださが炙り出されてくる。
しかし、これは心地よい「訓練」でもあった。

「えぇとね、福島の人は、たぶんこの事故を全く意外なこととは捉えていないと思います。いつかこうなるかもしれない、ということは予想していた。原発が事故を起こしたら大変なことになる。ならないはずがない、ということは、『分かっていた』のです。だからこそむしろ、事故が起こったときに言葉を失った、ということは考えられないでしょうか。自分たちの主体が引き裂かれてしまっているのです。」

こう書いていてはじめて整理がついてくる。私たちは原発事故を全く意外なものとして捉えてなどいなかったのだ。

そういうことに「今」気がついている。

そしてそれは、単なる被害者として放射能汚染を言い募り、東電や国の「加害」を声高に語り、我先に避難しなければ、という行動をどこかで抑制しているのかもしれない。

それは、原発プラントの近くに住んでいて、有形無形の補償を受けたり雇用を得たり、ドーピングのような補助金漬けになった「原子力城下の村」だけが引き裂かれた、ということだけではない。

もちろん、原発が立っている近隣の町村は引き裂かれている。双葉町や大熊町の人たちに話をうかがっても、二つに分裂している、という話は聞こえてくる。それは当然だろう。お金をもらう側と放射能被害を受ける側が同じ町民なのだから、心の中が複雑に引き裂かれたり、町民が分裂したりするのも不思議ではない。

だが、私は原発が立っている町の住民ではない。それを容認・黙認はしてきたが、基本的に大きな利害関係の外側にいる存在だ。

かといって、電力を享受する「原子力城下町」にとっての「宗主国」の国民=都民の立場でもない。

その私が自分の行為に言葉を与えることが難しいというのはいったいどういうことなのだろうか。

正直、慣れ親しんだ土地から離れて生きるというのが、こんなに難しいことだとは思わなかった。

たぶん、ここには「神様」が宿っているんだと思う。

生きる基盤、といってもいい。私たちの「生」=「生活」を支える可能性の条件、といってもいいだろう。
私は、私たちは「福島」を生きる可能性の前提として、何十年も「生」を営んできたのだ。先祖から数えれば、100年単位でこの土地の住民だった。

主体として郷土やその自然や共同体の人々を「愛している」のとはちょっと違う。
原発事故が起こるまではそんなに愛郷心など自覚してはいなかったし。そうではないのだ。

主体があらかじめそこにあって、その主体が抑圧されたり、何かを愛したりするのではない。少なくてもそれだけではない。そうではなくて、その主体が、この土地の中で形成され、好むと好まざるとに関わらず、この土地が、自分の「半身」になっていたのだ。


移動可能な世界像から生まれた携帯可能な、どこにいても祈ることのできる「神」と、私たちが生活の基盤であるこの土地をよりどころにしているという意味での「神」、の違いだろうか。

そんなことを口走って、マックで苦笑されたりもした。
でも、そういうところに根ざしているね。

ここを離れたら、取り返しがつかない。
多分野、こんなことを言うとバカバカしいと思われるかもしれないが、被曝との兼ね合いを考えつつでも、止まらねば生らない心の動きがある、ということは、とりあえず福島から発信しなければならない、と思う。
それは、繰り返すが、故郷を愛している、という「主体の叫び」でないことだけはたしかなのだが。かといって、土着的な無自覚の慣習=慣性=惰性というのとを断じて違う。

じゃあなんだよ?
って問われますよねえ。

だから、神様が土地にいるんだよね、と言うのがとりあえずのこたえ。
いないかもしれないけれど、近代以降、共同体的なものが擬制化して、さらに土地まで明示的に喪失したら、かなり究極の「アトム化」になる。それを恐れる気持ちはあるだろう。

黄昏てから考え出す、の典型かな。
この項目、続く、ですね。

そうそう、その翌日、日仏会館のイベントを紹介していただき、オーギュスタン ベルクの講演を聞きにいけることに。
私をマックに拉致したのは、日仏会館の運営をしている方だったのでした。
その講演と、レセプションで考えたとはまたあとでかきます。




震災後を生きる(15)

2011年07月05日 11時26分00秒 | 大震災の中で
震災後を生きる(14)を書いた後で友人からメールがあった。自殺の話だった。「平時」なら、特にそれに共鳴することもあるまい。
しかし、こういう時期は、お互いが敏感になっている。
安心していきることができない状態にあると、人は自ら命を絶つ人の、場所を失った「場所」の洞穴に魂を吸い込まれていく。

無論どこに住んでも生きていくことはできる。
「人間いたるところ青山あり」
には違いない。

けれど私たちには「歴史」がある。
それは決して単に内在的なのでもなければ、単に外在的なのでもない。
そこにあるのは、単なる「知識」や「記憶」ではない、生きられてきた「空間」=「身体」の間主観的な「文化」だ。

これ、と名指すことはできないが、私たちが身にまとい、日々生き、過去から未来に貫かれた一貫性として感じられる「世界観」といってもいい。

だから、「なぜ逃げないのか」の問いは、問いかける人は、理由を尋ねているのかもしれないけれど、応える側は、存在論的哲学を問われている、と感じるのかもしれない。

年寄りがいるからね。
子供は避難させないとね。

そういう外部的に見える理由付けは、実は自分だけの「世界」ではない、ということの、信号にならない信号なのかもしれない、と思う。

自殺の報に感応してしまうのも、存在論的な不安ゆえに「間」に立たされていると感じる私たちの現状を、逆に照射しているのだろう。



震災以後を生きる(14)

2011年07月01日 22時15分34秒 | 大震災の中で
計画避難対象となった山木屋の女性が自殺
という報道が今NHKで流れた。

山木屋は、原発立地地域とは全く異なる、ふだんはそんなことを考えてもいなかった中通りの地域である。

勤めていた養鶏場が閉鎖、失業に加えてなれない避難暮らし、さらに家族が分かれての避難ということで、将来に対する不安を感じていたようだ、と夫の話。

とても他人事ではない。
「最近会ったときも普通だった」
という知人のコメントも添えられていた。
それがまた切ないし、聴いた福島人は、我がことのように感じてしまうのではないか。

彼女の思いを安易に忖度することはできないが、いったいこれからどうなってしまうのだろう、という底の知れない不安は、間違いなく私たちも抱えている。

福島の人たちは、やっとのことでそこに立っているのじゃないか。
もし、そのバランスが不意にくずれたら、と思うと、怖くなる。

無理やり心を落ち着けて日々の暮らしを何とか生き延びている人が、福島には圧倒的に多いはず。
これから、何かが起こったら、もう持ちこたえられないかもしれない。

もしかすると実は足元から既に「崩れてしまっている」のでは?

事故の早期収束を祈りつつも、澱のように不安は日々蓄積している。

ふぅ。


國分功一郎「暇と退屈の倫理学」(朝日出版社第二編集部ブログ)

2011年07月01日 13時45分36秒 | 大震災の中で

とっても上質の知的エンタテイメントです。

暇と退屈から解放されるには、何か別のモノに熱中して逃避するんじゃなくて、暇と退屈について、それ自体をこんな風に一緒に考えてくれるテキストの存在が一番役立つ、のかもしれません。

テンポも急がないのがグッド。
國分さんの文体というか、かたりの魅力、でもあります。

考えてみると、暇や退屈から逃げるんじゃなくて、むしろその暇が楽しめればいいんですものね。そしたらもう暇は暇じゃないし、退屈は退屈じゃなくなっている。

どんなところに連れて行ってくれるのか、も楽しみです。


よろしかったら是非。