goo blog サービス終了のお知らせ 

僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

情緒のこと

2016-10-03 22:08:26 | 日記
以前に、こんなことを思った。
http://blog.goo.ne.jp/flatbase/e/01775b1d4de7629788a7e0b113530a78

今日は午後から情緒というものを、考えています。

勝山館で「能の舞台」への渡り廊下を直す。
打合せをする。
打合せをする。
打合せをする。

そんな一日でした。

人として。
最もかどうかは分からないけれども、誰かの情を察したりする力、特にその悲しみが分かることが大切なんじゃなかろうか。

世の中は、誤解で出来ている。

先ずは自分の常識を、疑うべきだ。
誰かが決めたものなんて、関係ねぇよ。

伝えたいことを、意識しながら伝えればいい。
余計な情報はいらない。
必要なのは情緒です。

「ママ、これ、すごくおいしいね。」
「うん、おいしいね。」
「うれしいね。」
「そうだね。美味しいうちに食べなさい。」
そういう風に小さい子がママの目を見てニコニコと話してた。
ママも優しく話してた。
その後、その子は不満そうにしてた。
ママの対応は間違ってない。
でも、その子はきっと「ママのことが大好きだよ」と伝えたかったんだと思うのです。
僕はそう思った。

夏目漱石が英語教師をしていたとき。

学生が I love you を、
「我君を愛す」
と訳したそうです。
漱石は、
「日本人はそんなこと言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい。」
と言ったという逸話を思い出した。

「おいしいね。」
とか、
「ありがと。」
とか。

「お世話になっております。」
これも綺麗な言葉だけど、なんとなく言ってしまえば定型句だね。
「新しい風が吹きました。」
これも使い過ぎたのかな。

なんでもいいけど、言葉だけでは伝わらない感情は、世の中にゴマンとあるね。
そんな美しさは確実にある。

明後日は仕事も応援団も全て休み。
電話も出ないかなぁ、きっと。
そんな日なのです。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハゼとワタリガニ

2016-10-03 07:11:46 | 日記
釣れなかった。
これはね、釣れなかった方に入る。

先日の隠岐の島の釣りが楽しくて(それでも地元の方々は口々に今日は釣れないと言っていた)そのイメージで来てしまったもので、全く釣れない印象でやんす。

ですがね、楽しかったわけですよ。
「釣れた?」
「まったく。」
「あたりもない?」
「あたりは来ます。」
「あそ。」
ずっとこの会話。

ハゼとワタリガニを釣りました。
ハゼは、よく見ると綺麗なお魚さんです。


よぉ〜、ポン。


ゴソゴソ、、、。


ばぁ!


ぎゃー!
増えた!!


自分の価値観で人を責めず。
一つの失敗でその人全てをダメだと判断せず。
心だけを見て、結果などどうでもよいのだと強くあれ。
1度目から成功しようなんざ、虫がいい話でやんす。
かと言って失敗を恐れ過ぎていては、なにもしないことが正解となる。
まして、失敗しないことが成功と勘違いしてしまうと、プライドだけ高い人と変わらないじゃないか。
それは断じて違う。
運転をせずにゴールド免許なんだぞと威張るのはどこか変だ。
失敗がないことではなく、失敗を改めることの方が大切。
そもそも、失敗なんてない。
そこには、経験のみが残る。

挑戦した先にしか、成功はない。
挑戦もせずに結果が出たのであれば、それはマグレ当たり。
本人が一番よく分かっているはずだがね。

つまり。
その失敗は、副産物。

挑戦した結果は、成功だけとは限らないといういい事例じゃないか。

失敗した人間を笑える人などいない。
かつて挑戦したものは、その苦労を知ってるから。
挑戦していないものに、笑う資格はないから。

ほら。
いない。

いたら、それは卑怯者だ。
もしくは、君を嫌っている人。

嫌われている自分が悪い。
誰も悪くない。

ムカつくけどね。

そんな感じで、いいかしら?

今日から月曜日!
頑張ろー!!
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする