「きれい・・・」を訪ねて ~旧鉄砲洲小学校

2009-10-23 23:49:00 | 日常&時間の旅


 鉄砲洲公園に寄り添うように美しい建物が建っていました。中央小学校&幼稚園です。
(後から調べたのですが)平成5(1993)年に、湊1丁目の鉄砲洲小学校と、そこから数百メートル離れた八丁堀3丁目の京華小学校が、現在の中央小学校に統廃合されました。新生中央小学校の新校舎には鉄砲洲小学校が選ばれましたが、その理由は、京華小学校が交通量の激しい幹線道路に面していたからだと思います。奥に入った鉄砲洲小学校は驚くほど閑静で、時代から取り残された感じが個人的nには好ましかったのですが、「再開発」という名の破壊の波が、少しずつではあるけれど、この懐かしい風景を洗い流している現実も目の当たりにしました。とくに東京駅北口がすごい・・・。
 鉄砲洲小学校の改修工事が行われている間、京華小学校を仮校舎として使用していたので、中央小学校の卒業生の中には、「昭和モダン」と称えられた二つの小学校を学び舎にするという、幸運な人々もいる筈ですね。羨ましい~! 
 旧鉄砲洲小学校と旧京華小学校は、関東大震災の復興事業の一環として計画され、昭和4(1929)年に完成しました。中央区にはこれら復興小学校が多数あり、京橋小学校のように取り壊されて高層ビルになったものもありますが、現役で頑張っている学校も思った以上にあることがわかりました。廃校になった旧京華小学校も取り壊しを免れており、平成13(2001)年、既存建物を再利用した「京華スクエア」として生まれ変わりました。



 こちらが旧京華小学校です。この写真は「京華スクエア」のHPから借りてきたものですが、実は何度も何度もこの前を通りながら、一度も中に入ったことがありませんでした。それどころか、建て壊された京橋小学校の前を(まさに統廃合に揺れていた頃です)通って通勤していましたし(新富町に会社があった)、中央区に現存しているいる復興小学校(現中央小学校、明正学校、泰明小学校、城東小学校)も、大正モダンの明石小学校も、よく前を通りかかったし、港区新橋にあった旧桜田小学校(改修されて桜田公園&港区生涯学習センターに生まれ変わる)に至っては、知っているどころかよく遊んだ場所で、それというのも親戚が新橋に住んでいたからなのですが、長年このあたりを歩いていながら、消滅してゆく景色に注意を払ってこなかったし、残った景色にも関心を寄せてきませんでした。『空気人形』からは少し外れてしまいますが、これらの小学校を今一度訪ねる必要があると、強く感じました。
(その姿を残すために、やはりリコーGRデジタルⅢが欲しい! よ~く考えると、フィィルムカメラの名機=リコーGRを持っているんだから、りバーサルフィルムを買ってくればいいだけの話?・・・)


    

 鉄砲洲公園の緑が窓ガラスへ写りこんでいました。そんなところも好ましい旧鉄砲洲小学校の玄関と、その脇にあった不思議な兎の彫像。何匹いるでしょうか?
 映画『空気人形』で、小学生の女の子が通っていた小学校はここだと思うのですが、学校が写っていたかどうかは、早くも忘却の彼方に・・・。


 鉄砲洲公園から斜め向かいに目をやると・・・第二次大戦中、奇跡的に空襲を免れてきた湊地区も、バブル期には絶好のターゲットとなり、その結果このようにいくつもの更地ができた。錆ついた立体パーキングはわずかでも利益を出すべく作られたのだろうか? だが、これら破壊の後にできた鉄骨や空間も、『空気人形』の瞳には「きれい・・・」と認識されたような気がする。


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