素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(17)         

2017年12月26日 06時25分51秒 | 島嶼諸国

   再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(17)         
  
  第2章 フィジーに移住した日本人(4)  

 

 (2)日本人移民の契約内容と実態

  1)印度人年季契約のケース
  先ず、はじめに日本人移民よりも早くフィジーに移住させたインド人の移民契約の内容について簡単に触れてみよう。

  フィジー諸島への日本人契約移民の送出に当たっては、移民保護規則に則り移民取扱人たる日本吉佐移民会社が周旋人として、移民を送出する各県の移民世話人(代理人)の要望をバーンズ・フィリプ社代理人トマース・H・ゼームス氏と協議し、その結果を各県の世話人(広島県、山口県、和歌山県など)に伝え、交渉し個々の移民との契約の段階まで面倒を見ていた。

  インド人年季契約移民の場合は、英国の直轄地であり、初代総督アーサー・ゴードンの植民政策としてインド人の入移民策が始まったためフィジー政庁の窓口として行われていた。従って日本人移民のケースとは大きな違いがあったのである。

  『フヰヂ島移民関係書類 第一回』によると、インド人年季契約移民に関する取り扱いについてバーンズ・フィリプ社代理人トマース・H・ゼームス氏は、吉佐移民会社に『覚書』を送っていた。その一部分を引用して見よう。

  「先ヅ耕主ヨリ己レガ要スル若干ノ労働者ヲ政庁ニ向テ出頭シ之ト同時ニ其人数ニ応シ一定ノ金高ヲ政庁ニ差出シ置クナリ此金高ハ毎年多少ノ変動アリト雖モ大凡十八磅(即百廿六円)ナリ而シテコノ金高ハ印度ニ於ケル募集入費一切「フヰジー」迄ノ運送費、各島嶼ヘ分配スル費用及ヒ印度ヘノ復航費ニ之ヲ充ツルモノニシテ之レガ為メ耕主ハ実際其労働者ノ我耕区ニ在ル間ヲ除ク外更ニ何等ノ責ヲモ有セズ総テノ責ハ全ク「フヰジー」政庁ニ属スル次第ナリ

   一役夫ガ得ベキ最低ノ賃金ハ一日ニ付一志ナリ詳ニ言ヘバ就業ノ日一日ニ付一志ニシテ日曜日休日病気ノ日共ニ日和悪シキ日ニハ賃金ヲ得ル能ハサルナリ 食物ハ契約ノ日ヨリ初メテ六ヶ月間ハ耕主ヨリ之ヲ給スルト雖トモ其後ハ之ヲ給セズ食物ノ費ハ一日十五仙ナリ 衣服ハ之ヲ給セズ

   一見シタル所ニテハ此条件ハ布哇、「クヰンスランド」及ビ「ニューカレドニヤ」ニ比シテ移民ノ利益少ナキガ如クナレ共熟「フヰジー」ノ状態ヲ検スルトキハ其他ノ各地ト相異ルコト左迄大ナラザルヲ見ルベシ

  「フヰジー」ニ於テハ役業ニ二ツノ方法アリ
  第壱、時間働キ、即チ一日九時間ノ働ニテ其賃金一人一志
  第弐、受負働キ(原文通り:下線は筆者による)、即チ経験上ヨリ参酌シテ健全ナル印度役夫ガ六時間ニ為スコトを得ル丈ノ役業を定メテ之ヲナサシムルコトヲ云ウ而シテ其毎一区ノ役業ニ対スル支払ハ一志ナリ」と、印度人年季契約移民の待遇について記してある。

  フィジーのさとうきび耕区においては労働者にゆとりをもった役務を課してあることから、クィーンズランドやニューカレドニアの移民と比較しても不利にはならいことが強調されている。

  以上のことから、もし日本人移民が、第二の請け負い方式を選択した場合、一日の労働時間が10時間とあっても、10時間で「一日に二区」こなせれば、収入は二志が支払われるので、日本人移民が収入の面で不利になることはない、と『覚書』には次のように説明されている。

  すなわち、「通常日本労働者ガ十時間内ニ右受負働ノ二区ヲ為シ得ベキコトノ容易ナルハ知レ切ツタル所ナリ、左レバ一日ニ得ル所ハ一人二志トナルベシ今仮リニ毎月、日曜日、日和悪キ日、共ニ病気ノ日等ニ八日間ヲ見込バ残ハ二十三日ノ役業日ニシテ出精ノ役夫ハ即チ四拾六志此金拾六円七十五銭ヲ得ベシ是レ布哇ニハ優ル所アリ「クヰンスランド」ニハ同等ナリ」

  これら『覚書』を一蔽してもフィジー諸島におけるさとうきび栽培の労働者として日本人移民の受け入れについて、バーンズ・フィリプ社代理人トマース・H・ゼームス氏が積極的であったことが推察できる。

  一方、吉佐移民会社は、1892(明治25)年1月仏領ニューカレドニアのニッケル鉱山労働者として送り出した日本人移民が、現地チヨ港から上陸して数日後、作業条件等で労働拒否などの騒動を起こしており、フィジー諸島へ日本人移民の送出にかなりナーバスになっていたことは理解できる。

  そのため、契約条件には移民を出す各県世話人(移民代理人)の意向を重視し、雇主代理人(トマース・H・ゼームス氏)との交渉が行われたのである。