しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 詩篇119篇169~176節 <私は迷い出ました>

2017-07-03 | 詩篇

赤美花「私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません。」(詩篇119:176新改訳)

へブル語アルファベット順に構成され、みことば信仰をみごとに歌い上げた詩篇119篇、それも最後の部分に来た。▼ところがここで、作者の意外と思える告白が冒頭に記される。私は滅びる羊のように迷い出ました、と。みことばを一日中慕い味わう幸福に酔いしれていた作者が、なぜ滅びる羊のように迷い出たのだろう。その迷いとは何か。▼それはたぶん、みことばを自分中心に捕らえようとして、神のお心から離れたことを指す。雅歌に出てくる花嫁は、愛する花婿が来て戸を開けてくれと言ったとき(雅歌5:2)、もう寝所で休んでおり、夜露に濡れた人のため自分を汚したくないと思ってためらった(雅歌5:3)。そのとき愛の交わりを失ったのである。▼みことばは神のお心で、私たちの心ではない。だから自分の都合に合わせて味わおうとすれば迷い出す。新約の私たちにとって、それはイエス・キリストの愛から外に出ることを意味している。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。」(ヨハネ15:5、6同)▼119篇は最後に大きな警告の灯台を磐上に建て、全体を照らしつつ幕を引く。