素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

一日一日大切に生きることー素人、考古学及び古生物学を学ぶー(8)

2015年09月23日 15時39分37秒 | ナウマンゾウについて
抄録・日本にいたナウマンゾウ(8)

 


(3)忠類村ナウマンゾウの復元標本




2)旧忠類村晩成地区で発掘されたナウマンゾウの化石骨について

 〈地層についての復習〉 

  ここでは、旧忠類村晩成地区で発掘されたナウマンゾウの化石骨について言及しておきましょう。その前に、少し以前にも述べたナウマンゾウの化石骨発掘地である忠類晩成の地層について復習の意味で、もう一度触れておくことにします。

  忠類晩成は、現在の大樹町の晩成地区とは地続きで隣り合っています。もともと忠類は大樹町から分村し独立して出来た新しい「村」だったことに就いては既に述べた通りです。大樹町の晩成地区と旧忠類村晩成(現在は、幕別町忠類地区晩成ですが)の町境の大樹町側にはおよそ60平方キロメートル、太平洋岸(十勝海岸)にも及ぶ「ホロカヤントウ沼」があります。この沼の周辺一帯は言わば湿原であり、また十勝海岸湖沼群(十勝川河口湿原、長節沼、湧洞〔ユウドウ〕沼、キモントウ、生花苗沼、当縁湿原、ホロカヤントウ沼など)とも呼ばれています。
 
  植生についても、すでにその詳細が調査されており、沼沢湿原と低層湿原の植生も明らかにされており、ハンノキ林や小規模ですがヌマガヤ群落もあり、湖沼ではフトイ群落、マコモ群落、ミツガシワ群落のほかエゾノミズタデ、ヒシ、タヌキモ、コウホネ、ジュンサイなどの水生植物群落が分布していることも分っています。

  また、地層はホロカヤントウ地層で①上部層、②中部層、③下部層の三層に分けて分析されており、①では砂礫、粘土、砂・泥炭、火山灰、②では砂、砂礫、粘土、泥炭、③では粘土、砂、砂礫、泥炭で各層が構成されていることが明らかにされています。こうしたことから、ホロカヤントウ層については、小山内煕(おさない あきら)氏等による論文「忠類における象化石包含層の地質」において「砂礫、粗粒~細粒砂、シルト~粘土、泥炭質粘土~泥炭、火山灰などの不規則互層から構成された陸生堆積層である」(54、57頁)ことが解明されています。

 〈発掘された化石骨〉 

  忠類ナウマンゾウ化石骨発掘は、忠類晩成の道路工事現場からたまたま発見されたナウマンゾウの臼歯が、全国的に大きな話題となったのは、十勝団体研究会(代表:松井愈北大教授)のもとで、1969(昭和44)年8月15日から緊急発掘が行われて、同24日に忠類ナウマンゾウ臼歯の石こう模型が完成し、それが新聞発表されたことに端を発したと言えます。

  同年10月9日に京都大学亀井節夫教授の来村、指導によって予備発掘が第1次調査として同月12日まで行われました。本発掘は、1970(昭和45)年6月に行われましたが、以下1969年の緊急発掘及び予備発掘において発掘されたナウマンゾウの化石骨について掲載しておきます。

  頭 骨;頭蓋骨1破片、下頸骨1破片、牙右1(160㎝)・牙左1(160㎝)、上顎臼歯2、
下顎臼歯2
  前肢骨:肩甲骨右1(65㎝)、上腕骨左1(75㎝)、尺骨左1(65㎝)、橈骨左1(60㎝)
後肢骨:大腿骨左1(一部分、推定101㎝)
 
  1970(昭和45)年6月に行われた本発掘(第2次調査)において、6月29日ナウマンゾウのほぼ1頭分の化石骨が最後の泥炭層から現れたときの亀井教授はじめ発掘隊の喜びは大きかった、と「忠類原野‘70夏の感動」として綴ったのが「北海タイムス」の齋藤禎男記者でした。
 
  これらの化石骨が、亀井節夫教授の下で1頭の骨格標本として復元されたのです。発掘された化石骨は、後に、「忠類産ナウマン象化石骨一覧」として同教授によってまとめられています(1978年)。


(文献)

(1)十勝団体研究会「北海道大樹町ホロカヤントウ沼付近の泥炭層の14C年代―日本の第四紀層の14C年代 (89)―

(2)小山内煕・二谷勝利・魚住悟・松下勝秀・松波武男・中村定男・重山武「忠類における象化石包含層の地質」(『ナウマン象化石発掘調査報告書』北海道開発記念館・1971)54、57頁。
(3) 齋藤禎男『これがナウマンの化石骨だ:忠類原野‘70夏の感動』・北苑社、1974(昭和49)年。

(4)亀井節夫「忠類産のナウマンゾウPalaeoloxodon naumanni(MAKIYAMA)」. (地学団体研究会『(地団研専報/22)十勝平野』(第Ⅳ編 忠類産ナウマンゾウとそれにかかわる諸問題)・1978年、348頁。