素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

始祖鳥についての改訂増補版(7)

2024年04月28日 11時41分18秒 | 絶滅と進化
始祖鳥は「鳥類」なのか、それとも「恐竜」なのか(7)
          

第2章 始祖鳥は「鳥綱」に分類してもいいのだろうか?
-その特徴を考える-

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最近の研究を参考にしますと、始祖鳥は現生の鳥類のように大空を飛翔することは不可能であっても、短い距離を羽ばたいて飛ぶことができた可能性は十分あったであろうとする見方が多いようです。子ども向け科学書の編集で知られるデニス・シャッツ(Dennis Schatz)の著作『恐竜のからだ』(長谷川善和監訳・伊藤恵夫訳、講談社)などを参照しますと、始祖鳥のなど最古の鳥類の飛行の謎に触れています。始祖鳥が本当に飛べたかどうかは、多くの研究者の大きな関心の的になっています。

最新の研究では、「シンクロトロン(Synchrotron)というX線をベースにした特殊な顕微鏡を使って、前脚(羽)の骨(上腕骨)の内部構造を丹念に調査し、鳥の骨の内部構造は、軽量化を図るため独特の空洞になったスペースをそなえている」など、始祖鳥の骨の空洞化の具合を数値化し、現生の鳥との比較分析を行い、始祖鳥が羽根を上下に激しく羽ばたけたかどうか、鳥としての飛翔性の能力の優劣を確かめ、その成果も発表されるに及んでいるとも言われています。
始祖鳥の祖先に関しては謎深い問題も多く、研究者の議論は未だに続いていて、鳥類に近い小形恐竜デイノニコサウルス類(学名:Deinonychosauria)と近縁だったのではないかという見方もあります。

最近、始祖鳥の特徴として、既に上述した特徴の他に、「恥骨の形の違い」に求める手法が重視されています。それに依りますと、始祖鳥の恥骨は現生鳥類と肉食恐竜のものとの中間型と見られています。一方で、始祖鳥には鎖骨と羽毛があることから、鳥類に属すると見做す説も根強いのです。しかし研究者の中には、始祖鳥を小形の肉食恐竜を祖先とした爬虫(はちゅう)綱に属すると考えている研究者もかなり存在します。
また、テタヌラ類(学名: Tetanurae 、意味は「堅く曲がりにくい尻尾」)など、分岐分類学的には堅尾類、また鳥嘴類(ちょうしるい、「鳥のくちばし」と言う意味の学名:Averostra)あるいは鳥吻類(ちょうふんるい、学名 は鳥嘴類と同じ:Averostra)に属する新獣脚類であるとする研究者もいます。その一人が米国の古生物学者ロバート・トマース・バッカー(Robert Thomas Bakker、1945-)で、1986年彼によって命名された分類群が新獣脚類です。わが国でも『恐竜異説(瀬戸口烈司訳、平凡社刊)』が知られています。

ロバート・T・バッカーが命名した分類群は、中生代ジュラ紀中期から後期に、現在の北米大陸やアフリカ大陸に生息していたと推測されている比較的進化した獣脚類で、それらにはケラトサウルス類(Ceratosaurus)やテタヌラ類も含めた恐竜の一群と見られています。
また堅尾類には、コエルロサウルス類(学名:Coelurosauria)、マニラプトル類(学名:Maniraptora)も含まれます。とくに原鳥類のクレードの一つとされているデイノニコサウルス類(学名: Deinonychosauria)と近縁であるとも言われています。後肢には鎌状の鉤爪(かぎづめ)「シックルクロウ」(大きな鋭い鉤爪)を有していることがデイノニコサウルス類の特徴であると考えられています。

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次に、始祖鳥(Archaeopteryx)と現生鳥類の祖先について少しばかり触れて起きます。われわれが通常「鳥類」と言うとき、それは「現生鳥類」を指しているものと考えていいと思います。「現生鳥類」( Modern birds)とは、くちばし を持つ 卵生 の脊椎動物であり、一般的には、体の表全体が羽毛で覆われた 恒温動物 で、 歯はなく、 前肢 が翼になって、 顕著に飛翔が可能であること、そして二足歩行をすることです。では始祖鳥はと言いますと、それは「原鳥類」(Paraves)のことで、「羽盗類」(うとうるい:Pennaraptora)に属する恐竜の一群を指しています。ここでは余り深入りせずに羽盗類とだけ記しておきます。

 さて、始祖鳥についてですが、1861年マイヤー(Christian Erich Hermann von Meyer :1801-1869)によって、Archaeopteryx(アーケオプテリクス、和名で「始祖鳥」)として記載される基になった標本は、"Single Feather"と呼ばれる1枚の羽の化石でした。そして1861年、この一枚の羽の化石が マイヤーによって学術的に記載されました。この羽の化石標本は、その前年(1860年)にドイツのバイエルン、アルトミュール地方の石版岩(粘板岩)採掘場から発見されたもので、マイヤーによってArchaeopteryx lithographicaと、学名が名付けられました。それは1861年の、最初のアーケオプテリクス(始祖鳥)の骨格化石標本(『ロンドン標本、London specimen)』の発見につながったのです。しかし、前述の"Single Feather"の化石を始祖鳥の最初の標本として扱っている例もあります。本稿では、『ロンドン標本(London specimen)を始祖鳥の最初の標本として数えています。

 ここで一寸横道にそれますが、20年ほど昔(2001)に邦訳された『恐竜の進化と絶滅』(瀬戸口美恵子+瀬戸口烈司訳、青土社)に触れてみたいと思います。同書第13章「獣脚亜目、鳥類の起源(417-461)」の424頁「アーケオプテリクス・リソグラフィカと鳥類の祖先」において、同書の著者等(ディヴィッドE.ファストフスキー+ディヴィッドB.ワイシャンベル)は、1860年にドイツ南部バヴァリアのゾルンホーフェンの町近くに位置する炭化した泥の細かい粒子の堆積物の中から1本の鳥の羽根が発見されたが、それがアーケオプテリクスに関する「話」の始まりであるとしています。
 
 アーケオプテリクスの二番目の標本は、ある医者の仲介者の手に渡り、それを入手した医者は、入札によって最高入札者にその標本を売り渡し、膨大な利益を得たと言われています。医者は始祖鳥の化石が産出するゾルンホーフェンの町の医者で、採石夫たちからしばしば治療費の代わりに化石標本を受け入れていたとも言われています。
ところで、その標本は最初の「骨付き標本」であり、リチャード・オーウェンに売られたそうです。英国の古生物学者であり、かつ比較解剖学者リチャード・オーウェン(Sir Richard Owen:1804-1892)は、大英[自然史]博物館の管財人でもあったようです。そのため彼は使節団を送って、その標本を入手したというのです。それゆえドイツで産出されたアーケオプテリクス(始祖鳥)の化石は、以上のような経緯で、いまでは「ロンドン標本」(London specimen)と呼ばれるのだそうです。

 前回も紹介しましたわが国の多くの博物館に展示されているアーケオプテリクス(始祖鳥)の標本と言えばで、1877年ドイツのゾルンホーフェンで産出された「ベルリン標本」のレプリカなのです。ところで、アーケオプテリクスの最初の骨格化石の発見後、初めて鳥類と恐竜類の類縁関係(近縁性)を主張したのは、チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin , 1809 – 1882)による『種の起源』が出版(1859)された直後、ダーウインに厚い信頼をおいていたトマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley、1825–1895)であったとされています。始祖鳥のベルリン標本は、関東近辺では、上野の国立科学博物館、群馬県神流町の恐竜センター、そして千葉県我孫子市の鳥の博物館博物館で展示されています。