たまリバー50km

2011-11-30 12:20:00 | じ・でんしゃでGO~♪


 少し前の話になりますが、多摩湖を一周した次の週は、再び多摩川を走ってきました。前回は羽田まで下ったので、今回は上流に向かって走って、最終的には五日市&神戸岩あたりまで行ってみようと思いました。例によって、GH近くから河川敷のサイクリングロードに入り、少し走ると羽村取水堰に着きました。
 羽村の堰から羽田の大鳥居までの距離は53km。一部舗装されていなかったり迂回路があるけれど、多摩川と並走しながら海まで走れるようになっていて、ところどころに「たまリバー50km」と書かれた案内図が置かれています。
 ニワトリさんの住んでいる国立は、羽村の堰から下って約17kmの地点にあり、ということは海まで36kmということになりますね。前回は、大鳥居からさらに12kmほど走って湾岸道路につき当たって空しく?引き返しました。今回は堰で終わりではなく、さらに上流を目指したのですが、五日市に向かうなら羽村の堰まで走ってはいけないことをわかっていませんでした。地図が頭の中にインプットされていなかったんですね。実は、多摩川は拝島あたりで秋川と合流します(正確に言えば、秋川が多摩川に流れ込んでいる)。この地点で左折して秋川に沿って走らなければ五日市には着きません。
 羽村の堰に着いて、ようやくことの次第に気づいたニワトリさんは、予定を変更してあくまでも多摩川を遡ることにしました。しばらく走るとサイクリングロードが終わってしまい、闇雲に走ると何とか吉野街道に出たので、そこから青梅に向かいました。この時点でお昼を過ぎてしまったので奥多摩まで行くのをあきらめ、青梅鉄道公園の「のら館長」に会いに行き、帰りに「夏の扉」でコーヒーを飲んでからJR青梅線に沿って羽村へ戻り、堰から再びサイクリングロードを走って国立に戻りました。自転車を漕いでいた時間より降りていた時間の方が多い、計70kmの自転車散歩でした。

 ある程度の距離を三回走って、自分なりの自転車の楽しみ方が見えてきました。他の自転車乗りと大いに違うのは、興味を惹かれるものがあったら、すぐに停まってしまうことでした。最初の二回はそうでもなかったのですが、この日は自転車に乗っている時間よりも停めていた時間(じっとはしていないのですが・・・)の方が長かったくらいで、そうなると体力的(脚力の問題)物理的(タイレルFXの走行能力)面ではもう少し距離を伸ばせそうですが、道草タイムを考慮すると、一日100kmぐらいがちょうど良い距離かもしれません。どれくらい走れるか、試してみたい気もするのですが・・・。
 一方、しょっちゅう立ち止まっているのだから、あえて休憩のための時間を取る必要もなさそうです。走るときは、運動していることを意識しながらできる限りの負荷をかけ、ハイペースで走るよう心がけましょう。時速25キロ以上の速度を保ちながら、余裕をもって景色を眺められように脚力を強化する・・・今一番の目標かなあ?
 また、この日はダートもあったのですが、ダート走行は乗り心地が非常に悪くて不快なのに加えて、自転車を必要以上に痛める可能性もあるので、走るのをやめて自転車を押して歩きました。これもありですね。

 今朝の新聞に、「房総半島をサイクリングロードに」という記事が載っていました。小湊鉄道などと連携しながら自転車を持ってきてもらい、海沿いの道を走る自転車道を整備する計画だそうです。100km以上のコースも用意しているそうで、楽しみが広がりそうですね!


 多摩川に出て、本格的に走り出した途端、多摩モノレールの橋梁(立日橋)に差しかかりました。朝日を反射しながらモノレールがやってきたので、自転車を停めてパチリ!

 

(左)それから幾らも漕がないうちに今度はJR中央線の橋梁です。奥に奥多摩(五日市)の山並みが見えます。この山々も昔みたいに歩くつもり。
(右)左手には富士山がうっすらと、しかし雄大に浮かび上がっています。冬化粧すると、とても綺麗ですよ~♪

 

(左)拝島橋に差しかかる頃、河床がいきなり恐竜の背中みたいな形に変わりました。自然にできたものなのか?護岸工事の失敗の跡なのか?
(右)八高線の橋梁の脇に、二対の車輪が・・・終戦直後の昭和20年8月24日の朝7時40分頃、豪雨の中、八高線の多摩川鉄橋の上で上り列車と下り列車が正面衝突する大事故が発生し、濁流に流されるなど105名が亡くなる大惨事に至りました。復員兵や疎開先から戻ってきた人々が犠牲になったそうです。ようやく終戦を迎えられたのに、こんな痛ましい事故があったんですね。初めて知りました。


引き上げられた車輪の前で安全を祈願しました。スタートから一時間が経過したのにまだ10km・・・。