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僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

わらしべ舎

2016-10-15 21:46:09 | 日記
今日は社会福祉法人わらしべ舎さんの応援でした。
こちらは自立支援の施設です。
わらしべ祭という、年に一度のお祭りでやんす。


おいちゃんも、足の火傷がなんとかかんとか。
ご家族での参加です。
でも、まだ激しくは動けません。
大きくなるね、人のうちの子は。


掃部関団員も、今日は家族みんなで来ていました。


下の子!おチビちゃん!


なので、最初のぶっ込みの特攻は掃部関団員に任せました。
お父さんが出て来た瞬間、彼の愛娘が、
「わぁ〜!」
と、目を輝かせて手を合わせていました。
なんかいいなぁと思いながら見ていました。
僕のところからは、結構色々見えております。
パパ、かっこよかったね。




老師もおります。
気を溜めてるんでしょう、きっと。
この後、出すんでしょうね。
ナントカ波を。


「キェェエエエエェェェエ!!」
やっぱりね。


凄まじく天気のいい日でした。


僕は、もう、モテモテでした。
女性に囲まれてキャーキャーです。
ツーショットなどもお願いされちゃって。
いやぁ、本当に困っちゃったよ。

嘘だって?

はははは。

本当ですよ。

ほら。


ほら。


ご年配!!

さ。
彼等は応援団が大好きになったそうです。
どうもありがとう。
今度、カレー食べに来ますからね!


「おおす!元気出ました!いやなことばかりだけど、元気出ました!」
「押忍」


太鼓も大変よ。


ほんと大変。


僕がこんな感じの頃。


お前ら、楽しそうだなぁオイ!


サダポンと次の手を考えております。
僕らは、僕を使ってドンドン企画をしています。


見事な青空でござった。


そして、今朝の河北新報に載っておりました。
ありがとうございます。
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秋晴れの空に。

2016-10-15 12:40:59 | 日記
「はらこめし。食べようよ。」

僕は、結構誘われない。
案外、会合に誘われないことが多い。
「なんで俺を呼ばねぇんだ?!」
そんなことを言ったら、
「みんな、君が忙しいと思ってんのよ。」
と。
誘われりゃ行くのに。
そんなわけで、はらこ飯を食べに行ってきました。
美織ちゃん、大きくなってきましたね。
いやいやしても、ニコニコしても、何しててもかわいいね。


茶碗とはいえ、三杯も食べた。
米を。

食べてるそばからカラダがポカポカする。
炭水化物はエネルギーなのだと実感する。
応援は人のエネルギーだと信じてる。
応援は、いつか世の中を善くしていくと思っている。

世話になった人が、亡くなったと聞かされた。

先日、エールをしたばかり。
つい2日前に頑張れとエールをしたばかりだった。

生きている僕たちは。
生きているからこそ、やらなくちゃならないことがある。
無駄にしてはいけないものがあります。

何にも代え難い、時間というものをもっと大切に。
何にも代え難い命を大切にしていかなくちゃ。

世の中は、どっちだっていいことばかり。
大した悩みではないことが多い。

自殺した人に対して、死ぬぐらいなら会社を辞めるべきだという人がいる。
後輩がそのことに対して記事を書いていた。
これは、そうかもしれないけれど間違いだと。
僕もそのように思う。
すでに冷静ではないのだ。
何を言っても、まっすぐ届かない。
通常の判断が出来なくなってしまう状態なのだから。

だから、普段から言っておくことが大切な気がするのです。

生きたくて生きたくてどうしようもない人がいる。
それなのに、簡単に諦めてはいけないよ。
逃げ出したって構わないけど、生きることからだけは逃げ出してはいけない。
と心の底まで沁み入るように話しておくべきなのだと思うのだ。

