「彼は『レバノンの森の宮殿』を建てた。その長さ百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトで、それは四列の杉材の柱の上にあり、その柱の上には杉材の梁があった。」(Ⅰ列王記7:2新改訳)
ソロモンの宮殿は高価な杉材、石、純金が多量に用いられ、これ以上ない絢爛豪華なものであった。宮殿に含まれる建築群、柱の広間(6)、さばきをするための王座の広間(7)、王と王妃の住居(8)などは、我々がもし眺めたら圧倒され、言葉を失ったかもしれない。▼だがこれらの本体はイエス・キリストご自身である。その証拠に、ソロモンの建てた世界最高の宮殿や神殿は、21世紀の今日、すべて廃墟となり、あとかたもなくなってしまった。ただお一人、ナザレのイエスだけが今も天の宝座に着き、万物を統べ治めるお方として栄光に輝いておられる。「あなたがたに言いますが、ここに宮よりも大いなるものがあります」(マタイ12:6同)との御声が凛(りん)として世界に響き渡っている。それを私たちは信仰の耳でハッキリと聴き分けるものでありたい。▼人間歴史において、時の支配者たちは膨大な富と権力を駆使し、いつまでも残るようにとの願いをこめて巨大でみごとな建築物を造った。エジプトのピラミッド群、中国の万里の長城、インドのモヘンジョダロの遺跡、インカ帝国の建築群、ネブカデネザル王が自慢したバビロン城、ギリシャの神殿や数々の彫像、そしてソロモン、ヘロデなどが建てたエルサレム神殿・・・その他数え上げればきりがない。不思議にも、竣工当時の美をきわめた美しさを今に至るまで保持しているものは、ただの一つもない。あらゆるものが、土に帰って行く過程にある。◆これは、永遠の神が人間に対して下された審判とみるべきである。だから私たちはそのメッセージを読み取り、いつまでも存続するものは何かを真剣に考え、無益無駄なことに労力を費やすことをやめるべきである。使徒ペテロは断言する。「しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。」(Ⅱペテロ3:10,11同)◆さらに使徒パウロも述べる。「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。愛を追い求めなさい。」(Ⅰコリント13:13~14:1同)