素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

アケボノゾウをさぐる(6)

2022年05月31日 10時22分52秒 | 絶滅した日本列島のゾウたち
     アケボノゾウをさぐる(6)


  アケボノゾウのご先祖さん(その4)
  
  ハチオウジゾウ発見の瞬間 ―相場博明先生の記録(報告)を読む―(1)

  アケボノゾの生い立ちといいますか先祖をさぐり、大分遠回りをしてきましたが、一つ前辺りまでやって来ました。今回は相場博明先生が初めてハチオウジゾウの化石と出会った瞬間について記録された報告をもとに、以下のように、まとめておきたいと思います。

 専門家でなくても、古生物学に少しでも興味のある人だったら、それは大変な発見、大袈裟かも知れませんが「世紀の大発見」と手を叩いたに違いありません。わたしもその一人でしたから。

 わたしが八王子でゾウの化石が発掘されたのを知ったのは、新種の認定があった新聞報道が大々的に報じた2010年の7月31日のことでした。それは発見されてから、すでに10年もの歳月を経過してからのことでした。

 わたしはその頃、ナウマンゾウの資料集めに躍起になっていましただけに、200万年も前の太古のゾウが新種と認定されたのですから、ただ大きな驚きだったのを覚えています。

 新種と認められるためには、記載論文を作成して、しかるべき学術誌に発表しなくてはなりません。ラテン語の知識も必要ですし、専門家であっても大変な労力と時間を要する骨の折れる作業をしなくてはなりません。ですからたとえ新種であると、確信を得られてもそれが新種であると認められるまでには長い年月がかかります。

 今回の場合も発見者である相場博明(慶應義塾幼稚舎)教諭らは、発掘した化石を詳細に精査して、所属の学会(日本地質学会第110年(第110回)学術大会・2003年9月19ー21日、静岡大学)で報告するまでにざっと2年、さらにその報告を、英国の世界的な古生物学雑誌Palaeontology に掲載のための論文として仕上げ、採用されるまでに何年も要したと思います。
 
 わたしの拙い推定でも、相場先生が発見されてから、ハチオウジゾウが新種と認定されるまでに、凡そ9年の歳月が経過しています。第一発見者の相場先生にとっては、まさに苦節10年だったのです。

 発見者である相場博明博士は、東京学芸大学大学院時代に地質学や古生物学などの基礎力を培って来られたその道の専門家ですから、今回の古生物学界における新種発見の大事を完成させることが出来たのだと思います。

 わたしは、これまでに先生のお書きになったペーパーを二、三勉強させてもらっていました。たとえば、既述の日本地質学会学術大会(第110回)での報告(「東京都八王子市の上総層群から産出した長鼻類化石とその意義」2003年、静岡大)、及び英国のパレオントロジー(Palaeontology,Vol.53 ,Part3,2010) に発表された論文の要旨をはじめ、「ハチオウジゾウの発見物語」(第65回読売教育賞、実戦報告書・理科教育「化石の魅力を多くの子供達に伝える」、2016)など、これらのどれもが従来の古生物学の研究とは一味も二味も違った「人を育てる」現場に徹した実践的研究者としての手堅さと謙虚さが感じられる内容でした。

 最近、本稿をまとめるために相場先生のお書きになっている「ハチオウジゾウ発掘の記録」(以下、「相場」(2005)と略します。『とうきゅう環境浄化財団報告書(2005)』)を読んで見ました。それは大変丁寧な覚え書きとしてまとめられていました。

 「相場」(2005)によりますと、当日の先生の調査は、ハチオウジゾウの化石発見が目的ではなく、同僚や研究会の仲間の先生方と一緒に、八王子市横川町を流れる北浅川のメタセコイア化石林の調査と長鼻類の足跡の確認をすることが主な目的だったようです。

 一昨年日野市多摩川で長鼻類の足跡化石を発見していた仲間の一人「馬場先生が、北浅川からも長鼻類の足跡化石が見つかったらしいという情報を知り合いから聞いたことがきっかけで」、2001年12月9日3人は、相場先生の車で横川町の現地調査にでかけたそうです。

 相場先生は、以前この近くの公立八王子中学校で先生をされていて、「生徒を連れて何度も訪れていた場所である」、とも記されています。

 同行の2人の先生方は、長鼻類の足跡がないかどうかを確認するために先に歩いて行ったが、自分は「植物や昆虫の化石がないかどうかを確認しながらゆっくりと歩いていった」、その過程で「地層中にチャートのレキのようなものが埋まっているのを見つけ、無意識にハンマーでたたいた。たたいた時に、固い音がしてそのレキのようなものが割れた。その割れた断面をみると組織のような模様が見え、瞬間的にこれはチャートでなく,何かの化石であると思った。

 そして、そのチャートのようなレキのすぐ10cmほど近くに、屋根のような形のエナメル質の歯の断面が埋まっているのに気づいた。このような大きなエナメル質の固まりは象の臼歯に違いないと思った。そこで、先に歩いて行った馬場先生を大声で呼んだ。そして、馬場先生を待っている間に、さらに周りを見渡した。すると、すぐ近くに何やら地層が牙のような形で盛り上がっていることに気づいた。そしてその一部は茶色の表面が見えており、これは大きな牙ではないかと思った。

 さらに水中にも同じような牙と思える茶色の部分があり、その延長を考えると、もう1本の牙がその下に埋没している可能性があることがわかった。馬場先生、青野先生が到着した。馬場先生は、これは間違いなく象の化石だと感動の声をあげた」(「相場」2005)と、発見の瞬間の経緯を記録しておられます。