僕が高校二年の時に、隣の席の友達が亡くなった。
亡くなったのは夜。
その日の昼に、僕らは学校をサボって電車に乗り、山形まで遊びに行った。
何をするんでもない。
ただ、山寺に遊びに行った。
雪の降る日だった。
「あいつも誘おう。」
彼のことを他の皆に言った。
「え?なんで?」
「なんでだろう?なんとなく。」
「来ないんじゃない?授業始まるし、早く行こうぜ。」
そんな会話を覚えている。
コウジロウやリョウスケ、キンス。
皆が意地悪で誘わなかったのではない。
なんとなくの僕の勘に、皆も、そして僕自身も自信を持てなかっただけ。
そして。
未だに大きな後悔がある。
翌日、机に花が置いてあった。
テレビで見るようなその光景を受け入れられなかった。
(誘えばよかったのかもしれない)という言葉を皆が飲み込んで、その話は二度としなかった。
僕はよく、ノートを借りてた。
「あのさ、明日、ノート貸してくれない?」
そんな約束をしておけば、何かを上塗り出来たのだろうか?
そんなことをずっと考えていた時期があった。

卒業式の後に、彼の家に行った。
一緒に卒業したかったと伝えに。

彼には弟がいて、サーフィンに連れて行ったり、ライブを見に来させたり、バイト先でヒョンなタイミングで会ったりした。
弟のような気持ちで見ていた。
僕らは僕らなりに、生きていればこその楽しみを噛みしめるように過ごそうとしたのかもしれない。

地震の時。
誰しもが冷静ではいられなかった。
苛立ち、慌てた。
どうしていいか分からないのだ。
でも、冷静だった頃に聞いた話や、冷静だった頃に培った考え方がいつでも底にあった。
よく聞いていた歌の歌詞などもそうだ。
「人にやさしく」
「大丈夫」
「青空」
「ガッツだぜ」
ブルーハーツとウルフルズが多いな。

実はね。
あんまり当時のことは覚えてない。
だけど、見上げた空はいつでも青かったことや、辛いなぁと思ってからが勝負だという感覚だけは忘れられない。
「人のために、世の光となる。」
そんな言葉が僕の支えだった。
言い聞かされていた言葉だった。

それが有効であるならば、誰も彼もが敵に見えてしまう前に、
「俺は君の味方なのだ」
と伝えておくのがいいかもしれない。
逃げてもいいのだと伝えておく。
必ず、生きるという道を選択するのだと話しておく。
一番大切なことは命なのだと話す。
死ぬこと以外、どんなことでもかすり傷なのだと知らせる。
生きるために逃げ出す強さって、絶対にある。
大切なことはプライドなんかじゃない。
それほど、誰も自分のことなんて見てないから。
やりがいでもない。
夢でもない。
生きること。
まずは命。
そこに間違いはない。

頑張っている人が倒れたとしても、
「もう一度立ち上がり、頑張れ。」
と叱咤するのが応援団。
矛盾しているように思うけどちょいと違う。
諦めきれない想いがあるのなら、立ち上がり頑張るしかない。

その諦めきれない想いの行方だけは間違ってはならない。

それが命なのだ。

命を捨ててまで取り組むことなんて、あまりないはず。
とにかくゲラウェイ。
逃げ出したって構わない。
cleverではなく、smartというニュアンスの頭の良さを持つべきだ。

不慮の事故、闘病、自殺。
いずれにおいても、遺された僕らには後悔しかない。
でも、それはどんなに手を伸ばしても届かぬ夢。

今日という大切な日々が幸せであればと思う。
幸福と贅沢は別物。

本当のかっこよさとか潔さって難しいけれど、全てに対して素直であるという態度が望まれているように思います。

蔓延した、変な空気を吹き飛ばしたい。

毎日が誰かにとって喜びの日であると同時に、毎日が誰かにとって悲しみの日であると知り生きる。

秋晴れです。
今日は秋晴れです。

お世話になったその人に。
その節はありがとうございましたと伝えたい。
コメント (2)
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