素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

素人の考古学:抄録・人の移動、その先史を考える(その13)中本博皓

2015年07月25日 22時55分14秒 | 人類の移動と移住
抄録・人の移動、その先史を考える(その13)  




〔以下の記事は、小生がこれまで扱ってきた「人の移動史」(日本人の出移民小史)から、ふとしたことで、人の移動、その先史 を専門家の孫引き・後追いで考え るようになり、ノートを作成する気になったもので、老化予防のために「80過ぎての手習い」といったものです。〕  


(2)日本列島への人の移動・移住、その先史―日本列島への渡来ルート―


 3) 埴原和郎の日本人の起源二重構造説、その形成史―「人種」と「民族」―
日本人がどこから来たのか、その形成史を移動及び移住史の観点から探ってみると、これまでの長い間には、いろいろな見解が提起されてきた。本稿では埴原(はにはら)和郎(1927-2004:東大名誉教授/国際日本文化研究センター名誉教授)の日本人の起源二重構造説(二重構造モデル)を取り上げておこうと思う。日本人のルーツを考えるに当たって埴原は、日本人集団の二重構造モデルは、これまで議論されてきた諸説を検討し、当時の研究成果を取り込んで統計的に推察した一つの仮設であるとしている。

                                                         埴原和郎 (1927-2004)

                                 日本人の起源二重構造モデルの構築など

                            大きな業績がある。

「埴原和郎の本」の画像検索結果


また、日本人のルーツ問題を考えるに際して、これまで言及されてきた日本人起源論で多く見過ごされてきた点が日本人に見られる地理的な違い、すなわち地域性の問題であると指摘している。埴原によると、「骨や生体に関する地域性については、すでに1920年代から多くの報告があったにもかかわらず、これらが日本人の起源や形成史の研究に取り上げられることはほとんどなかった」、とはっきり指摘して日本人の地域性を重要視する必要性を説いているのである。

二重構造モデルに関し、埴原はそのモデルの要点の第一に、現代日本人祖先集団が東南アジア系で、それが原モンゴロイドで、旧石器時代から日本列島に移住したホモ・サピエンスで、それが縄文人を生じせしめたのだと指摘している。その第二点は、弥生時代から8世紀ごろにかけて北アジア系の集団が日本列島に渡来した。これを機に大陸文化が日本にもたらされるようになった。また、従来の東南アジア系(縄文系)集団に対して遺伝的また文化的影響も与えることになった、と埴原は述べている。

第三点として、埴原は東南系集団と北アジア系集団二つの集団が日本列島内において徐々にではあるが混血の機会を高めるようになった。このことは極めて重要で、いまも混血過程は継続しており、その意味において日本人は純血とは言えない。ヘテロゼェネティ(heterogeneity)であり、とくに弥生時代以降において、埴原の説く日本人集団の二重構造性が強く示唆されるのである。

以上の諸点に言及している文献が、岩波講座『日本通史第1巻◇日本列島と人類社会』(岩波書店・1993年、85から114頁「日本人の形成」)である。埴原は、同書の中で日本人起源論を考えるに当たって, 見逃してはならない重要な問題があるが、見過ごされてきた問題があったと指摘している。すなわち 、それは「日本人にみられる地理的差異、つまり地域性だった。骨や生体に関する地域性については、すでに1920年代から多くの報告があったにもかかわらず、これらが日本人の起源や形成史の研究に取り上げられることはほとんどなかった。恐らく地域性を重要視した唯一の研究は、小浜基次(1960)の生体計測値に基づく日本人論であったと思われる。

しかし、小浜はこの問題をもっぱら現代人の生体計測値について論じただけで、縄文時代いらい生じている骨の小進化を考慮しようとはしなかった」(埴原『前掲書』、102頁。)と、厳しい論評を下した。それに対して、埴原自身としては「日本人の地域性を重要視」(埴原『前掲書』、102-103頁。)したことに言及しているのである。さらに、これまでにも日本人について「単一民族」説が唱えられているのだが、この点に関して埴原は必ずしもそうではないという。

それは、東南アジア系と北東アジア系の集団が混在し、しかもこれら両集団の混血が現在も見られることを考えれば、「日本人は『混血民族』というべき」(埴原『前掲書』、104頁。)ではないか、と指摘している。また、埴原は「日本人形成史にかかわる重要な問題点は、縄文系・渡来系集団の共存を想定することによって無理なく説明できる」のだとも論じている。

加えて,埴原は「人種の起源」(『日本人新起源論』・角川選書・1990年、16~49頁)において、「人種」とは生物学的な概念であること、そのもとになるのは「人間の遺伝子」であること、分子生物学の発展でいろいろ解明されてきたが、人種とは生物学的尺度で「人」を「白色人種」・「黒色人種」、そして「黄色人種」のように三つに分けるのが「人種」の分け方なのだ説いている。

では「民族」とは何か、それは文化的な概念であるという。「何らかの文化現象を尺度として人を分ける場合にこの言葉を使う」のだと埴原は説く。それゆえ、「人種」と「民族」とは厳密に使い分けなくてはならいとして、両者の概念に正確な定義を与えている。

しかし最近では新しい研究成果が次々に発表されるようになった。とくに分子人類学分野の進歩で、ミトコンドリアDNA、Y染色体(Y染色体とは、人間の中にある、23種類の染色体のうち、男性だけが持つ染色体)のDNA解析によるデータの蓄積で多様な分析がなされるようになったことが日本人形成史研究に新たな切り口を与えることになったのである。

以下、次回につづく。