「モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある『宥めの蓋』の上から、すなわち二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。」(民数記7:89新改訳)
モーセは会見の天幕を設営し終えた日に、すべての器具、用具に聖なる油を注ぎ、それらを聖別した。続いてイスラエル各部族を代表する十人の族長たちが奉献のささげ物をし、すべてが整えられた。すると神が幕屋内にある「あかしの箱」の上からモーセに語り、彼はその御声を聞いたのであった。▼新約時代において、神と人が交われる場所はイエス・キリストご自身、特にその十字架である。キリスト者は父なる神と交わり、その御声を聞こうと思うなら、十字架のみもとに行かなければならない。あかしの箱の上にある「なだめのふた」こそ十字架を表わし、そこに注がれた血潮は主が「父よ、彼らをおゆるしください」との祈りと共に注ぎ出されたあがないの宝血である。天の父は、キリスト者がこの場所に来るのを待ち望んでおられる。だから私たちは何をさておいても、十字架に行こうではないか。
①イエスよ、十字架にわれをば引き、絶えずみもとに保ちたまえ
②十字架によりて、われ世に死し、十字架によりて、世われに死す
③君の御跡(みあと)を踏みて進まん、十字架の悩み、日々おぼえつ
④憂(う)き悲しみも、み名のために、忍ぶわが身は、楽しきかな
(折返) 君のいさお ほむべきかな 十字架のほかは われ誇らじ
<イエスよ十字架に 詞:笹尾鉄三郎 インマヌエル讃美歌580 >