素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

ナウマンゾウの絶滅原因を探る(18)中本博皓

2020年05月11日 08時12分15秒 | ナウマン象と日本列島

      ナウマンゾウの絶滅原因を探る(18)

 

  絶滅したナウマンゾウのはなし(第三話)

 

     ナウマンゾウの過剰狩猟はあったか(その4)

 日本列島における大型哺乳類の絶滅問題について、富山県の魚津埋没林博物館の館長麻柄一志が、同館の公報紙『うもれ木』(41号)で興味深い記事を書いておられます。そもそも魚津埋没林そのものが、過去の気候変動が引き起こした温暖化が原因で海水面が上昇したため水没したものなのです。

 一方、日本列島でも陸棲大型哺乳類に目を向けて見ますと、彼らの仲間たちの多くがいつのまにか絶滅していたことに気が付きます。たとえば現存しているゾウ類は2属3種、アフリカゾウ、アジアゾウ、そしてマルミミゾウで、これらは何れもが哺乳綱・ゾウ目(長鼻目)・ゾウ科に分類されています。

 北海道に渡来したマンモスゾウは、ナウマンゾウとともに、現存しているアフリカゾウと同じゾウ目(長鼻目)・ゾウ科に属します。どんなに贔屓目に考えても、ナウマンゾウは、後期更新世の末期、凡そ1万5、6000年前~1万2000年前頃には絶滅したという説が有力ですし、ナウマンゾウと同じように野尻湖畔のキルサイトで化石が発掘されているヤベオオツノジカもほぼ同じ頃には絶滅したとされています。

 麻柄は、ナウマンゾウとヤベオオツノジカの「2種は後期更新世(12万6千年〜1万2千年前)末の日本列島における大型動物絶滅の象徴である」、と語っています。

 この頃になりますと、日本の先史時代では縄文草創期に入ります。言われていますように縄文時代は素人の目から見ますと結構長いですから、遺跡からの出土品を見ましてもいろいろなことを教えられます。小生が興味をもっていることは、人口ですが、それ以上に彼らの主食についても関心があります。

 考古学者の研究では、縄文草創期は縄文人の食は多様化してきたと見ているようです。大型の草食獣の狩猟に主食を依存することが多かったのですが、海沿いの人類と山間における人類の食とでは大きく違っていたのではないかと思います。

 山間では大型獣の狩りに依存した食と場所によって異なりますが、どんぐり等の木の実など植物にも依存していたと推察できます。一方、海に近い場所を生活の場にしていた縄文人は、水を怖れなくなり、漁撈で食材を得ていたことも考えられます。また、オットセイ、イルカ、トドなどの海獣(海生哺乳類)の狩猟を行っていたことも遺跡から出土する骨類の分析で明らかになっています。海獣は、陸の追い込み猟とは違い至難であったに違いありません。

 ナウマンゾウの絶滅原因を過剰狩猟に求める前に、先史時代に列島に渡来した人類の生活史を、広い角度から見直すと言うか、考えて見ることも、小生のような素人には何か発見に繋がるのではないか、と思ったりもするのです。この分野については、後に改めて触れてみたいと思っています。