素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

素人の考古学:抄録・人の移動、その先史を考える(その6):中本博皓

2015年05月19日 08時46分43秒 | 人類の移動と移住
抄録・人の移動、その先史を考える(その6)



〔以下の記事は、小生がこれまで扱ってきた「人の移動史」(日本人の出移民小史)から、ふとしたことで、人の移動、その先史 を専門家の孫引き・後追いで考え るようになり、ノートを作成する気になったもので、老化予防のために「80過ぎての手習い」といったものです。〕  


(1)人は移動する生き物


5)農耕民族の増加
ロジャー・レウィン(Roger Lewin:1944~ )に依拠すると、最後の氷河期(最終氷期)の終わりごろ、今から約1万年も前のことになるのだが、当時の彼らの生活環境は、氷期にあり、陸地の水が凍り、氷に覆われた厳しい陸地での暮らしであった。少ない食料をもとめて狩猟採取のため、放浪する移動形態が彼らのごく普通の行動パターンだった。

ところが気象を含めて自然環境の激変などで放浪による狩猟・採集だけで食料を十分にもとめることが困難になった。しかし、その後の地球上の気候は、最終氷河期が終わり、地球は徐々にではあるが温暖化に向かい海面上昇が起こり、何千年もの時を刻んで、豊かな自然が生まれた。現生人の先祖は「考える知恵」を持つようになり、火をおこし、土器を作り、食べ物を煮炊きする術を習得した。

食文化の進歩が生活に浸透し彼らの定住志向は、同時に地球の全域で人口圧を強めるようになった。すなわち、食料を野生に依存することなく、農耕による食料生産を行う知恵を生み出したことが何にも増して「ヒトの生活パターンが世界的に劇的な変化を遂げた」と指摘したのは、ロジャー・レウィンである。

それがまた農業革命の始まりであるのだが、ロジャー・レウィンによると、その頃の地球上の人口は500万人から1000万人だったという。そして彼はまた、食料生産が行われるようになったことで農耕地が増え、人間圏という新たな空間が拡大するようになったという。

農耕を始めた人類の祖先は、農耕可能な土地を求めて移動し、定住先をもとめて移動を繰り返した。それは後に目的を持った人類の大移動にもつながったと考えられる。そして人と土地の結びつき、人と人の血縁で人類は定住性志向を一層強めるようになった。それが定住人口を増加させる契機となり、それから8000年の後には世界の人口は3億人にも達し、人口過密化の方向性が見られるようになった、と『人口圧』を説くのはマーク・コーヘン(ニューヨーク州立大学)教授だ。

彼は狩猟採取に依存した生活では、25人が一つのグループを形成して、それぞれのグループが75㎞2の土地を必要とすることになるとしている。すでに定住によって人口は増加し、狩猟採取に依存できなくなっていた。そのために先祖たちは野草の栽培・栽植、動物の家畜化を試みる手法を考え出したとみるのだ。それは、限られた土地面積でも大きな人口を賄えたとみているのである。

しかし、ロジャー・レウィンは、マーク・コーヘンの説を誰もが支持したわけではないという。イギリスの人類学者バーバラ・ベンダーをはじめケント・フラナリー(ミシガン大学)もマーク・コーヘンの説に、その証拠の確かさがないと批判している。そして、メキシコに農耕が根付いた頃、われわれの先祖の生活が狩猟採取に依存したパターンであっても食糧不足に陥っていたわけではなかった、とケント・フラナリーは反論している。

人々が定住性を高めるようになり、食料生産という農耕文明が見られるようになると、食料は一層安定的な供給が行われるようになる。定住人口の増加が村落を生み、分業化した職業も生れた。一方、村落は次第に定住人口を増加して拡大すると、都市が形成される。新たな社会の仕組みも作られ、様々な人が集まることで様々な文化が生まれる。人知に長ける人々が増え、精神的にまた農耕が行われ食の供給が増え物質的にも豊かになることが文明を生む。

村落文明はこうして誕生し、さらに都市文明へと展開するようになると交易が都市の大きな特徴となり新たなものが生み出される社会が生まれ人々が増大するようになるとますますさまざまな文化が生まれ、それを求めるために人の移動・移住もまた顕著になるのである。 つづく