「その日、万軍の神、主は、『泣け。悲しめ。頭を丸めて、荒布をまとえ。』と呼びかけられたのに、なんと、おまえたちは楽しみ喜び、牛を殺し、羊をほふり、肉を食らい、ぶどう酒を飲み、『飲めよ。食らえよ。どうせ、あすは死ぬのだから。』と言っている。」(12,13新改訳)<o:p></o:p>
バビロンとその同盟軍が、まもなく来襲するというのに、エルサレムの人々は安逸をむさぼり、宴会にふけり、神に対する悔い改めの姿勢をとろうとしなかった。これがユダ王国滅亡の原因である。
ヤコブも終わりの時代に向かって、おなじように警告する。「聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。…あなたがたは、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。」(ヤコブ5:1~5同)
神の審判を軽視し、どうせ死ぬなら思いきり遊ぼう、などと刹那的に生きるのは、神がもっとも嫌う態度である。ふてくされた生き方をやめ、「熱心になって、悔い改め」(黙示録3:19同)ようではないか。 使徒信条(しげる牧師の信仰告白)<o:p></o:p> わたしは天地のつくりぬし、全能の父であられる神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んでほうむられ、よみにくだり、三日目に死人の中からよみがえり、天にのぼり、全能の父であられる神の右に座(すわ)られました。そこから来られて生きている者と死んでいるとをおさばきになります。わたしは聖霊を信じます。聖である公同の教会、聖徒のまじわり、罪のゆるし、からだのよみがえり永遠のいのちを信じます。アーメン<o:p></o:p> <o:p> </o:p> *「天地のつくりぬし」<o:p></o:p> 「天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立てた方、これを茫漠(ぼうばく)としたものに創造せず、人の住みかにこれを形造った方、まことに、この主がこう仰せられる。『わたしが主である。ほかにはいない。』」(イザヤ書45:18新改訳)<o:p></o:p>