素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

再論・ナウマンゾウについて(Ⅱ)-41 中本博皓

2019年06月28日 09時35分19秒 | 再論・ナウマンゾウについて(Ⅱ)

        第Ⅲ章 ナウマンゾウの旅路、北の大地へ

 

 

  (6)湖底は化石骨の宝庫

   ⅰ)湖底は化石の宝庫、半世紀以上掘り続ける

  長野県北にある野尻湖、その湖底は、ナウマンゾウやオオツノジカの化石骨の宝庫といわれています。

  発掘場所の正式名称は、長野県信濃町大字野尻湖「立が鼻遺跡(たてがはないせき)」です。今では余りにも有名な遺跡となっています。2018年3月23日から4月1日にかけて第22次の発掘調査が行われました。信濃webが伝える「長野県ニュース」によりますと、発掘初日(3月26日)に、早くもナウマンゾウの臼歯の化石などが発見されと報じられました。

  発見された地域は、野尻湖の北西の立が鼻遺跡の一帯で、これまでにも発掘調査が行われた地域だそうですが、かなり良好な状態の臼歯や肋骨が出土したと報告されています。

  第21次発掘(2016年)だけでも、湖底から発掘されたナウマンゾウの臼歯化石は、40頭分が出土したと聞いていますし、またナウマンゾウやオオツノジカが生息していた時代、古環境を形成していたと推測できる植物や昆虫の化石も発見されました。

  そしてすでに居住していたと考えられている「野尻湖人」がゾウやオオツノジカ狩りのために製作したと見られる多くの石器(ナイフや斧)、骨器類(クリーバー:なたの一種)も多数出土しています。そのすべての出土品は、住民をはじめ発掘に参加した人々の貴重な財産として、信濃町の博物館、「野尻湖ナウマンゾウ博物館」(以下、単に「博物館」と書くこともあります。なお、博物館は1984(昭和59)年7月1日開設される。)で展示されています。

  発掘作業は、専門家だけでなく北海道から沖縄まで全国各地から集まった子どもから大人まで、延べ24,000人を超える発掘者によって行われています。博物館発行の『展示解説』によりますと、地元住民、信濃町役場からの援助が中心で、その他には「どこからの資金に頼ることなく、参加者からの参加費、書籍等の売上収入等によって運営する、自前(いわゆる手弁当)の発掘方針がとられています。

  さらに、発掘ではこどももおとなもみな、かならずひとつは係や班の仕事を分担することになっています。そこにはひとりのお客さまもいません。全員が力量に応じて任務を分担するのです。これを、『野尻湖方式』とよんでいます」(野尻湖ナウマンゾウ博物館『ナウマンゾウの狩人をもとめて:展示解説』(第二版、平成25年3月29日)、と述べています。

  発掘された化石、石器、骨器そして木器の類はすべて野尻湖発掘調査団が収集し、調査を行った上で博物館に展示、公開されていますが、さらに専門の学芸員らの研究が続けられています。その意味では、「野尻湖ナウマンゾウ博物館」は、ナウマンゾウの研究ができる唯一の博物館ではないかと思います。

  発掘は2年に1回の予定で、民間の学術団体である「野尻湖発掘調査団」よって続けられ、前にも述べましたが毎回3月の下旬に行われていますが、この時期は水力発電で水位が3メートルくらい低くなり、干上がった遠浅の湖底で発掘が行われています。

  野尻湖の湖底は、6万年前から現在まで湖底に溜まった泥や砂がおよそ数メートルの厚さに堆積していると推測されています。その地層には、ナウマンゾウや多くの動植物の化石や遺物が堆積し「水成層」を成していると見られています。それが「野尻湖層」と呼ばれている地層です。その地層の研究と発掘は深い関係を有しているようです。

  ナウマンゾウやオオツノジカが生息していた頃の野尻湖の古環境、地層の研究を進めるとともに氷河時代の野尻湖の研究も行われてきたと言われています。その意味では「層位第一主義」の発掘が、2016年3月18日から28日まで第21次発掘調査が行われましたが、参加者は3日間発掘調査が出来ることが参加の条件のようです。