素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

素人の考古学:抄録・人の移動、その先史を考える(9)中本博皓

2015年06月24日 11時35分23秒 | 人類の移動と移住

 

抄録・人の移動、その先史を考える(その9)



 〔以下の記事は、小生がこれまで扱ってきた「人の移動史」(日本人の出移民小史)から、ふとしたことで、人の移動、その先史 を専門家の孫引き・後追いで考え るようになり、ノートを作成する気になったもので、老化予防のために「80過ぎての手習い」といったものです。〕    



  (1)人は移動する生き物

8)アフリカを出た新人ホモ・サピエンスの進化-後期の新人たちの拡散と移動-②

大塚柳太郎氏は、『モンゴロイドの地球〔2〕南太平洋との出会い』(東京大学出版会、1995年)第3章「オセアニアへの移住の第一幕」の中で、オーストラリア大陸に新人が移住してきたことも、様々な遺跡の発掘から分っている。たとえば、オーストラリア南東部には4万年乃至3万年前の人骨がマンゴー湖遺跡から発掘されている。すでに、1974年にはメルボルン大のJ.ボウラー(James Bowler)教授等地質学者、考古学者の遺跡調査も行われた。

その遺跡からは、人骨化石や多くの石器も発掘されているのである。発掘された人骨は、ほぼ完全な形での成人男性のもので、2万8,000~3万年前の人骨と推測されている。また、その人骨よりも相当古い時代、3万5,000年前の石器、さらには炉跡までもが発見されており、火を使っていた人類の生活色の強い遺跡も発見されているのである。

その人骨には「赤みをおびた黄土がふりかけられていたこと」(大塚柳太郎『前掲書』、47頁)から、オーストラリア大陸に移住してきた人類(ホモ・サピエンス)は、すでに葬儀、火葬による埋葬の文化、宗教的な観念を有していたホモ・サピエンスではないかとも考えらるのである。

彼らは明らかに現生人ホモ・サピエンスであり、初期新人、ホモ・サピエンスにはなかった多様な文化を有していたと考えられることから、このオーストラリア、ニューギニア、そしてソロモン諸島等を含むニアー・オセアニアの舞台に登場した新人類を本稿では後期新人ホモ・サピエンスと見なし、われわれ現生人(現存している人間)は新人であることを否定することはできないであろうから、「新人」は、初めの方(初期)も後の方も(後期)も皆「現生人(類)」すなわち、われわれホモ・サピエンスも同じ新人となる。しかし、主観的にはいささか疑問と言うか、違和感も生じるのである。

万年単位で考察する考古学では同じ「新人」と考えられているが、本稿に限っては学術的に何ら裏付けがあるわけではないが、何というか感情論で「ど素人の考古学」では、「新人初期」、「新人後期」、そして「新人CE(COMMON ERA:紀元後)」としておきたいのである。

前にも述べたことだが、われわれは5万年前から6万年前といとも簡単に言うが、その頃の地球は氷河時代だった。考古学者だって誰も見たわけではないだろうが、氷河時代の氷河は相当大規模だったらしい。そのため北極や南極大陸だけでなく、陸地でも高い山岳地では氷で覆われていた。それ故、大規模氷河によって海面は相当低下していた。オセアニアの周辺では、相当海面が低くなっていたと推測されている。

世界大百科事典第二版ではオセアニアについて次のように解説している。すなわち、「アジア大陸と南・北アメリカ大陸の属島を除いた,太平洋諸島とオーストラリア大陸(属島を含む)とを合わせた範囲をオセアニア(大洋州)と呼ぶ。太平洋の大半を含むのでその範囲は広大であるが,陸地総面積は900万km2にたりず,しかもその86%をオーストラリア大陸だけで占めている。これに島々のうちで抜群に大きなニューギニアとニュージーランドとを加えると98%となる。残りの数千を数える島々の総面積はわずか18万km2にすぎない」、と。

海面低下で、オセアニアは、現在とは大きく異なる形状を成していた。それは、現在の東南アジア島嶼部にあたる部分はスンダ大陸と呼ばれていたし、現在のニューギニア島、オーストラリア大陸、タスマニア島も一つの陸塊を成していた」(大塚柳太郎『前掲書』49頁参照。)からである。

ところで一説では、7万,5000万年前にはホモ・サピエンスは原人と同じルートで現在の東南アジアのスンダランドにも移住したという。それから5万年後には、スンダランドからオーストラリア、中央アジア、そしてヨーロッパ等各地に広く拡散し、それぞれの地に移住するようになったと推測されている。

現代社会に生きているわれわれ人類はたかだか2000の歴史しか経ていないのに、考古学の世界では「5万年前」とか万年単位で、まじめな議論が行われている考古学や古人類学の世界にいささかの違和感がないではないが、本稿も多くのそうした研究文献に依拠しながら自分なりに整理できるのも楽しい。

それはともかくとして、オーストラリア、中央アジア、そしてヨーロッパ等に拡散したという新人ホモ・サピエンスも5万年前から2万5000年前には、ベーリング海峡を渡りって新たな大陸、南アメリカ大陸までも移動したことが分っている。それの年代が考古学や古人類学の常識では1万5000年前の出来事とされており、その頃ほぼ全世界にホモ・サピエンスは拡散しているのである。

  (つづく)