龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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福島から発信するということ(13)

2011年07月12日 22時15分40秒 | 大震災の中で
風邪を引いて寝込んでいた。寝込みながらも仕事には行った。ふらふらした。
風邪の熱なのか、世の中の暑さゆえなのかも判然としないまま、倒れそうな1週間を過ごした。

その中で、夢うつつに考えたことは、もう、日本は原発に頼った経済から「足抜け」しようということだ。

声高に何かを語ることは、慣れていないし気恥ずかしいし有効かどうかも分からない。
正直どうすればいいのか分からない。

しかし、東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえて福島から発信する時、私は原子力発電所の稼働を停止し、限りなく速やかに冷温停止状態に移行することを心の底から祈るよりほかに術がない。

日本のピーク時電力事情の問題は、みせかけの問題にすぎない。
日本の国土を、郷土を、生活の礎となる時空間を大切に思うなら、福島の事故のようなことがもう一回起こったら、おそらく日本は経済的にも文化的にも圧倒的なダメージを蒙るに違いない。

自らの手で、国土の放射能汚染と引き替えにいくばくかの経済的豊かさを求めるという方向から、引き返すべきだ。
給料が下がってもいい。食べるものが貧しくなっても構わない。食糧自給率なんて、原発事故が次に起こったら、本当に「絵に描いた餅」になってしまうだろう。

なるほど東京電力第一原子力発電所は、冷却平衡状態をいまのところ保ってはいる。
しかし、あんな瓦礫の中で、間に合わせの綱渡りの中で、危うい必死の作業が続いているのに、まだ「実際に起こってみないと分からない」のだろうか。

原発を止めても、燃料や廃棄物、廃炉になった発電所自体と、何十年何百年単位でその放射能の処理の課題は続いていくだろう。明日全てがクリーンになる、なんてことはとうてい考えられない。

しかし、私達はもう、明確に舵を切るべき時を迎えたのではないか。
福島の人間達は、県内の原発誘致と稼働とを黙認してきた自らの不明に思いを致すと同時に、他の地域の人たちに、この現状に生きることの意味を、伝えていかねばならない。

菅首相は、もう政治的指導力を失っていて、それでも総理大臣を辞めさせられないからみんなで切歯扼腕している、と連日報道されている。支持率もどんどん落ちているとも聞く。政治の文法としてはむちゃくちゃなのだろうと思う。せっかく政権交代が実現したのに、「成熟した政治」のありようなんて絵空事になってしまった。

なんだか凄いなあ、と私も思う。

でも、政治家として支持はしないが、原子力発電所のさらなる事故が起こる前に、これを出来る限り早い段階で稼働停止し、冷温状態にしていく施策を打ってくれるなら、どんなに不人気で地位に妄執している政治家であっても、その政策を支持したいと思う。
無論、それは何も今の首相でなくても構わない。ただ、原発推進派だった政党およびその政党の出身者(国会議員のかなりの割合がその中に入る)は、胡散臭いし。

シングルイシューでOK。

エネルギー政策における原発以後のグランドデザインを描く政策を望みたい。
どなたか既存の政党ではなく、立ち上がってくれませんかね?
(他力本願ではだめかな。どうやったら政治を動かせるのか、勉強すべきだろうか?)

即、停止が不可能だとしても、この事故を再度起こす前に、原発依存からの脱却を目指そう。
性急にゼロを望むのでもなく、「何か」と国土・国民の安全安心とを秤にかけるのでもなく。

だって、たとえば福島県沖のお魚を、私達は今口にできないんだもの。
経済的な豊かさと引き替えに失っていいものと良くないものがある。
こんなことが福島以外で起こらないようにと、きちんと声を上げていく義務を私は自分自身に感じている。



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