素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

絶滅した日本列島のゾウのはなし(29)

2021年03月16日 18時20分45秒 | 絶滅した日本列島のゾウたち
   絶滅した日本列島のゾウのはなし(29)

  
  8.八王子市産の太古のゾウは新種だった(その3)

 (3)本節(8)を終わるに当たって
 ハチオウジゾウが発見される経緯やハチオウジゾウとはどんなゾウだったかなど、そのほんの入り口を触ってみたのですが、大雑把な言い方をしますと、ハチオウジゾウはミエゾウ(シンシュウゾウ)の弟分のような存在で、またアケボノゾウに対しては兄貴分のような立場なわけです。

 ミエゾウが生息していた時代とミエゾウが日本列島に渡って来て、環境に溶け込んでいく進化の過程、いわゆる島嶼化する過程で生まれたのがハチオウジゾウだったと言うことでした。

 したがって、ミエゾウは言い方を変えれば、ハチオウジゾウのご先祖さまなわけです。ですから、ハチオウジゾウは、次の時代に出てくるアケボノゾウのようには矮小化しておらず、アケボノゾウよりかなり大きな体型をしていたようです。

 また、ミエゾウは、その産地が今で言えば、東京以南に限られていたように思います。しかし、東京都あきる野市(五日市:いつかいち)網代(あじろ)のごみ処理建設現場からは1978(昭和53)年、300万年前のミエゾウの化石が出土しています。一方、アケボノゾウの化石は、関東甲信以北、さらには加賀の方からも発見されていますし、さらに関西各地からも出土しています。アケボノゾウの化石が見つかる範囲は広いことが分かります。

 本節(8)を終わるに当たり、ここでは、埼玉の狭山を棲みかとしていたアケボノゾウに少しばかり触れておきましょう。

 埼玉のアケボノゾウの化石骨は、入間川流域の6カ所で体骨の化石が、また2カ所で足跡化石が発掘されています。とくに狭山市笹井では、1975(昭和50)年に大臼歯や肩甲骨が見つかって半世紀にもなります。

 また、1985(昭和60)年には肋骨、大腿骨、肩甲骨などの化石が、ほぼ1頭分相当の化石骨58点が発掘されました。アケボノゾウのほぼ全身の骨格化石が発掘されたのは、わが国では狭山市笹井産が初めてだと言われています。

 狭山市の「埼玉県指定文化財指定(平成15年3月18日)」に伴う説明記事に依拠しますと、1985年(昭和60年)に笹井ダム上流の入間川左岸の崖から見つかったアケボノゾウの骨格化石は、凡そ170万年前のものと推測されているそうです。

 ところで、それらの骨格化石は、ほぼ完全な形で発掘されました。文化財に指定された骨格化石は全部で74点あり、そのうち3点は狭山市立博物館に保蔵されています。残りの71点は埼玉県立自然の博物館が所蔵、管理しています。

 アケボノゾウは、今から250万年前~120万年前ないし250万年前~60万年前とも言いますが、日本列島に生息していたステゴドン科のゾウの仲間です。体高は1.5メートルから1.8メートル、体重は2トンから3トンと推定され、アジア(インド)ゾウよりも大分小柄だったと推測されています。

 特徴としては、体の割には長い切歯(せっし:牙)をもっていたと考えられています。その類縁の先祖の生息地は東アジア、インドと推定されていますが、日本が大陸と地続きになっていた時期に、日本へ渡って来た中国のコウガゾウの一種、日本ではミエゾウと呼ばれていますが、列島の環境に適応できるように進化したゾウだと考えらえています。その意味で、アケボノゾウは日本列島固有のゾウと考えられているのです。

 その意味ではハチオウジゾウもアケボノゾウとともに、ステゴドン科の八王子市北浅川産の日本固有のゾウの仲間と言えるのでしょう。英国の古生物学会誌「パレオントロジー」に、発見者の相場先生がお書きになった論文のコピーを入手出来ましたので、辞書と首ッぴきで読んでいます。  

 ここらで、ハチオウジゾウにまつわる話は終わりにして、次節からは少し角度を変えて、絶滅したゾウの仲間のはなしについて、絶滅原因なども併せて考察してみることにします。

 資料ファイルの整理などもありますので、ここらで少しばかり、充電のため更新の期間を置くことにします。