以前に、こんなことを思った。
http://blog.goo.ne.jp/flatbase/e/01775b1d4de7629788a7e0b113530a78
今日は午後から情緒というものを、考えています。
勝山館で「能の舞台」への渡り廊下を直す。
打合せをする。
打合せをする。
打合せをする。
そんな一日でした。
人として。
最もかどうかは分からないけれども、誰かの情を察したりする力、特にその悲しみが分かることが大切なんじゃなかろうか。
世の中は、誤解で出来ている。
先ずは自分の常識を、疑うべきだ。
誰かが決めたものなんて、関係ねぇよ。
伝えたいことを、意識しながら伝えればいい。
余計な情報はいらない。
必要なのは情緒です。
「ママ、これ、すごくおいしいね。」
「うん、おいしいね。」
「うれしいね。」
「そうだね。美味しいうちに食べなさい。」
そういう風に小さい子がママの目を見てニコニコと話してた。
ママも優しく話してた。
その後、その子は不満そうにしてた。
ママの対応は間違ってない。
でも、その子はきっと「ママのことが大好きだよ」と伝えたかったんだと思うのです。
僕はそう思った。
夏目漱石が英語教師をしていたとき。
学生が I love you を、
「我君を愛す」
と訳したそうです。
漱石は、
「日本人はそんなこと言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい。」
と言ったという逸話を思い出した。
「おいしいね。」
とか、
「ありがと。」
とか。
「お世話になっております。」
これも綺麗な言葉だけど、なんとなく言ってしまえば定型句だね。
「新しい風が吹きました。」
これも使い過ぎたのかな。
なんでもいいけど、言葉だけでは伝わらない感情は、世の中にゴマンとあるね。
そんな美しさは確実にある。
明後日は仕事も応援団も全て休み。
電話も出ないかなぁ、きっと。
そんな日なのです。
http://blog.goo.ne.jp/flatbase/e/01775b1d4de7629788a7e0b113530a78
今日は午後から情緒というものを、考えています。
勝山館で「能の舞台」への渡り廊下を直す。
打合せをする。
打合せをする。
打合せをする。
そんな一日でした。
人として。
最もかどうかは分からないけれども、誰かの情を察したりする力、特にその悲しみが分かることが大切なんじゃなかろうか。
世の中は、誤解で出来ている。
先ずは自分の常識を、疑うべきだ。
誰かが決めたものなんて、関係ねぇよ。
伝えたいことを、意識しながら伝えればいい。
余計な情報はいらない。
必要なのは情緒です。
「ママ、これ、すごくおいしいね。」
「うん、おいしいね。」
「うれしいね。」
「そうだね。美味しいうちに食べなさい。」
そういう風に小さい子がママの目を見てニコニコと話してた。
ママも優しく話してた。
その後、その子は不満そうにしてた。
ママの対応は間違ってない。
でも、その子はきっと「ママのことが大好きだよ」と伝えたかったんだと思うのです。
僕はそう思った。
夏目漱石が英語教師をしていたとき。
学生が I love you を、
「我君を愛す」
と訳したそうです。
漱石は、
「日本人はそんなこと言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい。」
と言ったという逸話を思い出した。
「おいしいね。」
とか、
「ありがと。」
とか。
「お世話になっております。」
これも綺麗な言葉だけど、なんとなく言ってしまえば定型句だね。
「新しい風が吹きました。」
これも使い過ぎたのかな。
なんでもいいけど、言葉だけでは伝わらない感情は、世の中にゴマンとあるね。
そんな美しさは確実にある。
明後日は仕事も応援団も全て休み。
電話も出ないかなぁ、きっと。
そんな日なのです。