ナウマンゾウの絶滅原因を探る(16)
絶滅したナウマンゾウのはなし(第三話)
ナウマンゾウの過剰狩猟はあったか(その2)
後期旧石器時代の後半期、日本列島の人口総数は歴史人口学の専門家の推計によりますと約3000人ということです。しかもその3000人が一部の地域に集中していたのではなく、日本列島にほぼ均一に分布していたというのですから、旧石器人が例えば野尻湖の湖岸周辺に一時的にせよキャンプサイトを構えていたとしても、そんなに大勢の人数で狩猟していたとは考えられません。
野生ゾウの群れはファミリーで成り立っていたでしょうから、ハンターに対して身内を守る本能が働き、リーダーゾウに逆襲されて、ハンターのリスクも高かったと考えられます。
博物館を見学しますと、ナウマンゾウを多くのハンターがとり囲み、鋭い尖頭器の付いた投槍、ナイフ形石器、そして石斧などで仕留め、それをスクレパー(scraper)で生皮を剥がす様子が描かれた絵を見かけますが、あくまでも現代人が描いた想像画に過ぎないと思います。
1頭倒すのにどれだけ多くの失敗とリスクを負ったか考えますと、過剰狩猟によるナウマンゾウ絶滅説は簡単には受け入れられないように思います。それに古代人の狩人とはいえ、本能的に子連れの母ゾウを射止めることはなかったのではないかと考えられるのです。
野尻湖近辺の狩場ですと、狩猟具に火を使ってナウマンゾウのような大型獣を湖に追い込んで猟をすることもあったのではないか、と思います。ただゾウは泳ぎが上手いと言われていますから、決して容易な猟とは言えないようにも思います。深みに追い込んでしまいますと、返って「大欲は無欲に似たり」、といいますから失敗に終わることもあったのではないかとも推察できます。湖底から現在も多くのゾウやヤベオオツノジカなどの化石が発見されるのもこうした狩猟が行われていたからかもしれません。
後期更新世の末近く、2万年前くらいになりますと、日本列島の一部に狩猟に使われたと考えられる落とし穴も見つかっています。
たとえば、箱根旧街道松並木の両側に広がる初音ヶ原遺跡です。ここからは、27,000年前の土抗(どこう、地に掘った穴)が14基も発見されています。三島市の市史などによりますと、総延長75メートルにわたって、弧状に連続しているのは、全国的にも例がなく、その用途も不明ですが、一方で、明らかに野生獣の捕獲に使われたと推定される「落し穴」が出土しています。
ナウマンゾウのような超大型獣となりますと捕獲と言うより、闘いのような狩猟だったと考えられますから、人口、チームワーク、熟練、狩猟用具など条件が揃うことが必要だったと思います。死闘を繰り広げた猟であったことが推察できます。