素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

絶滅した日本列島のゾウのはなし(9)

2020年11月25日 13時21分08秒 | 絶滅した日本列島のゾウたち
   絶滅した日本列島のゾウのはなし(9)
 

  
  1.日本にもいた「ステゴドン類」のはなし(その2)

 ゾウ化石研究の日本史②
 日本列島で生息していたと思われるゾウの化石に関する日本人研究者を挙げるとしますと、その一人は前回も挙げましたが、やはり松本彦七郎博士ではないでしょうか。これまでにも指摘されていることなのですが、日本最初の層位学的な研究を実施、考古学における層位論研究の草分けとも称されてきた松本彦七郎博士は、石器時代人骨や古人類についても豊富な業績を上げています。

 また、大型哺乳類の化石研究でも多くの成果を残されています。たとえば、「ゾウの臼歯化石の研究で、かつて「日本列島に独自のゾウがいたこと」を明らかにしていますし、ゾウ化石の研究では、ゾウ類の「系統進化」にも言及し、その業績は、広く世界的にも知られています。

 1918年(大正7年)、地質調査所にあった石川県戸室山産とされていたゾウの臼歯化石からアケボノゾウの存在を明らかにし、日本固有種のゾウがいたことを発見したと言われています。

 前回も触れましたが、今から153年も昔になりますが1867(慶応3)年および1868(明治元)年の話ですが、横須賀製鉄所の敷地拡張造成時のこと、開鑿した白仙山の土中から最初の獣骨の化石が発見されました。後に、ドイツのミュンヘン大学から当時の東京大学地質学教室の初代教授として招請されていた地質学者ナウマンによって研究されました。ドイツの学報(Palaeontographica,N.F.Ⅷ、1(XXⅧ)に「先史時代の日本のゾウについて(Japanische Elephanten der Vorzeit.)」(1881)と題する報告がなされたことは、古代ゾウを研究している古生物学者にはよく知られています。

 そしてその後1921(大正10)年には、浜名湖東岸の旧遠江国敷知郡伊佐見村佐濱、現在は静岡県浜松市佐浜町で崖土を工事のため採掘中に、ほぼ1体分のゾウの化石骨が出土したことも知られています(『静岡地学』第87号、2003)。

 1924(大正13)年、京都大学助教授だった槇山次郎(1896-1986)博士は、臼歯のついた下顎骨、2個の上顎臼歯と牙(切歯)を模式標本として報告しています。当時、槇山博士は、インドにおける古代ゾウ化石として知られるナルバダゾウの亜種として扱ったのですが、日本で最初に科学的研究をしたと言われているエドムント・ナウマン博士に因んで、亜種名としてエレファス・ナマディクス・ナウマンニとしたのですが、和名は「ナウマンゾウ」と呼ばれるようになりました。

 しかし、その後の研究で、「ナウマンゾウはナルバダゾウの亜種ではなく、独立した種として扱われることとなった」、と言われています。同じく1924年、前述しました東北大学の松本彦七郎教授は、臼歯の形からアフリカゾウに近いと考えて、発掘された浜松のゾウ化石に対して、パレオロクソドン・ナウマンニと命名したのです。

 なお、ナウマンゾウの学名は、Palaeoloxodon naumanni (Makiyama, 1924) であり、目は長鼻目(Proboscidea )、科はゾウ科( Elephantidae )、属はパレオロクソドン(Palaeoloxodon )、種はナウマンゾウ( P. naumanni )とされています。