「主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」(詩篇121:8新改訳)
この詩は、イスラエル人はもちろん、世界中のクリスチャンたちに愛され、口ずさまれてきた詩篇中の詩篇。詩人の目はイスラエルの山々をながめ、それをお造りになった神を意識し、さらに信仰の目を第三の天に移しながら、御座に着いておられる神の偉大さ、イスラエルに対するいつくしみの御手を賛美する。▼しかしこの詩によって、私たちキリスト者は天におられる大祭司イエスをあざやかに意識する。主は人としてあらゆる苦難を味わい、人間の弱さを知り尽くし、神と人との間に立つ真の仲保者としての資格を得られた。それが大祭司である。▼中でもへブル書はこの務めを詳しく解き明かし、「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」(へブル7:25同)と、ご自分の民に、どんなに懇(ねんご)ろな保護を加えておられるか述べている。▼都上りの歌なので、「行くにも帰るにも」は祭りへの旅のことを指しているが、私たちの信仰生涯とも味わえよう。すなわち、この世に生まれ出るとき、この世を去って主のみもとに行くとき、どちらも愛する主が全責任をもってくださる、との意味だ。地上に置かれた人としての一生、毎日のように天におられる大祭司を仰ぎつつ、御霊によって歩みたいものである。▼いずこにわが行くとも、いかなる地に住むとも、守りの手をのべたもう主は救い主なり、重荷もなく迷いもなき旅路ぞ楽しき、共にいますキリストこそ、わが身の神なれ(新聖歌354)