「あなたは多くのことを見ながら、心に留めず、耳を開きながら、聞こうとしない。」(20新改訳)<o:p></o:p>
イスラエル民族は紅海の底を歩き、岩から出た水を飲み、天からの不思議なパンを食べ、カナンに入ってからも、数々の奇蹟やしるしを体験した。それなのに、自分を選んでくれた神がどれほど偉大な方であるかを心に留めず、むなしい偶像礼拝や淫行にふけって道を外したのである。 救われたキリスト者には、まさかそのようなことはないというかもしれない。たしかに私たちは、もはや偶像を礼拝せず、聖潔の道を歩んでいこうと願っている。だが、ふだんのなにげない生活に現わされる恵み、神のいつくしみに満ちた取り扱いに、心を留めているだろうか。 もし不平、不満、感謝できない心などに占領されているなら、やはりかつてのイスラエルと同じように、目がありながら見ていず、耳がありながら聞いていないのである。もう一度心を低くし、ともにおられる主に信仰の焦点をしっかり合わせよう。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2同) [教会の花壇に咲く花]<o:p></o:p>