しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 詩篇91篇 <わたしは彼を助け出そう>

2017-04-06 | 詩篇

フリージア「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。」(詩篇91:14新改訳)

神を愛する者に約束された保護といつくしみを歌った詩で、前篇モーセの祈りの続きともみられる。ただ、調子は一変し、明るさと確信に満ちているのが特徴。あたかもロマ書7章と8章のコントラストを想起させて興味深い。▼彼とは信仰者のことだが、預言的には人の子イエスを指しているのはあきらかだ。一方、悪魔は本篇をよく知っており、荒野で主を誘惑したとき、11節、12節を用いた(ルカ4:10,11同)。堕落前に天使長だったといわれる彼は知恵に満ち、聖書に精通している(むろん悪しき意味において)のはまちがいない。キリスト者はこのような敵を前に信仰生活を送っているのだから、思わず身がひきしまる。要するに敵は神のことばを疑わせ、なしくずしにした上で神の国を破壊することをねらっている。その犠牲第一号がアダム夫妻だった。だが、終わりのアダム・主イエスはみごとにサタンを退けられた。弱い私たちでも、ただイエス・キリストの足跡についていけば絶対安全である。▼さて、詩篇を読むとき、御子イエスについて語られているみことばは、私たちキリスト者について語られているみことばと受け取り、味わうことがゆるされる。なぜなら、私たちはキリストのからだであり、ひとつのいのちで生かされているからだ。笹尾鉄三郎先生が、「あまのぼり(天昇)し主は、われのかしら(頭)なり。一つ御霊にて彼も我も生く。今は主キリスト我に在りていく(活く)、我は早や死ねり 」(インマヌエル讃美歌308)と歌っているとおりである。