素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

(改訂)抄録・日本にいたナウマンゾウについて(19)

2021年11月26日 14時30分45秒 | ナウマン象と日本列島
       (改訂)抄録・日本にいたナウマンゾウについて(19)

              (初出:2015・8・19ー2016・4・19)

  
 結び(その3)―最初の化石は横須賀で発見― 
   
  (注):(その1)、(その2)と一部に重複があります。ご容赦を。

 1)横須賀市自然・人文博物館の玄関を入ると、展示されているナウマンゾウの全身骨格標本が入館者を等しく出迎えてくれています。この全身骨格標本のナウマンゾウは、千葉県印旛郡印旛村が産地です。横須賀市お膝元の博物館ですが、残念ながら横須賀製鉄所の用地造成工事中に見つかった化石は使われてはいません。

 横須賀市自然・人文博物館の説明書きによりますと、「ナウマンゾウは、35万年前から2万年前に日本と中国に生息していたゾウの仲間で、横須賀市では2か所から見つかっています。現在の米海軍横須賀基地である横須賀製鉄所の敷地内から1867年に見つかったナウマンゾウの下あご化石は、ナウマンゾウの名前の由来となったナウマンによって研究された歴史的標本で、科学的に研究されたはじめてのナウマンゾウの化石です。このコーナーでは、ナウマンゾウの全身骨格模型や横須賀市内から見つかったナウマンゾウの下あご(レプリカ)、肩甲骨、上腕骨の化石を展示している」、とあります。

 また、井上吉隆(元横須賀市助役)は、「横須賀製鉄所物語(5)」(『すまい造りメール』第141号・2013年12月号)の中で次のようなことを語っています。
 「1864年、幕府は小栗上野介の建議を受け入れフランスの技術援助で1865年1月29日には『製鉄所約定書』を作成して製鉄所の建設に踏み切り、1867年9月27日には幕府が横須賀製鉄所建設のための鍬入れを行った」こと。そしてまた、「現在の在日米海軍基地(公称は横須賀海軍施設)の西側にあった標高45メートルの白仙山を切り崩し、ドライドックを建設した」、ことに触れています。その際の残土(土砂)で海岸を埋め立てて、製鉄所の用地の造成を図ったようです。また、次のような記録もあります。

 製鉄所用地造成の一連の過程で「獣骨の化石」が発見された記録がヴェルニー本家伝来の資料の中に写真とともに記録されています。その「獣骨の化石」を発見したのは製鉄所の首長フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837-1908)技師が、製鉄所建設起工中ケガ人が多かったこと、また重い病に罹るフランス人技術者や日本人作業員が多かったことから母国フランスに医師の派遣を要請していました。その要請に応えて来日(1866)したのが一等軍医で、植物学者でもあったサヴァティエ(P.A.L.Savatier:1830-1891)博士でした。彼は、最初1866年から1871年まで5年間滞在し、1873年に再来日して1876年まで滞在しています。この期間は主に日本の植物の採取と植物の標本作りだったようです。

 2)彼は、日本の植物について関心を持ち、採取しては研究し『日本植物目録』として出版し、世界に日本を発信したことでも知られています。そのサヴァティエが、製鉄所のドック等の施設建設用地造成のために白仙山を切り崩していた土砂の中に半分埋まった状態の大きな動物の骨の化石を見つけ採取したのが、後にH.E.ナウマンによって初めて科学的な研究がなされ、その獣骨が日本に生息していた象の化石骨であることが分りました。

 サヴァティエが採取した化石は一つだけではなかったと思います。田中芳男が中心になって開催した大学南校(現東京大学)物産会に展示するため、南校からの要請を受け入れて1871(明治4)年、江戸に送られた大動物の化石の他にも、いくつも発見されていたと推察できます。それから13~14年後の1881年、ナウマンの研究によってゾウの化石と判明した一つは横須賀の製鉄所敷地の造成中に発見されたものだと推察することが出来ます。

 大学南校物産会展示後、内務省博物局(後の東京帝室博物館、現在の東京国立博物館)に収蔵・保管されていた化石をナウマンが研究に用いたと考えられます。それらのナウマンゾウの化石は、東京大学の総合研究博物館に保管されていますし、また国立科学博物館に所蔵されているものもある筈です。

 3)また、ナウマンは、1881年に書き上げた論文「先史時代の日本の象について」(Ueber Japaniche Elephanten der Vorzeit.)の27頁の脚注1)において、次のように述べています。このことは、これまで誰も扱っていないのですが、大変重要なことだと思われますので、若干言及しておきます。

 ナウマンによると、「David・Brauns博士(ナウマンの後任の教授として東大に招聘された:筆者(中本)が付記した。)から私(ナウマン)に届いた書簡によると、以前、横須賀で1868年に発見された臼歯の付いた象の顎の化石がサヴァティエによってパリに持ち込まれていました」と、脚注が付いているのを見ますと発見・発掘されたナウマンゾウの化石は一つや二つではなかったし、発見の年次も1867年だけではなく1868年にも跨っていると推測できるのです。なお、ブラウンス博士からナウマンに宛てたこの書簡は、ドイツ語ではなく英語で書かれています。

 これらのことは、横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念展の資料で、横須賀市自然・人文博物館発行の『すべては製鉄所から始まった―Made in Japanの原点―』の117頁に掲載されています図版87の解説の中にも1868年に「獣頭骨」と推定される化石が発見されていたことを示す記載があります。

 注1)結び(その1、その2、その3)の参考文献は、次回に掲載します。
 注2)2016年2月20日一部補筆。